「…………」
上杉に言われて、台の上に置かれたパンに手を伸ばそうとすると、背後から突き刺さるような視線を感じた。またか、と政宗は心の中で溜め息を吐いた。
視線の主は政宗と同じくこの店でバイトをしている、かすがという女性だ。歳は政宗とそう変わりはしない。
どうやらかすがは、上杉に恋をしているようである。しかし、ただの恋する乙女というだけならば害はない。問題はその行動だ。
上杉に近付こうとする者は誰であろうと、容赦なく排除しようとする。相手が上杉に恋愛感情を持っていようがいまいが関係ないらしい。店長の周りに自分以外の人間がいるのが気にいらないんだろ、ともう一人のバイトの男が言っていた。多分そうなのだろう。
かすがと初めて顔を合わせた時、まず睨まれた。謙信様に惚れるなよ、と擦れ違い様に言われた。誰が惚れるか、と心の内で突っ込んだ。また、バイト中に何か上杉と関わることがあれば、殺気に満ちた視線を向けてくる――ちょうど今のように。
あまりにも鬱陶しいので、一度本気で文句を言ってやろうと思ったこともあった。
しかし、開店当初から働いているベテランでもあり、何より女性なので強気に出ることが出来ないのだ。それに上杉が絡むことでなければ、普通のバイト仲間として接してくる。
結局、何も言えずに今も一緒に働いているのだった。
佐助がニヤニヤ笑っていた理由は、かすがのこと知っていたからだ。バイト初日を終えて佐助に文句を言ったら、人生そんなもんよ、と色々悟りきったような言葉ではぐらかされた。全く意味が分からない。
そんなやり取りを思い出して、政宗は再び軽く溜め息を吐く。そして、パンへと伸ばした手を止めて、かすがの方へと向いた。
「あー、今俺腹減ってないんでドウゾ」
全く感情の籠っていない声で、政宗はかすがに話し掛ける。腹が減っていないわけではない。むしろ、少し何か食べたいと思っていたぐらいなのだ。
しかし後々の事を考えると、かすがに譲っておいた方が得策である。上杉から直々に声を掛けてもらって、パンまで貰えそうになっていた政宗に対して、後日どんな報復をするか分かったものではない。
「謙信様っ!伊達はいらないそうなので、私が頂いても良いですか!?」
政宗の言葉にかすがは目を輝かせた。そして、愛する上杉に確認を取ることも忘れない。ちょっとした事でコミュニケーションをとるというのは、片想い中の乙女であれば当然の行動だ。
よいですよ、と上杉から許可を貰ったかすがは、ビニール袋を持って政宗の方に近付いてきた。そして、その袋の中にパンを手早く突っ込む。どうやらテイクアウトするらしい。
かすがが隣に来た時、政宗は少しだけ反撃のつもりで睨んでみた。それに気付いたのか、かすがも睨み返してくる。
上杉は2人の険悪な雰囲気に気付いていないのか、一人せっせとパン生地を練っていた。
――そんな微妙な空気が厨房に流れる中。
「だああぁぁあぁ!?」
突然、売り場から叫び声が聞こえてきた。またか、と疲れた表情で溜め息を吐いた政宗は急いで売り場に向かった。
叫び声の主はレジ打ちをしているもう一人のバイトであった。名を長曾我部元親という。
カウンターに置かれたレジをがちゃがちゃと忙しなく触っている元親に、政宗は声を掛けた。
「また壊れたのか?」
「おぅ、言うこときかなくなっちまったんだよ、コイツ。値段が入力できねぇ」
ちょうど客が途切れていたのが不幸中の幸いだ。レジの故障で客を待たせるわけにはいかない。
レジ前は狭いので、大の男が2人も入ると身動きが取れなくなる。元親をまず退かしてから、政宗はレジ前に入った。そして問題のレジを確認するために色々と打ってみる。
何回か試し打ちをしていた政宗の顔が次第に険しくなってきた。粗方確認し終えると、不機嫌そうな表情で元親を睨んだ。
「……おい、全然大丈夫じゃねぇか!No problemだぜ!」
「の、のーぷろって何だ?いや、んなことより大丈夫なのか?」
値段の入力は問題なく出来る。他に異常も見られない。その事を告げると、元親は訝しげな顔でレジを覗き込んだ。目の前で正常に動いているレジを見て、渋々納得したようである。
一体レジの何処が悪かったのか。勘違いだったのかもしれないと楽観的な性格の元親は考えて、再び仕事に戻ることにした。
元親と交代するために、政宗はカウンターから出ようとする。ちょうど元親もレジに戻ろうとカウンターの中に入ってきた。
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