「……1つ、忘れてたぜ」

空に消えいく煙をぼうっと見ていた政宗が、突然独りごちた。何事か、と小十郎が振り向く。

「オレが天下取ってるかどうか、確認しときゃ良かった」

直に燃え尽きようとしているものを見て、政宗は残念そうに呟いた。未来の自分がどうなっているのか、結局知ることは出来なかった。この広い日の本を手中に収めている自分の姿は、未来にあるのか。

そんな主を優しい眼差しで見つめながら、小十郎は立ち上がった。

「そんなの確認しなくとも、分かりきったことかと思いますが」

にやりと口の端を上げて、小十郎は笑う。未来の自分を確認する必要などない。自らが望んだ未来になるように、これから進んでいけば良い。政宗ならばその手で望む未来を掴み取ることが出来る、と小十郎は信じている。

「そうだな。見なくても、オレは天下を取ってる。絶対に取ってやるぜ、これから」

政宗は右の拳を握り締めて、自分に言い聞かせるように呟いたのだった。




時をかける双竜 <中>




その日、小十郎は不機嫌だった。主の姿が見えないからだ。また真田幸村に戦いを挑みに出掛けているのか。はたまた、どこかで油を売っているのか。

朝から一向に行方の知れない主を思い、はぁ、と小十郎は深く溜息を吐いた。

小十郎が政宗の行方を気にするのには理由がある。政務をしようとしない点もあるが、自分の見ていないところで無茶をしていないか、それが何よりも心配なのだ。

伊達政宗という人物は、冷静で年の割に落ち着いたような雰囲気を見せてはいるが、その内には真田幸村に負けないほど熱くたぎる魂を秘めている。

だから、些細なことでもその感情が刺激されれば、周りが見えなくなるほど突っ走ってしまう時がある。そうなった政宗の背中は全く無防備になってしまうのだ。

主の背中を守ると心に決めている小十郎としては、自分の目の行き届かないところでそのような状態に陥っているのではないか、と不安に思うのである。

過保護と言われれば否定できないな、と小十郎は自嘲的な笑みを浮かべる。かつて、真田に仕える忍にそう指摘されたことがあるのだ。その人物にだけは言われたくない、と思っていたことであるが。

しかし、主は一体どこにいるのだろうか。

政宗の行方は小十郎だけでなく、他の家臣たちもこの周辺を探している。だが、どれだけ探しても見つからない。もしかしたら、遠くに行っているのかもしれない。

政宗の好奇心をくすぐる何かが、どこかにあったのだろうか。

「……いや」

一つ、思い当たる場所がある。そして、その場所は今のところ誰も探していないだろう。苦笑を浮かべた小十郎は、近くにいた家臣に一言告げ、その思い当たる場所に向かって歩き始めたのであった。



夏の太陽がじりじりと地上を照りつける中、小十郎は自らが耕作している畑へと向かっていた。そこは城から大分離れた場所にある。

足を止めて先を見ると、緩い傾斜のある上り坂になっていた。畑へ行くには、そこを上らなくてはならない。小十郎は額の汗を拭って、再び歩みを進め始めた。

しばらく進むと、陽炎の向こうに人の姿が見えた。その姿を見て、小十郎は足を早める。

その人物――政宗は駆け寄ってきた小十郎に気付いたらしく、片手を上げて近付いてきた。

「Nice、小十郎!ちょうど良いところに来た」

「ちょうど良いところに、ではありませぬぞ、政宗様!こんなところで何をなさって……」

そこまで言いかけて、小十郎は言葉を止めた。ゆっくりと歩みを進める政宗が、後ろで引いているもの。あの妙な大八車である。

小十郎の予想通り、政宗はこの大八車の元にいた。今の政宗の興味を引くものと言えば、この不思議な物体が一番に挙げられるだろう。

この大八車を使って、小十郎と政宗は時空を越えた。

そして、過去の真田主従に出会ったのだ。夢や妄想などという類のものではない。よくよく思い返してみても、この身に起きたことは尋常ではなかった。普通に起こり得ないことが起きたのだから。

あれから政宗は、考えごとをすることが多くなった。ふと気付くと、ぼんやりと遠くを眺めて何やら考え伏している時がある。

おそらくは、この大八車の件で思うところがあったのだろう。主のことだから、これを上手く活用して、何か面白いこと――特に自身が面白いと感じることを行おうと考えていえているに違いない。

こんな場所で何をしているのか、という中途半端になってしまった小十郎の問いかけに、政宗は幾分機嫌の良さそうな笑みを浮かべて答え始めた。

「色々と試してたんだ」

政宗は一人でこの大八車を引き、また時空を越えられるかを実験していたらしい。まだこの場にいるということは、その実験は順調にいってはいないということである。順調にいっていても、小十郎としては困るが。

「オレ一人で引いて、坂を走り下りてみたが、どうも上手くいかねーんだ」

なかなか上手くいかない。そう訴える割には、楽しそうな雰囲気である。こういう時の主は活き活きとしている、と小十郎は思う。興味のあるものを前にした時と、そうでない時の落差が激しいのだ。

しかし、上手くいかないというのは何故だろうか。前に時を越えた時には、政宗が荷台に乗って、小十郎が大八車を引いていた。誰かが乗っていないといけないのかもしれない。

「誰かがその上に乗らないと、駄目なのでは?」

「流石、よく分かってるじゃねぇか、小十郎」

小十郎の助言に、政宗はにやりと笑って答えた。政宗もそう考えていたのだろう。だから先ほどの、ちょうど良いところに、という台詞が出たに違いない。

小十郎が苦笑を浮かべていると、政宗は親指で大八車を指した。乗れ、と言っているのだろう。前回とは主従の位置が逆転した状態で、実験してみようと主は考えているらしい。

ここまで夢中になっている政宗を止めるのは難しい。下手に小言を言うと、余計に意地を張って言うことを聞かなくなる。よほど事情がある場合は小十郎も真剣に怒るが、今日は特に主も自身も急ぎの用などない。

ここは、主の気が済むまでやらせるのが得策であろう。飽きれば自然と、普段の生活に戻るはずである。

はっ、と小さく呟いて、小十郎は荷台に乗る。大八車の荷台に乗るという経験は、子供の頃ならまだしも、大人になってからはない。その上では、体勢を崩さないようにするのが案外難しかった。

小十郎が乗ったことを確認して、政宗が大八車を引き始めた。初めはゆっくりと、次第に速度を早めながら坂を下りる。

「うおおぉぉぉぉ!」

必死の形相で政宗は走るが、何も起こらない。ガタガタと大八車が派手な音を立てて続いているだけである。

坂の終わりが見えてきた。政宗は速度を緩め始める。そして、ゆっくりと立ち止まった。ふぃー、と息を吐いて大八車にもたれ掛かる。

小十郎と政宗の2人だけでは、上手くいかないようだ。場所が関係あるのだろうか。しかし、過去と現在を行き来した時には、特定の場所でしか移動出来なかったわけではない。

あの時との違いは何か。そう考え始めた小十郎の脳裏にあるものが浮かんだ。

「政宗様!あの時は確か野菜も載っていたと思いますが……」

「野菜だあぁぁ?」

政宗が口を歪めながら、妙な声を上げた。小十郎の口から野菜という言葉を聞くたび、政宗は何故かこのような怪訝な表情をする。またか、と言いたいかのような反応である。

しかし、これは断じて小十郎の趣味に基づいた発言ではない。過去の記憶を手繰り寄せた結果、野菜が荷台に載っていたことを思い出したのだ。ただそれだけなのである。だが主にしてみれば、小十郎がまた野菜狂いのようなことを言っていると思えるらしい。

それでも、今回の小十郎の言い分は理にかなっていると言えた。前回と同じ状態を保ったままの方が、同じ結果を得やすいと考えられる。政宗もそれには納得がいったらしく、しばらく悩んだ後に、主は野菜を載せる旨を告げた。

そうでしょうそうでしょう、と小十郎は嬉しそうに呟きながら、近くに生えていた野菜を引き抜く。そして、どさどさと大八車に載せた。山積みに近い野菜を見て、政宗は呆れたような顔をしていた。

「……今度はお前が引けな」

「はっ」

主に命じられるがまま、小十郎は大八車の前に立つ。そして、引き手を握り締めた。体力に自信はある方だが、政宗と野菜が載った大八車を全力で引いて坂を駆け下るというのは、案外力を使う。だから気合いを入れて引かねばならない。

小十郎はふとあることに思い至り、おもむろに後ろを振り向いた。そして、台の上に座っている政宗に向かって、笑顔を浮かべて一言述べたのであった。

「しかし、随分な入れ込み用ですな」

「どういう意味だ?」

「これを使って何かしたい、という目的があるように感じますぞ」

目的という言葉を聞いて、政宗は黙り込んでしまった。おそらく、小十郎の予想が図星だったのだろう。その目的がどのようなものか、まだ小十郎には分からない。しかし、何かを成そうとしている主は、時々尋常ではない行動力を発揮するのだ。ちょうど、今回のように。

しばらく沈黙が続いた後、政宗はゆっくりと口を開いた。

「行きたいところがあるんだよ」

「ほぅ、それは一体どこなんです?」

純粋な興味だった。問い詰めるというつもりなど更々ない。主が何を考え、今どこに行きたいと思っているのか、ただ知りたい。それだけだった。

「Ah、オレの未来がどうなってんのか、見てみたいと思ってな」

先ほどより少し長い沈黙を経て答えたその言葉に、小十郎はぎこちなさを感じた。本心を言ってはいない、と直感的に分かる。その顔を見ると、視線がかなり遠くの方へと向いている。小十郎を見てはいなかった。

自分の未来を見たい。そういう理由もあるにはあるのだろう。しかし、さらにその奥に真の理由が隠されているのではないか。人には言えない、何より小十郎に対してさえ言えないような理由が。もしかしたら自身の過去に纏わることかと、小十郎は少し沈んだ面持ちで思った。

そもそも前回は偶然、真田たちの過去へとたどり着いてしまったのだ。行きたいところがあるからといって、その時代に行けるのか、分からない状態である。

そこまで考えて、小十郎は思案を止めた。ぐだぐだと考えていても埒は明かない。取りあえず、また時空を越えることが出来るのかどうか、それが大きな問題だ。

考えるよりもまず行動すべきである。小十郎は両手に力を入れ、両足を構えた。

「それでは参りますぞ」

「OK!Here we go!」

主の掛け声に合わせて、大八車を引いた小十郎は緩い傾斜の下り坂を駆け下り始めた。まだ速度が上がらないので、小十郎の走る力で大八車は動いている状態だ。

しばらくすると、大八車は傾斜に合わせて自然と速度を上げ始めた。こうなれば、小十郎は自らが轢かれないようにするだけである。

坂の終わりが視線の先に見えた。すると、小十郎と政宗の周囲が白く輝き出した。前と同じだ、と思った瞬間、目も眩むような閃光が爆発した。

その後、大八車からこぼれ落ちた数個の野菜のみが、その道に取り残されていた。


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