「ねぇねぇ、まーさん」

「Ah、なんだ?」

まーさん、という呼ばれ方に、政宗はこそばゆさを感じた。まだ幾分慣れていないせいだろう。

「恋ってしたことある?」

全く予期していなかった佐助の質問に、政宗は口に含んでいたコーヒーを思わず吹き出しそうになってしまった。

突然、なんて質問をしてくるのだ。政宗はそう考えながら、慌ててコーヒーカップを下に置いた。

脳内にいつも恋の花が咲き乱れている慶次のアレが感染してしまったのだろうか。いや、それにしても突然すぎる。

「いっ、いきなり何だよ突然?」

気管にコーヒーが入りかけたようで、話そうとすると少しだけ苦しくなった。聞き終えた後、政宗はゲホゲホとむせてしまった。

そんな政宗の様子を、若干愉快そうに眺めていた佐助は、手をぱたぱたと振りながら説明を始めた。

「いやね、最近読んでる本があるんだけどさ」

隣に置いてあったリュックの中から、佐助は一冊の本を取り出した。

ハードカバーのなかなかしっかりとした本である。

「かすがが読んでて面白いって言っててね。俺も借りて読んでみたらさ、もうすんげーハマっちゃってさ」

『天地葬送』というタイトルのその本を、佐助はハイと政宗に手渡した。

受け取った本を、政宗はしげしげと眺めた。装飾の派手な本だな、というのが第一印象である。

HIDEという作家が書いているらしい。名前から考えるとどうやら男らしいが、装丁にピンクやら赤やらの花が乱舞しているので、もしかしたら女性なのかもしれないと政宗は思った。

かすがと佐助が読むものとは、一体どのようなジャンルなのか。聞かなくてもなんとなく想像はつく気がするが。

「どんな本なんだ?」

「恋愛モノなんだけど、凄く繊細で柔らかくて、なんていうか胸にいろんなことがジワジワ広がるんだよね」

「へぇ、内容はどんな感じだ?」

珍しく政宗が興味を持って食いついてきたのに気を良くしたのか、佐助は嬉しそうに詳しい内容を語り出した。

話の筋としては、恋人同士の男女がいて、男の夢のために2人は別れなくてはならなかったという悲恋を描いたものであるという。

「最後さ、女の方がし……」

「Stop!ネタばれすんなよ」

まだ読んでない本の結末を知らされることほど、嫌なことはない。

「作者は男なのか?にしては、なんか本の見た目がアレだがよ」

「俺は絶対女の人だと思うんだよね!だって、こんなに女心に詳しい男なんていないっしょ」

ぽわわんと夢見心地で佐助は語る。正体の知れない作家に対する憧憬があるに違いない。そして、佐助の言う女の人の前部分には『綺麗な』という形容動詞が隠されているのだろう。

一人でにやにやしている佐助のことは放っておくことにして、折角だから読んでみるか、と政宗は手にした本を眺めながら考えていた。季節柄、読書するのも良いかもしれない。

誰かの薦めで本を読むというのも、政宗にはこれまでなかった経験だから、少しだけ嬉しくもある。

過去一度だけ、小十郎から家庭菜園にまつわる本を薦められたことがあったが、それはカウントしていない。したくない。

パラパラと少しずつページを捲る。流し読み程度に読んでいると、最初の方は男女の出会いが書かれているのが分かった。

――最初の出会いは、海。二度目はひっそりとした喫茶店。

その2文に政宗はとても心を惹かれた。同じように喫茶店にいるのに、目の前にはにやついた男が1人。何か凄く悲しい。

読み進めていくと、女の方は普通に働いているが、男は文筆業を営んでいるらしいことも分かった。

そして、政宗はしばらく無言になって本を読み耽ってしまった。読み易くて、ついつい夢中になる文章なのだ。

その時、突然斜め背後から声を掛けられた。

「あぁ、貴方は……」

知らない声だったが、その声は多分自身に向けて発されたものだと感じて、政宗は体を捻って後ろに向き直った。

その瞬間、手にしていた本をバサリと床に落としてしまった。そして、そのままの姿勢で固まったまま、声の主を見つめていたのである。

目の前にいる、真っ白な長い髪が印象的な男。あの島で見た、得体の知れない存在と瓜二つであった。

政宗は本気で混乱していた。あそこで見た人間ではない何かが、こんな場所にいるわけがない。こんな場所で普通の服を着て立っているわけがない。

しかし、目の前にいる男は海の中の幽霊そのものである。アレは実は生身の人間だったのか。それとも、目の前にいる男が生身の人間ではないのか。

政宗は男を指差し、震える声で訊ねた。

「あああああんた、島の、海の中に、夜中にいたやつ、か?」

「おや、私のことを覚えていてくださったのですね……あんな一瞬のことだったのに」

政宗は愕然とした表情で固まった。あんな衝撃的な光景など、忘れたくても忘れられる筈がない。

政宗の尋常ではない様子に気付いた佐助は、男に何事かと訊ねた。

「とある島で真夜中の海中遊泳を楽しんでいた時に、この方を見かけましてね……」

「真夜中の海中遊泳っすか」

「真夜中に散歩だなんて、珍しい趣味をお持ちの方だと思って、私も覚えていたのですよ、ふふ」

「いやいやいや」

自分のことを棚に上げすぎでしょ、と言いたいところを佐助はグッと堪えた。真夜中に海中遊泳などを楽しんでいる人間がまともだとは到底思えない。

ようやく男の呪縛から解放されたように、政宗は再び口を開いた。先ほどまでの怯えた様子も消え、すっかり落ち着いているようだ。

「ってコトは、あんた普通の生きてる人間なんだよな?」

「生きている、ということがどういうものか、個々の考えによって異なると思いますが……まぁ、私は死んではいませんがね」

哲学めいた屁理屈を捏ねる男を一瞥し、政宗は落ちたままになっていた本を拾い上げた。全く紛らわしいことをする男である。



2/10
*prev  next#

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -