「うおー、すげぇな!」

丘の上に佇む宿の外観を見た元親が感嘆の声を上げた。贅を尽くしに尽くした建物と言っても過言ではない。

おだわら荘を出発し、電車を乗り継いで数時間。電車を降りて歩くこと数十分。ようやく山奥の温泉宿に到着した。

道中、知らない土地に興奮して迷子になった真田を探し回ったり、元親が落とした財布を探し回ったり、毛利がワガママを言いまくったりと、政宗は散々な目に遭ったが、とにかく何とか無事に着くことが出来て良かった。

特に最初の真田迷子事件は、怪我の功名と言っても良いであろう出来事であった。この山に入る前に、宿に辿り着くには橋を渡らなくてはならないと聞いていたのだが、その橋が一向に見つからなかったのだ。うろうろと歩き回っていた時、テンションが普段の3倍ほど上がった真田が一人で走り出してしまい、気付けば見えなくなっていた。迷子になった真田を探し回っているうちに、件の宿へと繋がる橋を見つけた。

偶然にも目的の橋を見つけることが出来て良かったが、下手をすれば真田を捜し歩いて宿に辿り着くことが出来なかった可能性もある。真田を見つけた時にポカリとその頭を皆で叩いたが、本人は至って反省をするどころか発見した橋を見てさらに興奮していた。

それもそのはず。宿へと繋がる橋は、今どき珍しい木製の吊り橋だったのだ。しかも、かなり古びている。宿に繋がる橋は現在一つしか使われていないと聞いたので、おそらくこの橋がそうなのだろう。政宗は一抹の不安を覚えた。不安定な吊り橋である上に、この橋は崖の淵に架けられているのだ。

政宗の心配とは裏腹に、真田だけでなく元親も目を輝かせていた。そんな二人を尻目に、毛利が一人さっさと吊り橋の方へ歩いて行く。橋にさしかかる直前、幾重にも巻かれた縄をギシギシと引っ張る。強度を確認しているのだろう。そういう所に気が回るのは流石毛利と言う他ない。

強度を確認した後、毛利はおもむろに元親と真田の方へと向いた。

「誰ぞ一番乗りをしたい者はおるか?」

「ぬうおおぉぉ!某が一番乗りでござるうぅぅあぁぁ!」

他の連中よりも一回りどころか三回りほど大きなリュックを背負った真田が、吊り橋に向かっていった。珍しいもの好きな真田が真っ先に名乗りを上げるのを見越して、毛利は尋ねたのだろう。まず誰を最初に実験台にするのか考えていたのだ。

真田が動くたびに、吊り橋がギシギシと危険な音を立てた。政宗が思うに、荷物を含めた真田の重量に吊り橋が悲鳴を上げているのだ。そもそも登山に行く者でも、あのような大荷物にはならないだろう。一体中には何が入っているのか、政宗は疑問に思う。しかも、いつも通り学ランという場違いな格好をしている。妙な格好をした真田がいるだけで、道中はかなり目立つ集団となっていた。

大荷物をものともしない軽やかな動きで、真田は真っ直ぐ渡っていく。そんな元気な真田に続いて、元親も駆け出した。

こちらは真田とは対照的に荷物が少ない。少ないというか、ほぼ何も持っていない。最低限必要なものは、何故か政宗の荷物の中に放り込まれていた。その量も少ないので、文句を言いながらも一緒に持ってきてやった。

政宗は橋の向こうに見える温泉宿に視線を向けた。

4人が泊まるのは、今川庵という古めかしい名の温泉宿である。町内会のちょっとした抽選会で当たったものだったから、それほど宿には期待していなかった。しかし、現地に到着してその佇まいを見ると、思っていた以上に良い宿だった。

一目散に橋を渡っていく真田と元親の後を、毛利がゆっくりした足取りで追う。一見すると文学青年のような出で立ちをしている毛利は、この温泉宿の雰囲気がよく似合っていた。黙っていればモテるだろうに、と政宗は人ごとながら残念な気分になる。

そんな毛利の右目には白い眼帯が付けられている。先日、真田の拳が当たるという事故で、毛利の右目は青く腫れてしまった。痛々しく目を腫らせた毛利を見た時、政宗は思わず噴き出した。他の連中も笑いそうになるのを堪えている様子だった。自分が笑われていることに毛利は怒り心頭だったようで、朝から物騒な言葉を吐きつつ、鋭い目つきで政宗たちを睨んでいた。目的地に近付くにつれてその怒りは鎮まってきたようだが、それでも不機嫌な様子には変わりない。

そして、最後に政宗が続いた。3人の背を見ながら、のたのたと歩く。ここは自然の囲まれた良い雰囲気の場所だった。住む分には面倒だろうが、観光目的で来るなら最適な土地だろう。

覚束ない古びた吊り橋を渡りきって、ようやく門が見えた。至って上品な造りの門である。門を抜けると、先に走っていった真田と元親が玄関前で待っていた。いや、どうやら待っているという様子ではない。ポカンと口を開けて、驚いた様子で玄関の中を見ているのだった。

何事かと思って、政宗と毛利も玄関を覗きこんだ。そこには異様な集団が立っていた。

「おい、なんだこりゃ……?」

元親が乾いた声を出した。顔を白塗りにして、平安時代の貴族が着るような衣服を纏った男性たち。そんな妙な格好をした集団が玄関で待ち構えていたのだった。ずっと見続けたら食傷気味になるような光景である。

政宗たちがいることに気付いた男たちは、一斉に笑みを浮かべて挨拶をした。

「ようこそ、いらっしゃいませでおじゃる〜」

脱力感を覚えるようなたどたどしい挨拶である。しかし、この言葉から察するに、彼らは出迎えの従業員であると分かった。だが、それはそれで恐ろしい結論である。こんな奇異な姿をした従業員のいる宿に泊まることになるのだから。

引きつった笑みを浮かべたまま立っている政宗の耳に、今度は妙な声が聞こえてきた。

「ほっほっほ、ようここまで参った!ここは麿が作った素晴らしい宿でおじゃる。ゆっくり堪能してたもれ〜」

ひょいひょいと軽やかな動きで、ひときわ異彩を放つ人物が目の前に現れた。従業員と同じような格好をしてはいるが、それがかなり似合っている。独特の言葉遣いも様になっていた。

この変人たちは仮装大会でも開催しているのだろうか。

「どうやら、アレがこの宿の主らしいぞ」

若干険しい表情で毛利が呟いた。この妙な男が宿のオーナーであるらしい。その言葉を聞いて、政宗は驚きと共に妙に納得もしてしまった。従業員がこのようなおかしな格好をしているのも、オーナーの趣味に合わせたものだろう。無理やり仮装させられて働いている彼らの心中を思うと、思わず同情してしまいそうになる。

「麿は今川義元というでおじゃる〜!にょほほ、苦しゅうない」

政宗が視線を向けると、宿の主は片目を瞑りウィンクを飛ばした。悪寒が一気に全身を駆け巡った。込み上げてくる吐き気を押さえようと、口元に手を当てる。貴人風の奇人とは洒落にもならない、などとくだらないことを考えてしまった自分にさらに嫌気が差した。

宿は素晴らしい。それに異論はない。しかし、その宿を作った人物から働いている人間まで怪しさ大爆発という状況に、政宗は頭を抱えて唸り始めた。折角の温泉旅行が台無しである。

しかし、よくよく考えてみれば、あの元親が当てた温泉旅行なのだ。平穏無事に過ごせるはずがない。むしろ、これぐらいの災難であればまだ良いほうかもしれない。もしかしたら、どんでもないトラップがこの先待ち受けているかもしれないのだ。

元親に後で蹴りを喰らわせてやる。そう政宗は心に決めた。肝心の元親は、不思議そうな表情で今川を眺めている。その隣に立っている真田は興味津津といったように、目を輝かせている。妙なものに興味を抱く男子高校生なのだ。毛利は物珍しいものでも見るかのような目つきで眺めていた。

「この者たちを部屋に案内するでおじゃ〜!」

今川が声をかけると、従業員がぞろぞろと近付いてきた。客の数に対して、明らかに対応する従業員の数が多い。政宗たちの荷物を運ぼうとしたが、丁重にお断りした。荷物を持たれはしなかったが、部屋の案内ということで何人かついてきた。後ろをついてくる変人集団に、何故か妙な緊張感を覚えた。早くどこかへ行って欲しいという政宗の願いは叶うことはなかった。

4階建てのこの建物はかなり広い。宿全体はコの字型をしており、エレベーターが各フロアの端にしかないため、移動が案外不便なのだ。政宗たちが泊まる部屋は三階にあるらしく、狭いエレベーターに白塗りの従業員たちと一緒に乗って、目的のフロアを目指した。

途中、様々な美術品を展示しているフロアを通った。そんな展示室があるのは、風流や情緒といったものを好みそうな宿の主の趣味なのだろう。しかし、よく見ると普通の美術品ではなかった。今川を模した石膏や今川を美化して描いた絵画が置かれている。

それを見た時、政宗と毛利は思わず目を合わせてしまった。おそらく同じことを考えているのだろう。そんな2人とは対照的に、元親と真田は面白いものを発見したというような表情で展示品を眺めていた。

うろうろと歩き回って、ようやく泊まる部屋のフロアに着いた。しかし、そこで思わぬ説明を受けた。

泊まる部屋は、一人につき一部屋ということである。4人それぞれに一つ部屋が割り当てられているらしい。そんな説明に、元親が疑問の声を上げた。

「みんな同じ部屋じゃねぇのかよ?それじゃつまんねぇだろ」

食事をする時は広間に会するようだが、何故か泊まる部屋はそれぞれ一人ずつ違うのだ。折角一緒に泊まりにきたのに、部屋が別とは政宗も少々残念に感じる。

しかし、毛利はさも当然という表情で頷いて口を開いた。

「それは良い。そなたらのようなむさ苦しい面々と部屋を共にするなど、我には我慢ならぬからな」

201号室に入り浸って寝泊まりしていることを、棚に上げるどころか天空にまで浮かせたような発言である。そう言うと、そのままスタスタと自分の部屋に入っていってしまった。我が道を行く毛利を、政宗は呆れた顔で眺めていた。

ただ部屋が別々であろうと、互いの部屋に入っていけないわけではない。寝るまで誰かの部屋に集まって遊んでれば良いし、そのまま雑魚寝してしまっても構わないはずである。だから、荷物を置いてどこかの部屋に集まることにすれば良い。

元親は気まずそうにがしがしと頭を掻いた後、苦笑しながら政宗と真田に声を掛けた。

「ま、取り敢えず、早速風呂入る準備してこようぜ!」

折角温泉に来たのだから、まずはそれを堪能するべきである。元親の意見に政宗も異論はない。テンションがさらに上がったらしい真田が、奇声を発しながら割り当てられた部屋へと駆けていった。また後で集まる約束をして、政宗は元親と別れた。

4人とも同じフロアの部屋だが、隣り同士ではなく少しずつ離れた場所になっている。案内された部屋に入り、政宗は靴を脱いだ。政宗の部屋は『桶狭間』という名付けられていた。何故か妙に胸騒ぎを感じる部屋だ。

政宗の部屋と同様に、他の部屋も名前が付けられている。『異次元空間』『海賊仲間』『黄金週間』『葱間』『人造人間』『三遊間』『開かずの間』など、正気の沙汰とは思えないような名ばかりだ。最後に『間』という字を付ければ、高級温泉宿のように思えるが、適当にも程がある部屋名である。

部屋の中央に置かれた座卓に、政宗は荷物をひとまず置いた。上着をハンガーにかけてから、座布団に座る。ようやく一息ついた。その時、ふと違和感をおぼえた。

部屋は至って普通の和室である。一人で泊まるには、そこそこ広さがある。その和室の床の間で、真っ直ぐ立っている床柱。

その床柱に藁人形が五寸釘ごと打ち付けられていた。自然過ぎて、一瞬インテリアだと思い込んでしまったが、よくよく考えてみるとおかしい。いや、おかしいどころの騒ぎではない。この部屋で何があったのというのだろう。

ゆっくり立ち上がって、政宗はその藁人形の方へと近付いた。こんな物騒なものが最初から備え付けられているとは考えにくい。もしかしたら、前に泊まっていた客の忘れものかもしれない。だとしたら、どんな客が泊まっていたのか、という問題が浮かび上がるが。


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