HAHAHA、と政宗は乾いた笑いを浮かべて、藁人形から離れた。こういうよく分からないものは気にしない方が良い。気にすると余計に妙な事に巻き込まれるのだ。オレは何も見なかった。そう思い込むことで、心の平静を取り戻そうと考えた。

再び座布団に座り、政宗は座卓に載っていた急須から湯のみに茶を注いだ。湯のみの茶を一口飲んで、ふうと息を吐く。何はなくとも、まずは温泉である。それを思い出した政宗は、荷物の中から入浴セット一式をまとめて取り出した。浴衣は部屋に準備されているはずである。温泉に来たならば、浴衣を着なくては始まらない。

準備されている浴衣を探そうと、政宗は押入れを開けた。

「ぅどわっ!?」

その瞬間、バサバサと大量の紙が雪崩れ落ちてきたのだ。かなりの数の半紙である。

その大量の紙の中から、一枚適当に手に取った。『死ね』『殺す』『許さない』『地獄へ落ちろ』『呪い殺す』『憎悪が永劫に輪廻する』などという禍々しい文字が毛筆で書かれている。これは一体何なのだろうか。これも前の客が忘れていったものだろうか。

前の宿泊客であるならばまだ良い。それ以外の存在がいても困る。他に想像できるのは、憎しみに身を焦がしながら潜んでいる殺人鬼ぐらいである。

藁人形や憎しみが綴られた半紙という過激なアイテムを見ると、思わず殺人という単語が政宗の脳裏に浮かんだ。温泉宿と言えば殺人事件というイメージが浮かぶのは、テレビでそういう内容の推理ドラマがよくやっているせいだろう。

HAHAHA、と政宗は再び乾ききった笑い声を上げた。そして、呪われた半紙を拾い上げ、それをぐしゃりと握りつぶした。

「Goooooddamn!」

普段のcoolさを吹き飛ばす勢いで、政宗は怒声を発した。怒声というよりも奇声に近い。そして、紙を握ったまま頭を抱えた。折角の温泉旅行だというのに、こんなロクでもない部屋に泊まることになるとは思ってもいなかった。

しかし、こんなことでテンションを下げている場合ではない。何のために遙々こんな場所へ来たのかと言えば、気持ちの良い温泉と美味しい料理で日々の疲れを癒やすためである。その目的を果たすために、この気色の悪い物体は見なかったことにしよう。

オレは何も見なかった。いや、これはむしろlucky itemの一種に違いない。政宗はそう思い込むことで、再び平常心を取り戻そうとした。心地良い温泉と豪華な食事。そんな魅力的な物の前では、この恐怖の品々も霞んでしまうに違いない。

「よっしゃ、風呂だ風呂!HotでSweetでDeliciousな空間がオレを待ってるぜ!!」

空元気にも近いような声を上げながら、政宗は入浴準備を始めた。浴衣など必要なもの一式を袋に詰め、HAHAHAHAHA!と吹っ切れた笑い声を上げながら、集合場所へと向かっていった。

どたどたと大きな足音を立てて行くと、元親と真田は既に集まっていた。普段とは様子の違う政宗を、元親は不思議そうに眺めていた。政宗の姿を見て、出発でござるなと真田は大きく拳を振り上げて言った。随分と楽しみにしていたのだろう。

面子も揃ったということで、共に大浴場に向かう。大浴場は1階にあるので、3人で階段を降りていった。元親によれば、毛利は一足先に入っているらしい。そういうところは抜け目がないと政宗は思わず感心してしまう。

大きく『湯』と書かれた暖簾をくぐり、政宗たちは脱衣所へと入った。自分たち以外に人はいない。広々とした空間で服を脱ぎ、三人で浴場へと入っていった。扉を開くと、湿った熱気が体を包み込んだ。

建物に比例して、風呂の方も豪奢な造りとなっていた。大理石造りの風呂に、ジェットバス、薬湯、にごり湯など多種多様な風呂が並んでいる。その光景に、元親が感嘆の声を上げた。

「こいつは広ぇなぁ!」

「政宗殿の部屋が30個ぐらいは入ってしまいそうでござるな!」

本人に悪気はないのだろうが、真田の発言は政宗の部屋が狭いと暗に意味している。腹を立てた政宗は、背後から真田の後頭部にチョップをお見舞いした。

真田の言葉に腹は立つが、言っていることは正しいと認めざるを得ないほど、豪華な造りをした大浴場である。こんな浴場に入るなど、一生に一度あるかないかぐらいの経験だろう。

早速、体を洗って温泉を堪能しようと考えていると、湯煙の向こうに人の姿が見えた。毛利だ。

「遅かったではないか」

先ほどまでの険悪な雰囲気とは打って変わって、毛利はかなり上機嫌であった。肩につきそうな髪を軽く結い上げ、さらにその上に白い手拭を置いている。心の底から温泉を堪能していますと宣言しているような格好である。

「随分楽しんでるみてーじゃねぇか、毛利さんよ」

「無論よ。我は中の風呂全て制覇してやったわ」

政宗の皮肉に、毛利は何故か得意気な様子で答える。皮肉が通じないほど浮かれているのかもしれない。しかし、政宗たちが来る前に中風呂全てを制覇したとは執念のようなものを感じる。そして、何故か負けたような気分にもなった。

「政宗殿!露天風呂に行きませぬか!?」

「温泉っつったら、まずは露天風呂だな!」

わくわくとした表情で、真田が政宗を誘った。そんな真田の言葉に、元親も同調する。2人の言う通り、温泉に来たならばまず露天風呂を楽しまなくてはならない。素晴らしい景色に囲まれている宿なので、露天風呂はかなり期待出来るだろう。

真田と元親の言葉に、政宗は軽く頷いて答えた。

「OK、先に外行くか」

「まだ露天風呂が残っておるな。我も行くぞ」

中風呂を心行くまで満喫した毛利も露天風呂についてきた。もしかしたら、一人で温泉というのも案外楽しくなかったのかもしれない。こうして、結局4人揃って行動することになったのである。

外へと繋がるドアを開くと、冷たい空気が流れ込んできた。中の温かさに慣れていたため、余計に冷たく感じるようだ。しかし、これぐらいの涼しさがちょうど良いのかもしれない。

ぺたぺたと石造りの道を進んでいくと、程なく露天風呂が見えた。結構な広さである。御影石で造られた風呂や酒樽を再利用した風呂など、中と同じように様々な種類の露天風呂が点在していた。

「すっげえぇぇえ!」

元親が驚声を漏らした。周囲の雄大な自然と、この豪壮な造りの露天風呂は妙に調和している。政宗はひときわ広い風呂に向かっていった。ゆったりとした風呂に、足から浸かっていく。

湯の温かさがじんわりと体にしみ込んでいくような感覚になる。街中の喧騒から離れて、こういうのんびりした時間を過ごすのも悪くはない。ふぅ、と政宗は軽く息を吐いた。

毛利も同じ風呂に入ってきた。かなり機嫌が良い様子である。この温泉に浸かると、苛々した気分など吹き飛んでしまうというのも分かる気がした。

真田は物珍しそうに酒樽風呂の周りをうろついてから、その中にじゃぼんと飛び込んだ。酒樽の中から湯が溢れ出る。元親も酒樽風呂に興味が湧いたようで、真田に続いて中に入っていった。狭い風呂に仲良く入る男2人いうのも、あまり見たくない光景だと政宗は思った。

こんな体験は滅多に出来ないに違いない。この温泉旅行を当てた元親に心の中で再び感謝しながら、政宗は天を仰いだ。そして、一回大きく伸びをしてから、ゆっくりと立ち上がった。

そんな政宗に、毛利が珍しく声をかけてきた。

「もう出るのか」

「いや、中の風呂も楽しもうと思ってな」

「ふむ、そうか。中風呂ならば、地獄の熱湯風呂というのが我の一押しぞ」

名前からして危険な臭いを感じさせる風呂である。そんな風呂を勧める毛利のニヤニヤした妙な笑顔がさらに怪しさを際立たせていた。そんな風呂に好んで入るほどチャレンジャーでもない。気が向いたら入るぜと毛利に答えて、政宗は露天風呂を後にした。

再び屋内に入った政宗は、中をぐるりと見渡した。折角の機会でもあるし、毛利のように中の風呂も全て制覇するのも悪くない。毛利の勧める地獄の熱湯風呂以外は入っていこう。取り敢えず目に付いた風呂に入って、ふらふらと中を移動することにした。

その途中、地獄の熱湯風呂と書かれた風呂が目に入ってきた。チラリと視線を向けると、湯がぐらぐらと煮えたぎっていた。こんな風呂を勧めた毛利はやはり毛利である。いくら機嫌が良いように見えても、やることが酷いのは変わりなかった。

地獄の熱湯風呂は華麗に流して、政宗はとりどりの風呂に浸かっては出てという行動を繰り返していた。そして、上がる頃にはすっかりのぼせてしまっていた。普段長湯などしないから、この風呂廻りの旅でかなり頭に血が集まってしまったようだ。

ふらふらとおぼつかない足取りで、政宗は浴場から出た。そして、浴衣に着替えて脱衣所の椅子に座る。手で顔を仰いでいると、浴場から騒がしい声が聞こえてきた。バタバタという足音と共に、真田たちが中から出てきた。

「心行くまで温泉を堪能したでござるあぁぁああぁ!」

清々しい笑顔で真田が叫ぶ。本当にその言葉通り堪能し尽くしたのだろう。一点の曇りもない笑顔からそう思える。元親も晴れやかな顔をしていた。中風呂も露天風呂も満喫しきったらしい毛利が最後に続いている。

「もうそろそろ夕飯の準備が出来てんじゃねーか?」

ガシガシとタオルで頭を拭いていた元親が思いだしたように呟いた。そう言えば、もう夕飯を食べても良いぐらいの頃合いである。随分と腹も減っていた。

元親の言葉に反応するように、早々に着替え終えていた真田の腹からぎゅううという悲しげな音が聞こえてきた。絶妙なタイミングである。悲しそうに眉尻を下げる真田を見て、着替え終えてからそのまま食事に行こうという話になった。

みな着替え終えて脱衣所から出ると、あの奇妙な姿をした従業員が一人近くを通りがかった。食事が出来ているか確認すると、やはり準備はできているようであった。場所は1階奥の大広間らしい。

食事をする広間に入ろうとした時、政宗の視界にあるものが飛び込んできた。文字の書かれた立て札だ。『歓迎 眼帯友の会御一行 様』と書かれている。その文字を見て、思わず間の抜けた表情になってしまった。

妙な団体名を付けられたものである。おそらく、この宿のオーナーが勝手に思い付いた名前をつけたのだろう。ただ見た目としては間違っていない。政宗はもちろん、元親も眼帯をしている。そして今日は毛利も不本意ながら眼帯を付けている状態だ。

「眼帯友の会ってなんか妙にかっこいい響きだよな」

元親が嬉しそうに言うと、その脇腹を毛利が肘でどついた。毛利としては、そんな会の仲間入りさせられるのは気に入らないらしい。本人としては日輪友の会ぐらいが良かったのだろう。そんな会として歓迎されるのも恥ずかしいが、眼帯友の会というのも案外恥ずかしさを感じる。

「が、眼帯友の会……」

真田が何故かショックを受けたように呟いた。一人だけ仲間はずれにされている気分なのだろう。元から眼帯をしている政宗に元親、不本意ながら眼帯を付ける羽目となってしまった毛利。4人中3人という驚異の眼帯率である。一人だけ目に何も付けていないことに真田は気付いて焦っているようだ。

そんな真田が突然、額に巻いていた鉢巻きを解き始めた。そして、その鉢巻きの両目にあたる部分をビリビリと歯で破り始めたのだ。あまりにも予想外の行動に、政宗だけでなく元親、さらには毛利まで目を見開いて驚いていた。

綺麗に破り取られた鉢巻きに丸い穴が空いた。そんな無残な鉢巻きを真田は嬉しそうに顔に巻いた。目だけがちょうど見えている不可思議な眼帯である。

「某も眼帯友の会に正式加入でござるああぁぁぁぁ!」

ようやく仲間入り出来たと感極まった真田が大声で叫んだ。この真田の妙な鉢巻きを眼帯と認めても良いのだろうか。政宗は元親と顔を見合わせる。しかし、本人がとても気に入っているようなので、特に深く追求しないことにしたのだった。


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