……事実は小説より奇なりって言葉があるでしょう。
ふふふふ、結構有名ですよね。
でも、小説の方が事実より奇であると私は思うのですよ。
なんたって、作者の好きなように世界を構築出来るんですからねぇ。
何故そんなことを言うかって?
それは私がこの世界の構築者だからですよ。
…………ふふふ、お茶目な冗談ですって。
読書日和で秋の空
伊達政宗は湯気の立つコーヒーを、銀色のスプーンでクルクルと掻き回した。ミルクや砂糖を入れているわけではないので、これはほとんど意味のない動作である。
意味のないことだけれども、何かしていないと落ち着かない。政宗はそんな居心地の悪い状態にあった。
「時々1人でこそこそどこへ行ってるかと思ってたら、ここだったんだねぇ」
ニコニコ笑顔で目の前の席に座っている男に、政宗はコーヒーをかき混ぜながら軽く溜め息を吐いた。
201号室で奇妙な共同生活を始めて以来、政宗の胃と頭はストレスに苛まれ続けている。右に変人、左に変人と見渡す限り変人しかいないため、比較的常識人である政宗には我慢ならないことばかり起きるからだ。
そんな連中ばかりに囲まれて自分までおかしくなりそうだとか、息が詰まりそうだとか、そんな理由から政宗はおだわら荘から一時的に避難出来る場所を求めた。
そして現在、政宗の理想的な逃避先がここ、喫茶・本能寺となっていた。
寡黙で厳つい店主の入れる甘さと苦さの絶妙なコーヒーに味覚から癒され、店内に流れる和風の静かな音楽に聴覚から癒され、華やかな着物を纏った女性店員の美しい姿に視覚から癒される。そんな至福の時間を過ごせるのは、この店だけだった。
だから、周りの変人連中に見つからないように政宗は細心の注意を払って、毎回この店にやって来ていた。気付かれたら、この政宗の心のオアシスは侵食を受けて、たちどころに崩壊してしまうだろう。
――それなのに。
「良い店だよねぇ。今度みんな誘って来ようか」
「うっ……」
佐助にしてみれば全く悪気のない、むしろ皆の交流を深める良い機会になるだろうといった親切心からの発言なのだろう。
しかし政宗にしてみれば、心のオアシスを破壊しに来たインベーダーの侵略宣言にも近いものである。
それは止めてくれ――そう言いたいが、上手く言いくるめられそうな術が思い付かない。しかも、相手は弁の立つ佐助である。
しかし、何故佐助がここにいるのか。先ほど店に入って注文し終えた後のまったりとした時間に、突然この男は姿を現した。偶然、と考えるには出来すぎているとしか思えない。
そんなことを考えていると、不機嫌さが自然と表に出てしまったようだ。ムスッとした顔で俯いている政宗に、佐助は大きく伸びをしながら訊ねた。
「なに、もしかしてこっそり尾行してきたの怒ってる?」
尾行、という言葉を聞いて、政宗の頬がピクリと動いた。先ほどの謎は氷解した。なるほど尾行か、と政宗は復唱して頷く。
佐助のうっかり迂闊なネタばらしによって、政宗の新たな怒りの要素が追加されることになった。
後をこそこそつけ回されたりして、気分の良い者などいないだろう。それがあまり表沙汰にしたくないと思っていることなら、尚更である。
「へぇ、尾行してきやがったのか?」
「そうそう、みんなさ伊達の旦那がいつもどこに行くのか不思議がってて、実は彼女が出来たんじゃないかって疑っててね」
「ほー」
「で、一度追ってみようって話になって、今日は俺様の番だったってワケ……」
身振り手振りを交えて話すうちに、佐助は地雷を踏んだことに気付いたらしい。この集団の中で佐助は、比較的空気を読むことには長けており、そういうことには敏感なのだ。
この機に、日頃溜めていた怒りを佐助にぶちまけてしまおうか。佐助なら他の連中と違って、真面目に受け取って考えてくれるかもしれない。
佐助にとっては堪らないかもしれないが、尾行してきたことに対してのちょっとした仕返しというものである。大人しく犠牲になってくれ、と密かに思いながら、政宗は佐助の目を見つめ、口を開いた。
「なぁ、猿飛」
「ちょ、ちょっとストップ!それ、その呼び方さ!」
腹に据えかねた政宗が怒りをぶちまけようとした瞬間、普段と様子が違うことに聡く勘づいた佐助は慌てて話題を逸らそうとした。
咄嗟のことであったが、機転の利く佐助は政宗の言葉の端を利用して、自分に怒りの矛先が向くのを阻止しようと考えたようだ。
いきなり出鼻を挫かれてしまった形の政宗は言葉を続けるのを止めて、佐助の話を先に聞くことにした。
「あのね、猿飛じゃなくて佐助でいいよ、ていうか佐助の方がしっくり来るからそっちで呼んで、お願い」
そうまくし立てて、佐助は両手を合わせて片目を瞑る。
なんとも必死な頼みに、政宗は先ほどと同じような居心地の悪さを感じた。これを無視したら、なんだか自分が凄く悪者のような気分になりそうだ。
実際、4月から妙な共同生活を始めて、そろそろ半年ぐらい経つ。別に仲が悪いわけではないのに、名字呼びなのは違和感があるのだろう。
別に佐助を名前で呼ぶことに抵抗などない。ならば、佐助の頼み通りに呼んでやっても良いだろう、と政宗は早速実行した。
「じゃあよ、佐助」
「でね、俺様伊達の旦那って呼んでたけどさ、それじゃなんか他人行儀すぎると思わない?」
間髪入れずに、政宗の言葉を佐助は遮る。まだあるのか、と政宗は訝しげな表情をする。
しかし、確かに佐助の言う通り、伊達の旦那という呼び方はなんだか他人行儀すぎると政宗も思った。旦那、と呼ばれるような柄でもないのだ。
「だからさ、こう呼んで欲しいっていう呼び方ってある?」
「Ah、別に特に呼んで欲しいってのはねぇけどな」
腕を組んで考えながら、政宗は答えた。別にこれが良いというようなあだ名など、これまで考えたこともない。
佐助は身を乗り出して、人差し指をピンと立てつつ、いくつかの案を挙げ始めた。
「じゃあさ、伊達っちなんてどう?」
「どこかのegg型携帯gameみてーだからヤだ」
「じゃあ、まさやん」
「まさやん、ってお笑い芸人じゃあるまいし」
「じゃあ、政宗殿おぉぉぉ!」
「うっぜえぇぇぇ!真田が2人になったみたく思えるからNo!」
「じゃ、まさぴょん」
「喧嘩売ってんのか?」
白熱してきたせいか、次第に2人の距離が縮まっていく。傍から見れば、ちょっとしたコントにも見える。
カウンター越しに、着物姿のウェイトレスが笑っていることなど、2人は気付いていなかった。
「アレもやだ、コレもやだって、じゃあ何が良いってんのさー?」
椅子の背もたれにドカリとその背を預けて、佐助は口を尖らせながら文句を言い始めた。
政宗はテーブルに肘をつきながら、片手で頭を抱える。
「お前、naming senceなさすぎだろ」
「失礼だなぁ、俺様こう見えてもあだ名付けに関しちゃ天才的だったんだよ」
「あーもういい、マサで良い!simple is bestだろ」
「マサねぇ、んじゃまーさんね」
「OK、好きに呼んでくれ」
ようやくあだ名談義に決着がつき、政宗はぐったりと弛緩した。
完全に佐助のペースにハマってしまった政宗は、怒りをぶつける機会を逸してしまった。
更に言うなら、佐助の提案するあだ名の酷さに脱力感を感じて、それまでの怒りもどこかに行ってしまっていたが。
政宗は少しだけ姿勢を崩して、コーヒーを口に運んだ。やはりここのコーヒーは逸品だと思う。
政宗の機嫌が直った、というよりも怒るのを諦めたらしい雰囲気を感じ取った佐助は、再びいつもの調子で他愛もない話をし始めた。
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