「ねぇ、何も知らないの?」
戸惑うように、女が尋ねる。
「あぁ、何も知らねぇんだ」
戸惑いながら、男が答える。
2人の間に、冷たい空気が流れた。
teaの道も一歩から
放課後、茶道部の部室には部員たちが揃っていた。前に比べて部室は綺麗になっている。
茶道部を立ち上げるための活動をしていた時に、元就に命じられて元親が部屋の掃除をしたが、それでもしばらく埃っぽさが残っていた。
その後、小太郎が毎日部室に来ては自発的に雑巾掛けなどの清掃をしていたため、部室は見違えるほど綺麗になっていたのである。無理やり入部させられたにも関わらず何故か献身的な小太郎に、部長たる元就は大いに喜んでいた。良い駒が手に入った、と。
元親は小太郎の行動が理解出来なかった。好きこのんで入ったわけでもないのに何故そこまで尽くすのか。部員となったからには、それなりの行動をするという信念でもあるのだろうか。もしかしたら、単に埃っぽいのが嫌だったのかもしれない。そう考えると合点がいく。
いや、今はそんなことを考えて、現実から逃げている場合ではない。元親は意識を目の前の現実へと戻した。
部室の中央に敷き詰められた畳ほどの畳に元親は正座していた。他の部員3名も同様である。そして、彼らの目の前には、艶やかな着物を纏った女性が1人。
その女性こそ、光秀の言っていた茶道に詳しい女性――濃姫であった。濃姫はこの学校の校長・織田信長の妻であり、教師でもある。
風炉に置かれた茶釜からカタカタと音がする。中の湯が沸騰しているのだろう。静まり返った部屋の中に響くのは、この音だけだった。
しばしの沈黙のあと、濃姫は再び口を開いた。
「もう一度聞くけど、茶道のこととか何も知らないの?」
「さっぱり何も分かんねぇ」
部長不在なので、副部長である元親が濃姫に説明しなくてはならない。
茶道部を始めるのに、茶道について知っている部員がいないと聞いて、濃姫は呆れ返っているようだ。そんな濃姫に対して元親は、茶道のさの字も知らない元就がザビーの一言によって茶道部を始めるようになった経緯を伝えた。
説明することで、現状を再認識した元親は頭を抱えたくなった。よく考えれば、無謀にもほどがあるのだ。素人ばかりの集団でどうにかなるわけないだろう。一応、松永という茶の湯に詳しい者はいるのだが、如何せん人間ではない。それに、彼からきちんと教えてもらえるかも疑問である。
濃姫と元親が同時に溜め息を吐く。そんな中、重苦しい空気の読めない馬鹿がいた。
「ふふふ、帰蝶……手取り足取り隅から隅まで教えてくれるとありがたいのですが」
正座をしながら左右に揺れている明智が、何やら不穏な発言をする。明智が言うと変態臭さが8割ほど増す。明智と濃姫は幼馴染みであるらしい。教師と生徒という間柄なのに親しげな口調なのはそのせいだ。
「光秀、ふざけたこと言ってると熱湯ぶっかけるわよ」
濃姫が茶釜を指差して脅す。にっこりと上品な笑みを浮かべて言う台詞ではない。
夫である信長、幼馴染みである明智、義妹である市、その市の恋人である浅井長政――個性に満ち溢れた者ばかりに囲まれているものの濃姫は一見マトモに見える。しかし、それは見た目だけで、実はそうではない。教師としての恐ろしさは、校内でも有名である。
言うことを聞かない生徒、不良生徒などに濃姫は教育という名の鉄拳制裁を容赦なく加える。果ては、着物の中に二丁の拳銃を隠し持っているなどという噂まで流れている。見た目で言えばその筋の者の妻に見えないこともないが、それは流石に事実ではないだろう。
とにかく、キレられたら何が起こるか分からない。こんな人物に教えを請うのは不安だった。元親は既に冷や汗を掻いている。ふざけたことを頼んでいる自覚があるからだ。
「しょうがないわね。一からちゃんと教えてあげるわよ」
苦笑しながら言う濃姫の言葉に、元親はホッと胸を撫で下ろした。怒り出さなくて良かった。
濃姫はただ単に恐ろしいだけでなく、それなりに面倒見の良い教師なので、普通の生徒からはお濃先生と呼ばれて親しまれていたりもする。普通にしていれば良い先生なのだ。
「ははは……!私のためにありがたい!」
「貴方が頼んだから来たわけじゃないのよ。可愛い義妹のためなんだから」
明智を柄杓で殴って、濃姫は市の方を見た。義姉の視線に気付いた市は、無言でこくりと頷く。
どうやら明智だけでなく、市も濃姫に頼んでいたらしい。だから、呆れながらも苦笑しながらも、指導を引き受けてくれたのだろう。
重苦しかった空気がいつの間にか消えていた。濃姫は人差し指をピンと立てて言う。
「そんなに焦る必要はないのでしょう?ゆっくり覚えていけば良いわ」
濃姫の言うとおり、分からないことは少しずつ学んでいけば良い。急いで完璧に茶の湯の作法を覚える必要はないのだ。
その時、ガラリと部室の戸が開いた。
「……戻ったぞ」
心なしか顔色の悪い元就が、部室の中に入ってきた。部長である元就は、生徒会室に呼ばれていたのだ。茶道部の認可を貰うために提出した書類のことで話があるとのことで。
「おぅ、どうだった?」
明るい表情で尋ねる元親に、元就はゆるりと視線を向ける。冬の北風のような冷たさと鋭さを伴った視線だ。何か不味いことでもしたのだろうか、と思ったが元親には心当たりがない。
ならば、ただの八つ当たりである。そこから嫌な予感がヒシヒシとしてきた。
「これから2週間で、茶道のイロハを全て身につけるぞ」
どんよりとした口調で言う元就の言葉に、元親は驚いた。小太郎も何も言わないが驚いているようだ。明智と市はいつもと大して変わりない。内心ではどう思っているか分からないが。
しかし、かなり急な話である。一体何があったのか。きっと、ろくでもないことに違いない。元親は渋面で生徒会の面々の顔を思い出していた。
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