まずは4組に行くことにした。佐助のクラスは5組で、そのすぐ隣にあるのは4組。そこには幸村とかすががいる。幸村はともかく、かすがなら英和辞典を持っているに違いない。
歩いて数秒で辿り着いた4組の教室に、幸村は見当たらなかった。他のクラスからクラスへと、放浪でもしているのだろうか。
幸村はさておき、佐助は椅子に座っているかすがの元へと駆け寄っていった。
「ねぇねぇ、かすが!英和辞典持ってる?」
「持っている……が、お前には貸さないぞ」
まだ本題に入ってもいないのに、佐助の言わんとしていることを看破したかすがは容赦なく拒否する。相変わらず佐助には手厳しい。
しかし、そんなことでめげる佐助ではなかった。小太郎と同じように、かすがとも付き合いが長いのだ。その性格を完璧に熟知していると言っても過言ではない。
「そんなこと言わないでさ、頼むよー。貸してくれたら、上杉センセがこっそり写ってる写真あげるよ」
かすがの耳がピクリと動いた。困った時の上杉頼み――かすが限定の裏技だ。上杉という言葉を出せば、かすがは佐助の思った通りの反応を示してくれる。
なんだかちょっと悔しい気分になるが、これも辞書を借りるためだ。そして、思っていた以上に、上杉効果は抜群だった。
「仕方がない、今回だけだからな」
ソワソワとした仕草で顔を赤らめながら、かすがは英和辞典を取り出す。写真は今度持ってくるよ、と言いながら佐助は受け取り、中身を確認し始めた。
佐助はパラパラと辞書をめくっていく。ページが進むにつれて、その顔も険しくなっていった。
120%ほど美化された上杉の似顔絵や、余白に書かれた謙信様LOVEの文字と乱舞するハートが、佐助の目の前を通過していったのだ。挙げ句の果てには、beautifulだとかwonderfulといった単語に、謙信様という新たな項目がこっそり追加されていた。
佐助は笑顔をひきつらせながら、パタンと辞書を閉じた。
「どうした?」
「いや、なんかさ、うんと、これさ、なんか色々書いてあんだけどさ」
困惑気味に言いながら英和辞典を返すと、かすがは真っ赤な顔をしてそれをひったくった。そして、慌てて中身を確認する。本人も書いたことをすっかり忘れていたらしい。
「こ、これは貸せん!」
今さら隠すことでもないと思うが、かすがは心底恥ずかしがっている。乙女心は複雑怪奇だ。
佐助にしても、こんな上杉への愛にまみれた英和辞典を使いたいとは思わない。もし片倉にこの辞書を見られでもしたら、あらぬ疑いをかけられる恐れもある。あの強面の教師は生真面目な分、変なところで馬鹿なのだ。
どうしようもないので、佐助は他の知り合いから借りることにした。
「取り敢えず他あたるよ……っと、ついでにコレあげる」
佐助はにっこり笑いながら、飴を3つほど差し出した。例のチョコみそカレー味キャンディである。
茶色の包み紙には何も書かれておらず、見ただけではどんな味かは分からない。だから、何も疑わずに受け取ってくれるだろう。
差し出された飴を見たあと、かすがは佐助の方を見つめていた。特に何をしたわけでもないのに、突然飴をくれた佐助にかすがは少し戸惑っているようだ。
「あ、ありがとう」
「どう致しまして」
しばらくして、かすがは飴を受け取った。素直にお礼を言うなんて珍しい。貴重な体験だ。少しだけ罪悪感をおぼえつつも、佐助は4組を後にした。
次に向かうは3組である。3組には元親と元就がいる。元親は英和辞典など持っていないかもしれないが、優等生の元就ならば持っているだろう。彼から借りるのは至難の業かもしれないが、玉砕覚悟で当たってみることにした。
3組に入ると、向き合って座っていた2人を見つけた。佐助はにこやかに声をかけようとして止まった。2人は何かを真剣に話し合っているようだ。
いや、少し違うみたいだ。身振り手振りを使って説明している元就に対し、元親はウンザリとした表情を向けている。
「ねぇねぇ、お邪魔しちゃって悪いんだけどさ」
「おぅ、なんだ?」
佐助が話しかけると、元親は地獄で仏と言わんばかりに顔を輝かせた。やはり、元就に一方的に何か言われていたのだろう。
そんなことは、今の佐助にとってどうでも良い。英和辞典を持っているかいないか確認し、それを貸してもらうよう頼むのが目的なのだから。
ぱん、と佐助は両手を顔の前で合わせて頼み始めた。
「どっちでも良いからさ、英和辞典貸してくんない?」
「俺持ってねぇよ、そんなの」
元親は予想通り持っていなかったようだ。ならば、元就はどうだろう。佐助は視線を元就に向ける。
「我は持っておるぞ、猿飛」
愉悦と優越感に満ちた笑みを浮かべて、元就が答えた。流石は竹中と学年トップを争う優等生である。
早速拝み倒して辞書を借りようと佐助が口を開きかけた時、元就がとんでもないことを言い出した。
「……が、借りたいと申すならば、我と共に偉大なるザビー様の元に下るが良い」
佐助は情けない顔をして、元親を見つめた。その視線に気付いた元親は、サッと目を逸らした。なんだ、なんなんだ一体。
学年内でも切れ者と呼ばれている元就は、どうやらおかしな方向へ頭がキレてしまったらしく、しばらく前からザビー先生に心酔するようになったという噂を聞いた。しかし、ここまでとは佐助も思わなかった。
あの片倉に怒られるか、それともザビーの信者になるか、究極の選択にもほどがある。しかし、たかが英和辞典一つのために、これからの学生生活をザビーに捧げることになるのも馬鹿らしい。ここは丁重に断るべきだろう。
「あー、悪いけどそれはちょっとなぁ」
「ならば、辞書は貸せぬ」
ですよねー、なんて言いながら佐助は苦笑した。これ以上毛利に食いついたら、元親と同じようにザビーの話を延々と聞かされかねない。
「なんだか邪魔しちゃってゴメンねぇ」
「いや、ザビー先生について一方的に語られてるだけだから、あんま気にすんなよ」
元就が元親に対して、一生懸命話していたのはザビーのことだったらしい。それは嫌になるだろう、と思わず元親に同情してしまう。
そんな元親の反応が、元就の気に障ったようだ。
「長曾我部……貴様、ザビー様を愚弄するつもりか?」
「まあまあ2人とも、お詫びにコレあげる」
2人の間を仲裁しつつ、佐助はポケットから例の飴を取り出した。2人だから、6つほどあげれば十分だ。
佐助の飴を見て、元親は目を輝かせた。元就も一瞬にして機嫌を直したようである。現金だなぁ、と佐助は思ったが口にはしなかった。
「お、悪ぃな!ちょうど甘いモンが食いたかったんだ」
「気が利くではないか。流石は生徒会室の母と呼ばれるだけはある」
どんな呼ばれ方だよ、と突っ込みたかったが、のんびりしている暇はない。さっさと次に向かわなくては、休憩時間が終わってしまう。
再びザビーの素晴らしさを語り出した元就と、再びそれを聞かされ始めた元親に手を振りながら、佐助は3組を後にした。
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