寸でのところで、少年の自殺行為を止めることが出来た。弁丸が驚きで目を見開いている。突然、少年がこんなことをするとは思っていなかったのだろう。
このまま放置しておくわけにはいかない。そう思った政宗は右手を小十郎に差し出して、声を掛けた。
「こじゅ、じゃなかった、牛蒡郎。ネギ寄越せ」
何故か腰に差していたネギを、小十郎は政宗に手渡した。それを猿ぐつわ代わりにして、少年の口に巻く。
他に猿ぐつわの代わりになるものが思いつかなったのだ。致し方ないとは思うが、ネギというのも場の緊張感をなくすものである。
少年は抵抗する素振りを見せる気力すらないのか、ただなすがままになっていた。しかし、何かを訴えたそうな表情をしている。もしかしたら、ネギについて突っ込みを入れたいのかもしれない。
小十郎のネギを少年の口に巻き、さらに止めとばかりに政宗は脅しを掛けた。
「そいつはな、この牛蒡郎が丹誠込めて作った滅茶苦茶苦いネギだ。噛むと苦みが口ん中に広がって、死ぬより辛い気分になるぜ?」
悪人顔でイヤなことを政宗が告げる。半分は冗談だが、もう半分は本気だ。小十郎のネギは辛い。それが旨いと思えるのは、政宗の味覚が大人として発達しているからで、これぐらいの年齢の子供にはかなり厳しいものがある。
少年は眉間の皺を寄せ、もごもごと何かを喋ったようだが、ネギのせいで上手く聞き取れなかった。やはりネギについて突っ込みたかったのかもしれない。
しばらく呆然としていた弁丸は、大きく開いていた目を細め、わなわなと震えだした。
「掟で死ななくてはならないのならば、俺が直談判に行く!お前を殺すな、と俺が頼む!」
弁丸の唐突すぎる宣言に、政宗たちは驚いた。忍の少年も驚愕で目を見開いていた。その瞳には、驚きだけではない別の感情が揺らいでいる。そう思うのは政宗の気のせいか。
――しかし。
「いや、そりゃダメだろう」
武田家重臣の息子が一人で勝手に家を離れるのは、危険極まりない。何よりその命を狙った忍と、その本拠地に向かうなどというのは、とんでもないことである。
何かあっては困る。もしかして何かあれば、怪我だけでは済まないかもしれない。それに直談判などして、聞いてくれる相手かどうかも分からない。
「お前は真田昌幸の息子だろ?そんな奴が一人でふらふら付いていくのは危険だぜ」
「だが、しかしっ!」
弁丸は涙目になりながら、政宗たちの方を見上げて叫んだ。
「俺一人ではない!」
「なぁに勝手に話決めてんだ、こぉんのアホ真田!」
弁丸が何を言わんとしているか、一瞬で理解した政宗はポカリとその頭を叩いた。弁丸一人ではなく、政宗たちも一緒に連れていこうとしているのだろう。大人である政宗や小十郎がいれば、危険も少なくなる。
どこまで行くのかも分からない旅に付き合うのは、出来れば御免被りたい。政宗も小十郎も、この時代の住人ではないのだ。すっかり忘れていたが、自分たちがいるべき時代へと帰る術を探さなくてはならない。
それに政宗としては、あの真田に勝手に話を決められるのは癪である。癪ではあるが――。
「頼む!」
「あのなぁ、武士がほいほい土下座すんなよ」
がばっと地に伏せて、弁丸が土下座をした。力強い声が洞穴の中で反響する。政宗はしゃがみ込んで、ポンとその頭に手を載せた。これが弁丸の必死の頼みに対する、政宗の答えだった。
ここまで来たら、放っておくことは出来ない。弁丸も、この忍の少年も。後は野となれ、山となれ。進めるとこまで進んでから、帰る術を探せば良いのだ。
政宗の出した答えに納得したのか、小十郎は主とその未来の好敵手のやり取りを眺めて、一人で頷いている。その時、背後から声が聞こえてきた。
「なに勝手に話進めてんのさ」
噛ませた筈の猿ぐつわならぬネギぐつわを、忍の少年はいつの間にか外してしまったらしい。流石は忍といったところである。
ぐねぐねに折れ曲がったネギを近くに投げ捨て、忍はゆっくりと起き上がる。動きが緩慢なのは、やはり体が不調だからだろう。どことなく困ったような表情をして、少年は口を開いた。
「あんたらに来てもらう必要はないよ」
「いや、俺たちにはあるぞ」
面倒そうに言う忍の少年に、小十郎がにやりと意地の悪い笑みを向けた。そして、彼が無理矢理口から外したネギのなれの果てを指さしたのである。
「売り物のネギをそんな風にしちまいやがって。忍の里に乗り込んで、きっちり弁償させねぇとな」
「ええぇぇ!?あんたらが無理矢理やったのに何言ってんの!?それに売り物って今更言っちゃう!?」
小十郎の言い掛かりにも近い発言に、少年は驚きで目を丸くしながら言い返した。あまりにも突っ込み所が多すぎるせいか、素が出てしまっているようだ。
方法はともかくとして、こういう時に小十郎は頼りになる、と政宗は思っている。これまで潜ってきた場の数が違うし、何より大人の余裕があるのだ。普段は野菜のこととなると妙な方向へと突っ走ったり、変に生真面目なボケを発揮したりするが、大事な場面においてはきちんと決める。それゆえに、政宗は小十郎に全幅の信頼を置いている。
小十郎のこの切り出し方は随分と効果的だったのだろう。少年の倦怠的、そして鬱々とした雰囲気が吹っ飛んでいる。
そして、ふとなんとなく気付いた。この少年の雰囲気に覚えがある気がするのだ。この独特の返し方には聞き覚えがあるが、思い出せそうで思い出せない。これはまた後で時間が出来たら考えることにしよう。政宗はそう決めて、少年と小十郎の方を見た。
「このオトシマエはきっちり付けさせてもらうぜ」
小十郎の言い掛かりに便乗して、政宗も忍の少年を恫喝する。特技に近い、意地の悪い笑顔で。
この調子で、弁丸と共に少年の故郷である忍の里とやらに押し掛ける。そして、交渉するなり脅すなりして、少年が掟に従おうとするのを止める。上手くいくかどうか分からないが、とにかく行くしかない。
政宗は無言で弁丸の頭に手を置く。それを合図に、弁丸が大きな声で嬉しそうに叫んだ。
「というわけで、出発だな!」
「ええぇぇ……」
少年が情けない声を上げる。先ほどまでの張り詰めた空気が、全くと言って良いほど消えてしまっている。それは弁丸と小十郎のお陰だろう。弁丸の根っからの明るさと、小十郎の機転。それが雰囲気を変えたのだ。
こうして、忍の里へと一行は出発したのである。怪我を負っているということで、忍の少年を無理矢理大八車に載せた。弁丸がちゃっかりそれに載ってしまったため、政宗は歩かざるを得なくなり、道中頬を引っ張るなどの腹いせ行為に及んでいた。
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