今はとてつもない危機的状況ではあるが、毛利も元親も普段通りのペースを保っているところに政宗は感心してしまう。そして、同時に安心もした。

このまま気落ちしていても仕方がない。なるようにしかならない現状、この時間を有効に使うしかないのだ。政宗は頭の後ろで手を組んで、ゆっくりと歩き始めた。

「さーて、どうすっかな」

「政宗殿!どちらに行かれるのでござるか?」

純粋な瞳をこちらに向けてくる自分の姿を見て、政宗は思わずウッとたじろいでしまった。これは自分ではない。中身は真田である。穢れを知らないというような瞳で見つめる自分の姿に、政宗には耐えがたいものを感じた。そんな柄ではないのだ。

政宗と真田は互いに性格が違う。全く正反対と言っても過言ではない。だから、そのちょっとした仕草や態度などに大きな違和感を覚えるのだ。自分の姿をした真田に慣れるまで時間がかかるだろう。もしかしたら、ずっと慣れることなどないかもしれない。

これからどうするか。そう問われて、政宗は返答に困った。特に何かするということもない。温泉に来たのだから卓球でもマッサージ機でも楽しむものはある。しかし、そういったもので楽しもうという気持ちも今は湧かない。ならば、温泉しかない。取り敢えず、風呂に入って頭をスッキリさせた方が良いだろう。

「Ah、また風呂でも入ってくるかな」

がしがしと頭を掻いて、政宗は気付いた。真田はあの眼帯とも呼べない眼帯もどきをしたままである。こんな恥ずかしい格好で宿の中を歩き回りたくない。今は自分の姿をしてはいないが、好奇の目で見られるというのは耐えがたいものがある。

政宗は鉢巻きをするりと解いた。そして、それを自身の姿をした真田に手渡した。

「コイツはお前のもんだろ?返すぜ」

「そ、そうでござるが、しかし……」

「オレにゃ必要ねぇよ。むしろ眼帯なんざない方がいい」

深刻そうな表情で言うと、真田はハッとしたように口を開いた。深刻ぶってはいるが、政宗はただ単にこの鉢巻きが嫌なだけである。しかし、眼帯などない方が良いという言葉に深い意味が込められていると真田は勘違いしたらしい。真田は神妙な表情で政宗の手から眼帯、もとい鉢巻きを受け取った。そして、その表情のまま鉢巻きを目の周りに括りつけ始めた。

相手が自分の姿をした真田だということをすっかり失念していた。普段の眼帯に加えて、赤い鉢巻きで無理やり作られた眼帯もどきを付けた自分の姿を見る羽目になってしまったのだ。やはり付けずに自分が持っていた方が良かっただろうか。真田の姿をした政宗はガクリと肩を落とした。

自身の部屋に戻り、入浴の準備を再びしてから浴場に向かった。気付けば既に朝になっていたのだ。昨日の夕食の最中からなので、随分と寝ていたことになる。白々をした日の光を浴びながらの朝風呂というのも、なかなかの贅沢だろう。

脱衣所で浴衣を脱いで、政宗は浴場に入っていった。大浴場には政宗以外誰もいない。他に客は泊まっているか、姿が見えないのでよく分からない。この宿に関しては、どうも分からないことだらけである。

湯を被りながら、政宗は自分の体を見た。真田の体は随分と鍛えられている。常に学ランを着ているのであまりその体を見るという機会もないが、あの俊敏な動きに有り余る体力から、相当鍛えているのは分かっていた。高校生の割には良い体格をしていると言っても良いだろう。一体何のために鍛えているのかは、全く分からないが。

頭を使うのは苦手だが、体力には自信がある。真田自身が前にそういうことを言っていたのをふと思い出した。全くその通りだな、と政宗は口に出して呟いた。一人きりの温泉というのもなかなか寂しいものがあるのだ。

真田の体を洗って、政宗は風呂に入った。体の芯から温まるような感覚がする。大きく伸びをして、ふぅと息を吐く。毛利が危惧していたように、果たして自分の体に戻ることが出来るのだろうか。荒唐無稽な出来事過ぎて、いまいち実感が湧かない。

戻ることが出来なければ困ることばかりだが、一つ気になるのは佐助の反応だ。真田と政宗の人格が入れ替わったと知って、佐助はどう反応するのだろうか。自分の姿をした真田の面倒を甲斐甲斐しく見るのだろうか。そこまで考えて、政宗は眉をひそめた。佐助に世話をされる自分の姿を客観的に見るのは、なんだか嫌な気分だった。何よりも、常に暑苦しくうるさい自分の姿を見たくはない。

政宗は先ほどよりも深い溜め息を吐いた。このまま元の姿に戻れなければ、惨憺たる未来が待っているような気がする。あの馬鹿オーナーにはなんとしても頑張ってもらわなくてはならない。

しばらく湯に浸かった後、ざぶざぶと音を立てて風呂の中から出た。静かな温泉も十分堪能した。また自分の体に戻った時に、ゆっくりと堪能したいものだと政宗は思う。

浴衣をきっちりと着込んで、政宗は脱衣所を出た。真田が自力で浴衣を着た時は帯も胸元もぐちゃぐちゃだった。真田らしいと言えば真田らしい着こなし方である。

スリッパのぺたぺたという音が大きく聞こえる。それほど静かな宿なのだ。この宿は日本庭園を模した中庭を中心にして、コの字の形に建物が立っている。各階の端にエレベーターと階段が備え付けられているのは面倒この上ないが、それ以外は申し分のない造りをしていた。

廊下の窓から中庭を見下ろした。細部まで拘りを感じる造りの庭園である。今川というオーナーは変人奇人の類であるが、情緒を解するという面では秀でているのかもしれない。ただあの気味の悪い美術品の展示コーナーなどは悪趣味と言えるが。

中庭を眺めていると、不意に妙な物体が視界に入ってきた。人だ。浴衣を着た人物が中庭の隅に倒れている。いや、ただ倒れているだけではない。その周囲に赤い液体のようなものが溜まっていた。

「……っ!!」

血だ。そう直感的に理解した政宗は、驚きと焦りで思わず走り出していた。あれだけの量の出血をしているということは、かなり危険な状態である。もしかしたら、既に死んでいるかもしれない。医療に関わったことはなくとも、一般的な知識から考えてそれぐらいは想像がつく。

まずはあの場所に辿り着かなくてはならない。走っていると、ちょうど毛利に出くわした。人格が入れ替わってしまったので、中身が元親の毛利である。

「よぉ、慌ててどうしたんだ?」

毛利の声と姿でその話し方をされるとかなり違和感がある。しかし、今はそれについて突っ込んでいる余裕はない。政宗は息も絶え絶えに元親に伝えた。

「ひ、人が倒れてんだ……!もしかしたら死んでるかもしれねぇ!中庭のっ、あの隅でっ!」

「はあ、マジかよ?」

血相を変えて説明する政宗に、元親は目を見開いて驚いた。無論、政宗がそんな性質の悪い冗談を言うような人物ではないことを元親も知っている。だが、その突拍子もない言葉をにわかに信じられなかったらしい。

百聞は一見に如かず。政宗が廊下の窓から人の倒れている場所を指差すと、元親も次第に顔色を変えた。倒れている人間、そして血だまり。そんな様子に尋常ならざる事態が起きていると理解したようで、元親も政宗と共に現場に向かい始めた。

二人はバタバタと大きな足音を立てて階段を下りていく。ややこしい構造をしているので、目的の中庭に辿り着くためには遠回りをしていかないといけないのだ。エレベーターを待っているより、階段を駆け下りていった方が早い。

一階まで下りてしばらく進むと、目の前に中庭へと通じる引き戸が見えた。慌てている政宗と元親の姿を白塗りの従業員たちが不思議そうな顔で眺めている。説明している暇はない。倒れている人間を確認してから、従業員を急ぎ呼ぶのが良策だろう。

ガタガタと引き戸を開けて、目的の場所に向かって走る。そして、そこに辿り着いた二人は予想にしない光景を見たのであった。

「大丈夫かよ、アンタ!って、オイオイ……」

「いなくなってるって、どういうこったよ?」

政宗と元親が駆け付けた場所には、誰も倒れていなかった。確かに上から見た時、この場所に人が倒れていた。しかし、人らしいものは周囲に見当たらない。

その代わりに、確実に倒れていたという証拠は残されていた。あの大量の血だまりである。人が倒れていたであろう場所には、かなりの量の血液が広がっていた。

「まさか、死体が消えたってか?」

元親が掠れた声で呟く。一般的な常識から考えて、この出血量で動けるはずがない。動けたとしても、遠くまでは行けないだろう。しかも、政宗が見た時はピクリとも動かなかったのだ。考えられるのは、二人がここまで辿り着く間に誰かが運んでいったということである。

残された赤黒い血液に光が揺らめいている。妙に生々しいその光景に、政宗は少し吐き気をおぼえた。殺人事件か、もしくは殺人未遂事件か。どちらにしても大問題である。人格が入れ替わるというとんでもない事態の後に、さらに殺人事件などという惨状が起きるとは考えもしなかった。厄介事ばかりがどうしてこうも飛び込んでくるのか。

「宿のヤツに言った方が良いんじゃないか?」

元親の言葉に政宗は無言で頷いた。従業員に経緯と状況を説明しておかなくてはならないだろう。現に大量の血痕が残されているのだ。ここで事件があったことは明白である。中に入ったら近くにいる従業員に一声掛けておこう。

しかし一番の問題は、被害にあった人間が誰なのかということだ。従業員なのか、もしくはあのオーナーか。自分たち以外の客かもしれない。まずは皆の安否を確認することが先決である。

真田や毛利たちはどうしているのだろう。ふと二人の姿が政宗の脳裏をよぎった。先ほどから二人の姿を見ていない。真田も毛利も些細なことでやられるようなタマではないと思うが、如何せん今は慣れた自分の体ではない。二人の行方を確認しておいた方が良いだろう。

「おい、元親。真田と毛利がどこにいるか知ってるか?」

「元就なら不貞寝してたぜ。真田は部屋だろ、多分」

やることがないからと、毛利はさっさと自室に戻って布団に潜り込んだらしい。元親と人格が入れ替わったという現実を直視したくなかったのかもしれない。真田の方は鍛錬をするなどと言って部屋に戻っていったという。相変わらずな奴だ、と政宗は呆れたように笑った。

「んじゃ、まず真田のトコ行くか」

あの倒れていた人物が真田や毛利でないことを願いつつ、政宗と元親は中庭を後にした。中で歩いていた従業員に中庭での出来事を伝えると、血相を変えてその場所に走っていった。しばらくすると人だかりが出来た。この場は従業員に任せて、政宗は真田と毛利の元へと向かう。

その途中、1階のフロアで政宗たちは偶然真田と出くわした。その姿を見て、政宗のこめかみに青筋が浮かぶ。

「ぬぁあんで学ラン着てんだよ、テメェは!?」

政宗の姿をした真田は学ランをきっちり着込んでいたのだ。似合わないにも程がある。そして、やはり穴の空いた赤い鉢巻きをつけていた。こんな頓珍漢な格好をした自身の姿を目の当たりにして、政宗は目眩を感じた。

「ま、政宗殿もこの学ランが似合うと思ったでござる!」

若干どもりながら、真田は明るく答える。どこをどう見れば、政宗自身に学ランが似合うと思えるのか。真田の趣味以外の何物でもないだろう。びきびきと引きつった笑みを浮かべながら、政宗は真田の両頬をぐにっと引き延ばした。元は自分の体なので、あまりダメージを与えない程度の仕返しである。

なにはともあれ、真田の無事は確認出来た。頭の方は無事ではなかったが、それは今に始まったことではないので今は置いておくことにする。

残りの一人、毛利の身が心配だった。あの毛利のことだから何があっても機略を弄して潜りぬけるような気もするが、万が一ということもある。


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