「……行くか、小十郎」

かつては立派な大八車だったものが完全な炭となり、ぶすぶすと鈍い音を立てている。時をかける大八車は、この世から消滅した。

残り火の始末をして、政宗と小十郎は城へと戻り始めた。2人並んで畑道を歩いていると、道々で野菜が鈴生りになっているのが目に付いた。

野菜と言えば、小十郎が野菜を育て始めたきっかけが、今回の件でなんとなく分かったような気がした。おそらくは、自身の一言が始まりなのだろう。

「そういや、お前が野菜育て始めたの、あの後オレが野菜食いたいって言ったからなんだろ?」

唐突な政宗の言葉に、小十郎は目を丸くする。そして、フッと柔らかい笑みを浮かべた。

「そうですな。あれが貴方からの初めての頼みごとだったものですから。美味い野菜を食べてもらいたいと思ったんですよ」

小十郎の行動は、全て主である自分のため。それは昔から変わらない。あんなに可愛げのない子供だったのに、それでも小十郎は懸命に尽くそうとしていた。そして、今もずっとついてきてくれている。

ありがとう、などと真面目くさって言うような柄でもないので、政宗は心の中で小さく呟いた。

前に野菜を作る理由を尋ねた時、老け顔に効果があるからと答えていたのは、小十郎なりの気遣いと一種の照れ隠しだったのだろう。恩着せがましくなるのが嫌で、咄嵯に思いついたことで誤魔化したに違いない。

そこで、政宗はハッと気付いた。過去の自分の一言がなければ、小十郎がここまで野菜に心を奪われなかったのではないか、ということに。政宗のために始めた野菜作り。それが一体、何がどうして野菜狂いの境地にまで達してしまったのか。

うう、と渋い顔をして悩んでいると、一際楽しげな小十郎の声が聞こえてきた。

「明日、一緒に野菜の収穫でもしますか?もしかしたら、また野菜の神様からの贈り物があるかもしれませんぞ」

にこやかな小十郎の言葉に、政宗の表情がさらに渋くなった。本気で言っているのか、冗談の類なのか。常に真面目な小十郎からは、判断が出来ない。

ここは全力で断らなければ、明日はまたナスやらネギやらと格闘する羽目になる。何より野菜の神様からの贈り物は、これ以上政宗には必要がないのだ。

「No!絶対にNo!野菜の神様の出番は当分、No thank youだ!」

政宗の必死な叫びが、夏の青く澄んだ空いっぱいに響いたのであった。




時をかける双竜<下>




その日、政宗も小十郎もあまり機嫌が良くなかった。小十郎の畑近くに大八車を横手に、2人は互いに向かい合い、互いに難しい顔をしていたのである。

機嫌の良くない原因は、ただ一つ。2人の意見が真っ向から衝突していたせいである。政宗は大八車を使って、再びどこか別の時代へ向かおうと考えていたのだが、それを小十郎が止めた。

なんで止めんだよ――そんな政宗の言葉に、小十郎は眉間の皺を深くして答えた。

「これまでは運が良かったのか、とんとん拍子に事が進んで何事もありませんでしたが、次も上手くいくとは限りませぬぞ」

この大八車を使えば時を駆けることが出来ることは幾度と無く証明されているが、如何なる作用が働いているのかが分からない。そんな中で、今までは面倒な問題に巻き込まれたりしても、なんとか無事に戻ってくることが出来た。

しかし、それは単に2人が幸運だっただけで、一つ間違えば、いつか分からぬ時代に見知らぬ土地で野垂れ死んでいてもおかしくはないのである。時代を渡るということは、常にそのような危険と隣り合わせであると、今までが順調にいきすぎていて政宗も小十郎も気付いていなかった。

「無闇やたらと出掛けて、もし取り返しのつかぬことが起きたら如何なさるのです」

この前、一瞬ヒヤリとした出来事があったのだ。時を渡った後、政宗が荷台から転がり落ちた。これが時を渡る前だったら、どうなっていたのだろうか。そのことを考えるだけで、ゾッとする。

危険を冒してまで、過去や未来に行く必要はない。普通では起こり得ないだろう経験も出来て十分楽しんだと、小十郎は思う。だから、もうこれ以上この大八車の世話になる必要などないのだ。

固い口調で、小十郎がそう説明すると、政宗はスッと目を閉じた。そして、しばらく黙り込んだあと、ゆっくりと口を開いた。

「行きたいところが……いや、行かなきゃならねぇところがあるんだ」

その言葉に、小十郎は眉根を寄せた。政宗は、珍しく神妙な面持ちをしている。前に行きたいところを尋ねた時は、自分の未来を見たいなどと言っていたが、やはりあれは本心ではなかったのだろう。

そして何より、行きたいではなく行かなくてはならないとまで言うほどだ。そこまで政宗の心を動かすものは何なのか。その疑問を、小十郎は主に直接ぶつけてみた。

「それはどこなのです?」

「オレが右目を無くした時だ」

政宗のその言葉に、小十郎はハッと息を呑んだ。主が右目を無くした時――政宗の人生に大きな禍根を残した出来事である。

過去に戻って、右目を無くした歴史を変えようと考えているのだろうか。病のせいで片目を失うということがどれほど辛いことなのか、経験したことのない小十郎には分からない。

過去を変えることが出来れば、あの当時の辛い記憶を消すことが出来ると思っているのか。それとも左目だけでなく、右目を通じて見える世界に憧憬を感じているのか。如何なる理由かは、政宗自身にしか分からない。しかし、あの時期に戻って何事かを為したいと思っていることは明白である。

あの頃の政宗は、酷く荒んでいた。今、思い返しても胸が痛むぐらいに。片目を無くし、母親から十分な愛情を与えられていなかった政宗は、誰にも心を開かなくなっていた。小十郎が仕え始めた頃は、一人で暗い殻に閉じこもっていた。

それが、いつの間にかここまで立派に成長した。どのようなきっかけがあったのかは分からないが、前向きに生きることを、一国の主として皆を率いることを選んだのだ。

あの時に戻らなくてはならないと考えているということは、何か心にくすぶるようなことが残っているということに違いない。そして、それが政宗の右目に関することとなれば、小十郎の心中も穏やかではいられなかった。

右目たる自分の力が至っていないわけではない。そうは信じてはいるが、やはり不安に感じる。小十郎は戸惑いを表に出さぬよう、政宗に念押しで尋ねた。

「政宗様……。その、右目を無くされた時に本気で行きたいとお考えなのですか?」

「あぁ」

短く、しかし力強く政宗は答える。その声には迷いなどない。そんな主を、小十郎は真っ直ぐな瞳で見つめていた。

このまま押し問答をしていても、埒は明かないだろう。主がここまで言うのであれば、小十郎に止められる術などない。出来ることは最大限の注意を払い、主に降りかかる身の危険を排除することである。

ふぅ、と小さく溜め息を吐いた後、小十郎はゆっくりと口を開いた。

「分かりました。この小十郎、政宗様の行くところであれば、地の果てであろうとついていく覚悟は出来ております」

「んなトコまで行きゃしねーよ」

真面目な顔で堅苦しいことを告げる小十郎に、政宗が軽い調子で突っ込む。そこまで覚悟を決めるような話でもないのだ。

小十郎は黙って大八車の持ち手に手を掛けた。政宗は心ここにあらずという面持ちで、荷台に載ってどかりと腰を下ろした。

いつもと同じように、大八車を引いた小十郎は坂を全速力で下り始める。何度も経験してきたことなので、随分と手慣れてきていた。願わくばこれが最後になることを――そう考えながら、小十郎は走っていた。

徐々に、二人の周囲を淡い光が包み始める。その光が広がり始めた時、ガタンと突然大きな衝撃が大八車に走った。前部の右車輪が、大きな石の上に乗ってしまったらしい。

「政宗様!」

グラリと体勢を崩した大八車は横倒し寸前となる。小十郎は慌てて後ろを向く。驚いた顔をした主が閃光の向こうで振り落とされる瞬間が、小十郎の見た最後の光景であった。


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