肩を震わせて、毛利はゆっくりと口を開いた。

「貴様あぁぁ!?我の手帳を勝手に見たのか!?プライバシー侵害罪で、貴様をこの崖から落としてやろうぞ!」

元親が庇ったことに驚いたわけではなかったようである。勝手に手帳の中を見られたということに驚きと怒りを感じていたらしい。

怒りでこめかみに青筋を立て、毛利は憤怒の形相で元親を睨みつけた。そのまま近付くと、毛利は元親の首根っこを引っ掴む。そして、元親を崖の方へとずるずる引きずっていった。

これは拙い。政宗の目の前で、今まさに事件が起きようとしている。なんとしても、阻止しなくてはならない。

「お、落ち着け毛利!それはアンタの体だ!落としたら一生元親のままだぞ!」

「……っ!」

政宗の必死の制止により、毛利は元親が自分の体になっていることを思い出したようだ。ギリギリと憎しみを込めた視線を元親に送り、ひときわ低い声で呟く。

「元に戻った暁には覚悟するが良い、長曾我部……!」

なんとか毛利の凶行を阻止することは出来た。元親は掴まれた首元を擦っている。あのままであれば、毛利は本気で元親を崖から突き落としかねない勢いだった。

しかし、元の姿に戻った際に元親の身に何が起きるのか。それも不安である。毛利の口ぶりからするに、ただ事では済まないような気がする。これも勝手に手帳の中に入っていた紙を見てしまったということから来ているので、自業自得を言っても仕方のないことであるが。

はぁ、と政宗は大きな溜め息を吐く。

「取り合えず聞きたいんだが、アンタここで何してたんだ?」

毛利は一体ここで何をしていたのか。そして、何故橋が燃え落ちたのか。それをまずは確認しなくてはならない。

政宗が問うと、毛利はびくりと体を震わせた。その妙な態度に、不信の念を抱かざるを得ない。眉を潜めて見つめていると、毛利はゆっくりと口を開いた。

「わ、我は日輪を崇め奉らんとだな……」

ここはかなり日照の良い場所だったようで、不貞寝に飽きた毛利はふらふらとやってきたらしい。まるで火に惹きつけられる夏の虫のようである。そんな感想を口に出すとまた事態がややこしくなるので、政宗は心の中で呟いた。

政宗に心の中で虫呼ばわりされたことなど知らない毛利はごそごそと懐を漁り、大振りの手鏡を取り出した。

「この照日大鏡に日輪の光を集めておったのだが」

照日大鏡などと大層な名を付けられた手鏡に、キラリと光が反射した。見た目は普通の手鏡である。これに日光を集めると何かが起きるのだろうか。毛利の行動原理が政宗には理解できない。古い付き合いの元親にも分からないだろう。しかし、それを理解したら人として戻ることの出来ない境地に達してしまうに違いない、と政宗は密かに思っていた。

訝しげな表情をしている政宗を意に介することなく、毛利は説明を続ける。

「それがどうやら橋の方に反射していたようで、突然火がついてしまったのだ」

「ついてしまったのだ、じゃねええぇぇ!犯人テメェじゃねぇかあぁぁ!?唯一の橋燃やしてどうすんだよ、このアホおおぉぉ!」

毛利の淡々とした自供に、政宗は全力で突っ込んでしまった。橋を落とした真犯人はやはり毛利だったのだ。故意でなかったのは幸いだが、なんともお粗末な理由である。

しかし、手鏡に反射した日光で燃え尽きてしまうとは、あの橋も耐性に問題があったような気がする。ただ、火が着くほど長時間日光を当てていた毛利が悪いのは明白なのは間違いない。渋面の政宗が毛利を呆れた目で見つめる。

「こ、こんなことになるとは……計算してないぞ」

「計算も何も、理科の実験以下じゃねえか」

少し狼狽したような声で言う毛利に、政宗は気抜けしてしまった。起きてしまったことは仕方がない。後で毛利をからかうネタにはなるだろうが、今はこの状況を何とか打開しなくてはならないのだ。

他所へと繋がる唯一の橋がなくなってしまったが、幸いにもまだ電話は通じる状態にある。いざとなれば助けを呼ぶことも出来るのだ。そうは言っても、帰宅がさらに困難になったことは言うまでもない。

「これだと、すぐにゃ帰れねぇな」

「取り合えず、宿のヤツに報告しとくか」

腕を組んで呟いた元親に、政宗が声を掛ける。毛利の仕業とはいえ、一応起きたことを宿の従業員に報告はしておかなくてはならない。宿の従業員という単語を考えた時、政宗はふと今川の身が心配になった。

あの橋が渡れなくなったため、救急が駆け付けることが出来なくなってしまったのではないか。宿の方に救急車が来た気配もまだない。今川の容体が悪ければ、かなり危機的な状況と言える。宿の従業員が総出で騒いではいないので、まだそこまで大変な状況になっていないのかもしれない。

政宗は眉間に皺を寄せ、建物の方へと歩いていく。その後を元親と毛利がついてきた。とにもかくにも、毛利のせいで事態が悪化したことは事実である。いつ何時、自分が被害に遭うかも分からない。自分自身だけでなく、他の3人が遭う可能性もあるのだ。

不意に政宗は立ち止まる。前方からこちらに向かって走ってくる人物が見えたからだ。

「犯人が分かったでござるううあぁぁあ!」

絶叫が周囲に響いた。聞き慣れた声である。政宗は穴があったら潜り込みたい気分になった。あの馬鹿だ。あの馬鹿が全身の力を込めて叫んでいるのだ。

どたどたと大きな足音を立てて駆けてやってきたのは、政宗の姿をした真田であった。この場に姿を現したということは、現場検証というのが終わったのだろう。

「分かったってマジかよ!?どこのどいつなんだよ、犯人は?」

驚く元親に、真田はこくりと頷いた。元親は真田の言をまともに受け取っているらしい。また碌でもない推理が始まったと政宗は思っているぐらいである。

元親の反応に気を良くしたのか、真田はシュバッと腕を真っすぐ伸ばした。そのまま人差し指を突き出すという、明らかに探偵を意識したポーズを決める。そして、高らかに叫んだ。

「犯人は……この宿に隠れ住んでいる殺人鬼でござるああぁぁあ!」

殺人鬼。その言葉に政宗の心臓が飛び跳ねそうになった。自身が泊まっている部屋のことを思い出したのだ。あの部屋の酷い状態は殺人鬼の仕業ではないかと冗談交じりに考えていたのだが、陰惨な事件が立て続けに起きているので、実際にそんな人物がいてもおかしくないように思う。

まさか自分の部屋の惨状を見られたのだろうか。政宗は少し心配になる。この状況であまり余計な不安を煽りたくない。だから、自分の部屋のことは話に出したくないのだ。

少し掠れた声で政宗は真田に尋ねた。

「ど、どういう理由でそんな推理になったんだよ」

「殺人事件と言えば、殺人鬼でござろう!こうチェーンソーのようなものを持ち、ホッケーで使うお面を被ったような……」

真田の説明を聞いて、政宗は引きつった笑みを浮かべた。先日テレビである有名な洋画が放映されていたが、真田はその影響を諸に受けているのだろう。その映画を見た真田が興奮していたのをよく覚えている。

真田は何の根拠もなく、テレビで見た映画に感化されて殺人鬼説を上げていたのだ。自身の泊まっている部屋が見られたわけではなかったようで、政宗はホッと胸を撫で下ろした。そして少しからかうような軽い口調で真田に告げる。

「こんな日本の宿でJasonはねぇだろ」

「むううぅ、そうでなければ我々眼帯友の会と敵対する組織、覆面友の会の仕業では!?」

「覆面友の会ってなんだよ!どっからそんなのが湧いて出やがった!?」

うんざりとした表情で政宗が突っ込む。眼帯友の会の存在などすっかり忘れていたのだが、真田はこの名称をかなり気に入っているようだった。勝手に妙な敵対組織まで作ってしまうほど、その名称が心の琴線に触れたらしい。

迷探偵・真田の推理はやはりどこかズレている。というよりも、当てるつもりなど端からないのかもしれない。呆れたような表情で真田を見ていると、隣に立っていた毛利が不意に口を開いた。

「いや、日輪友の会と敵対する月輪友の会の……」

「もういい!畳み掛けんな!」

毛利の呟きに、政宗は頭を抱えた。日輪友の会など今回は関係ない。そもそも、毛利が立ち上げたのは日輪同好会という名である。冗談なのか、それとも本気で言っているのか、毛利の性格からは見当もつかない。本気で言っているとしたら、それはそれで性質が悪いが。

突っ込み疲れてぜえぜえと息を荒げる政宗に、元親があっけらかんとした声で話しかけた。

「犯人探しは後にして宿に戻ろうぜ。帰るに帰れなくなっちまったしな」

「OK。あのownerも心配だしな」

元親の言葉に政宗は軽く頷いて賛同した。犯人を探すよりも、今は自分たちの身を守ることを一番に考えなくてはならない。

先ほど真田は頓珍漢なことを言っていたが、実は彼の言う通り殺人鬼がいるかもしれないのだ。得体のしれない存在に狙われているような不安が政宗の心に広がる。しかし、そのことを皆に言えば余計に不安を煽ることになる。

このことは自分の心の中にだけ留めておかなくてはならない。政宗は眉間の皺をさらに深くして、宿の方へと歩き始めた。

ロビーまで辿り着いて、政宗たちは立ち止まった。これからどうするべきか。温泉に入ろうという気分もどこかへ吹き飛んでしまった。それぞれの部屋でただ待機しているというのも息苦しさを感じる。

「これからどうするよ?」

「取り合えず落ち着くまで、どこかの部屋で皆一緒にいた方が良いんじゃねぇか」

政宗の問いに、珍しく元親がマトモな提案をする。元親の言うとおり、皆バラバラで行動するよりも一緒にいた方が安心出来るだろう。

そうなると、どこの部屋にするかが問題になる。一番安全なのはロビーかもしれないが、白塗りの妙な従業員のいるあの場所にずっといたいとは思わない。この中の誰かの部屋で固まっているのが、今のところ最善の策だろう。

「皆一緒の部屋……ならば政宗殿の部屋では如何か!」

「Nooo!ぜ、絶対にNO!オレの部屋はNo, thank youだぜ!」

何故か胸を張って言う真田に、政宗は思わず慌てて否定してしまった。不安を煽ることになるので、自分の部屋の惨状を見られるわけにはいかないと思って全力で拒否したのだ。それが逆に怪しい態度になってしまった。真田と元親は驚いた表情をして、毛利はじっとりとした目付きで政宗を見つめている。これは拙い、と政宗は心の中で焦り始めていた。

しかし、何故真っ先に自分の部屋が出てくるのだろうか。おだわら荘での生活のせいだろうか。政宗の部屋に無駄に居候が集まっているから、こういう時に挙げられてしまうのかもしれない。

上手い誤魔化し方が思いつかず無言で戸惑っていると、真田が突然声を上げた。

「怪しいでござる!はっ、もしや政宗殿が犯人……?」

「んなわけねぇだろ!」

犯人扱いされて政宗は憤る。しかし、疑いの目を向けられても仕方ないほど、政宗は狼狽していた。そんな政宗に毛利がずずいと詰め寄ってきた。

「怪しくないのであれば、部屋の中を見せられるのではないか?」

「いや、あの……い、今は見せられねぇ」

「何か拙いものでもあるのか?人には見せられぬような、こう……恥ずかしいものなどが」

政宗は思わず口ごもってしまった。意地の悪い笑みを浮かべて、元親の姿をした毛利がさらに近付いてくる。毛利はこの政宗の挙動不審な態度を楽しんでいるようだ。このような邪悪な笑みを浮かべる元親など滅多に見られないが、そんな状況を楽しむ余裕など今の政宗にはなかった。


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