「……っとと、今のは何だ?」

よく分からない現象に巻き込まれたにも関わらず、小十郎は大八車の引き手を離しはしなかった。政宗も大八車から振り落とされることはなかった。

荷台から降り、政宗は周囲を目の前の景色を見る。そして、表情を強ばらせた。政宗と同様に小十郎も驚いているらしく、呆然と立ち尽くしている。

先ほどまで見ていた風景とは異なる場所に、政宗は立っていたのだ。見慣れた景色ではない。

山々に囲まれ、似たような雰囲気ではあるが、決定的に違う。山の色が紅いのだ。いわゆる紅葉が、山を彩っていた。

今は夏が始まったばかりである。夏に紅葉などあるはずがない。どこか全く違う場所に来てしまったのだろうか。

もしかしたら、白昼夢でも見ているのかと思い、頬を抓ってみたがただ痛いだけだった。夢を見ているわけでもないらしい。

ふと後ろを振り向くと、口をぽかんと大きく開けて驚いている少年がいた。その気配すら気付かないほど、自分たちが置かれている状況に驚いていたらしい。

政宗と少年の目が合う。少年は大きく開いた口の形を保ちつつ、声を発した。

「おおおおお、お、お、お」

お前ら、どこから現れた。恐らく、この目の前にいる少年は言いたいのだろうと政宗は感づいた。驚くのも無理はない。突然、降って湧いたように男2人と大八車が現れたのだから。

少年は瞳がこぼれ落ちそうなほど見開いている。どこかで見たことのある風貌だと政宗は思ったが、どうにも詳しく思い出せない。

しかし、ちょうど良いところに人がいた。子供であろうと、ここがどこなのかぐらいは聞けるだろう。そう思った政宗は、少年に話しかけた。

「オレたちゃ怪しいもんじゃねぇ。ここは一体どこか、教えてくれねーか?」

「こ、この妖怪変化め、覚悟おぉぉぉ!」

極めて友好的に振る舞おうとした政宗に向かって、少年は持っていた木の棒を突きつけて叫ぶ。どうやら、妖しの類と勘違いされてしまったらしい。

少年が振り下ろしてきた木の棒を、政宗はひょいと軽く避ける。人の話を聞かない奴だと軽く溜息を吐いて、少年の腕をがしりと掴んだ。その隙に、小十郎が少年の持っていた木の棒を取り上げた。

「落ち着けよ。怪しいもんじゃないって言ってんだろ」

「お、お主らは何者だ!?」

武器を取られても、少年は果敢に向かってこようとする。威勢の良いガキだな、と子供の頃の自分を思い出して、政宗は感慨深く思った。

同じ子供でも、昔の自分とは全く性格が違う。子供の頃の政宗は今の姿からは想像がつかないほど大人しかった。何がきっかけでここまで変わったのか分からないが、随分と内向的で悪く言えば暗い雰囲気の少年であった。いや、今はそんな昔のことを考えている場合ではない。

こういう時にはどう名乗れば良いのか、それが問題である。自分たちが何者なのかを正直に名乗るのは、少し不安があった。一国の主という立場であることを、ここで言う意味もあまりないだろう。

むしろ正体をばらして、面倒なことに巻き込まれるのも御免被りたい。こういう場所では身分や立場を表沙汰にしない方が、動きやすいということもある。

ちょうど野菜を載せた大八車もあるし、それを利用すれば良いと考えた政宗は、小十郎に目配せをした。話を合わせてくれ、と目で訴える。そして、少年に自己紹介を始めた。

「オレたちはな、野菜を売りながら全国を歩き回ってる行商だよ」

「こちらは葱宗様、俺は牛蒡郎という名だ」

にこやかな笑顔でさらりと、とんでもない偽名を小十郎は名乗る。しかも、かなり語呂が悪い。政宗は驚きのあまり、声を上げそうになってしまった。

しかし、ここでそんな名前ではないなどと喚けば、少年も不信に思うだろう。素早く落ち着きを取り戻した政宗は、満面の笑みを浮かべて少年に名乗った。

「そうそう、オレは葱宗ってんだ、よろしくな!」

明るく言い放ちながら、隣に立つ小十郎の足をぐりぐりと踏みつける。少年には見えないように。それに気づいているのかいないのか、小十郎の表情は変わらないので分からなかった。

柄にもなく明るい雰囲気で名乗ったためか、先ほどまでの警戒心丸だしの少年の態度がやや軟化したようだ。ぴりぴりと張りつめた空気ではなくなっている。

こちらが名乗ったのだから、今度は相手が名乗るのが筋である。そう考えた政宗は、少年に名を尋ねた。

「お前は?」

「俺は弁丸!武田家家臣・真田昌幸が子であるぞ!」

はつらつとした表情に堂々とした声で名乗る少年に、政宗と小十郎は思わず顔を見合わせた。

「どっかで聞いたことあるよな、小十郎」

「えぇ、まさかとは思いますが、まさかあの……」

ひきつった笑みを浮かべる政宗に、驚愕の表情で小十郎は答える。武田家に仕える真田昌幸の子で、幼名が弁丸。そんな人物は政宗が知っている限り、この世に一人しかいない。

負けん気の強そうな瞳、きゅっと結んだ唇、日に焼けたように茶色い髪。よく見れば、どれもあの真田幸村の面影を残している。

この子供が幼少時代の幸村であるならば、政宗たちがいる場所がどこなのか。その答えは自ずと出る。そして、それだけではないことも自然と分かる。政宗たちは場所だけでなく、時間も移動してしまったのだ。

政宗と小十郎は自らが置かれている状況を、ようやく正しく把握することが出来た。まさか時空を越えてしまったとは、驚きで声すら出せない。

「時を越えたって、信じられるか?」

「全く信じ難いことですが、そう考えれば納得できることは多くありますな……」

信じられないが、信じざるを得ない。納得すれば辻褄の合うことばかりである。一体、どのような作用が起きて、時空を飛び越えてしまったのか。人知を越えた力が働いているとしか思えない。

夢でないことは、先ほど自らの頬で確認した。これは現実なのだ。今はこの現実を受け入れ、順応する他なかった。

なんつーか、と政宗は頬を掻きながら、目の前の少年を見つめる。

運命の好敵手と見なし、ずっと戦い続けていた相手が子供の姿で目の前にいる。妙な感覚であった。

しかし、弁丸は政宗の視線など気にすることなく、その向こうにある野菜を載せた大八車に神経を集中させているようである。

「そこにあるのは野菜か?」

「野菜でござるか、って言えよ。なんか違和感あんだろ」

政宗はむぎゅぎゅと弁丸の頬を引っ張る。あの男の子供時代は、もっと素直で馬鹿がつくほど礼儀正しいと思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。

「何をする!」

両腕をぐるぐると振り回しながら涙目で挑んでくる弁丸を、政宗は余裕の表情で避ける。弁丸は勢い余って転んでしまった。

2人のやり取りを、小十郎は情けない表情で見守っている。主の精神年齢が目の前の少年と同じぐらいだと分かって、呆れているのかもしれない。

転んだ状態のまま地に伏せ、弁丸は砂にまみれた顔を上げた。そして、ぼんやりと大八車を見つめて独りごちた。

「野菜……。野菜なら、食うかもしれぬ」

ぽつりと呟いた一言が、政宗は気になった。何やら深刻そうな響きを含んでいたからだ。あの真田幸村らしからぬ雰囲気である。政宗は口をへの字に曲げて、弁丸を見つめていた。

ぽんぽんと服に付いた砂を払いながら立ち上がると、弁丸は政宗たちを真っ直ぐ見据えて、大声で頼み始めたのである。

「頼みがある!この野菜を分けて頂きたい!」

「分けて頂けませんかお願いします、ぐらい言ってみやがれ」

「葱宗様、それでは理不尽ないじめっ子ですぞ」

意地の悪い笑顔で弁丸の両頬をむにむにと伸ばしていると、小十郎に葱宗呼ばわりされた。政宗のこめかみの血管がひきつる。しかし、ここで葱宗と呼ばれたことに対して怒るのは、得策ではない。

ぴきぴきと顔の筋肉を強ばらせつつ、無理矢理笑顔を作ろうとしている主の心中など知らず、小十郎は弁丸の目を真っ直ぐに見て問いかけた。

「この野菜が欲しいってのは、何か理由でもあるのか?」

「……う、うぅ」

小十郎自身はあまり意識していないが、普通の男よりも怖い顔つきをしている。年端もいかぬ子供が人相の悪い男に凄まれれば、怖がるのは当然のことであろう。

少し怯えたような素振りを見せたが、弁丸は首をぶんぶんと横に振って自身を鼓舞する。そして、何かを決心したかのように、口を開いた。

「一緒に来て頂きたい場所がありまする」

弁丸は小十郎と政宗に対して、深々と頭を下げる。そのただならぬ様子に、2人は互いに顔を見合わせて頷いた。終生の好敵手からの真剣な頼みを、政宗は引き受けることにしたのである。


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