春の足音が段々と聞こえ始める2月の中旬。世の男性にとっては、まさに咲いて暴れて戦国乱世とも言うべき1日が、今年も訪れようとしていた。
<眩暈がするほどValentine>
甘い匂いが部屋中に充満している。この匂いは紛れもない、チョコレートだ。本日は2月14日――バレンタインデーである。誰かチョコレートでも貰った奴がいて、早速開いているのだろうか。狭い玄関で靴を脱ぎながら、政宗はそんなことを考えていた。
このどうしようもない男連中の中で、女子からチョコレートを貰った奴がいる。政宗はまだ貰っていない。事実を言えば、貰う宛てがない。そもそも女性の知り合いが少ないのだ。バイト仲間のかすがは、政宗にチョコレートなどくれるはずがない。期待出来そうなのは、下の部屋に住む慶次の叔母であるまつだけなのだが、既婚者にそういうことを期待するのも何か間違っているような気がする。
そう思うと、次第に腹が立ってきた。この中で一番coolで男前なのは自分である、と自負している。真田はcoolではないし、佐助は良くて友人止まり、慶次は自分からアピールしまくって引かれるタイプだろうし、元親はそもそもモテないはずで、毛利に至っては論外だ。
そんな自分が本命・義理のどちらにしろ、未だに1つもチョコレートを貰えていないのに、他の誰かはチョコレートを貰えた。義理ならまだ良いが、これが本命ともなれば驚天動地の事態と言っても過言ではない。
いやいや、そんなjealousyに身を焦がすのはcoolじゃねぇ。些細なことだ、落ち着け。オレはもっと器の大きい男だ。そんなことを考えながら、政宗は頭を左右に振って心を落ち着かせようとした。
狭い部屋の中、上着を放り投げ、政宗は畳の上に座った。視線がある場所へと向かう。先ほどの甘い匂いの元だ。
ちゃぶ台に置かれた小さな紙箱。その中に綺麗に入れられた茶色の丸い物体。これは紛れもなくバレンタイン用に渡されたチョコレートである。鎮火したはずの嫉妬の炎が、政宗の心で再び揺らめき始めた。
いくつかあるのだから、1つぐらい減っていても分からないだろう。いつも迷惑を掛けられているのだから、これぐらいしても罰は当たらないはずだ。そんな風に考えながら、政宗はは丸いチョコレートを1つ手に取って口に運んだ。
「……ぐぇっ!?」
不味い。この上なく不味い。なんだこれは、と政宗は眉を顰めた。見た目はチョコレートなのに、チョコレートの味が全くしないのだ。予想していたものとは異なる味覚に、政宗は驚きを隠せなかった。
こんな手作りチョコレートを貰うとは、愛ではなく憎しみを持たれているのではないかと逆に心配になってくるほどである。この居候連中の誰が貰ったかは知らないが、散々なバレンタインデーだと、少しだけ同情したくなった。
口の中の気持ち悪さをどうしようかと考えていた時、隣の部屋から妙な声が聞こえてきた。
「オーゥ、慌てん坊さん発見ネー!」
ブフォッと口から鼻から色々なものを、政宗は吹き出した。壁に開いた隣の部屋との通用口から、ザビーがひょっこりと顔を覗かせたのだから。
何故、ここにいる。政宗は心底嫌そうな表情で、ザビーを見つめる。その身に纏うピンクのエプロンを華麗にはためかせながら、泡立て器とボウルを手にしたザビーが政宗の部屋に渡ってきた。
「今日は嬉し恥ずかしバレンタインデース!ワタシの愛でミナサンを包んでアゲマース!」
気色の悪い爆弾発言に、政宗はさらに顔を歪ませた。ザビーの言葉通りなら、政宗はその手作りのよく分からない物体を食したということになる。そう理解した瞬間、胸になんとも言い難いものが込み上げてきた。うえっ、と吐き出しそうになるのを必死で堪えながら、政宗はザビーに聞いた。
「な、なんでアンタがここにいるんだ!?」
「ユッキーがお台所貸してクレタノネー!」
真田が勝手にザビーを招いたらしい。ガスが止められて困っていたところ、通りがかった真田が助けてくれて、佐助の部屋の台所を貸してくれたとのことである。そのお礼にバレンタインということもあり、チョコレートを作ったとザビーは嬉しそうに語った。
政宗の眉間に刻まれた皺が深くなる。どうやって真田をシメるかを考える前に、この怪しい宗教家を追い出さなくてはならない。これ以上、妙なことに巻き込まれるのは勘弁願いたいのだ。
この時、201号室での騒ぎを聞きつけたのか、元凶たる人物が颯爽と登場した。
「おぉ、政宗殿も食されたのですな!美味しさのあまり、固まっておられるのか!流石、ザビー様でござるな!」
「アホかあぁぁぁ!?この超ド級のバカヤロオォォォ!」
真田がザビーを褒め称える。前々から頭がヤバイと思ってはいたが、今回はかなり酷いと感じざるを得ない。政宗のこの反応を、美味しくて固まっていると思うのは流石にどうかしている。
ふと、政宗は気付いた。真田が今、ザビーを様付けで呼んだことに。何故、様付けなどしているのか。嫌な予感が、政宗の脳裏を掠める。
「やっぱザビー様凄いっすねー」
「ザビー様がいりゃ、百人力だねぇ」
佐助と慶次が壁の穴から顔を覗かせた。この2人も最初からいたようだ。しかし、この2人までもがザビーに対して、様付けをしている。何かがおかしい。かなり危険な事態になっているような気がする。
「流石、ザビー様」
「某を息子にしてくだされ」
ザビーに賛辞の言葉を贈る3人の様子が、少しおかしくなってきた。心ばかりの褒め言葉を言っている割に、目が据わっている。いや、目だけでなく顔全体の表情もなくなってきている。感情というものが感じられない雰囲気である。
「どどどどうしたんだよ?ななな何言ってんだよ?」
本気で怖い。あらぬ方向を見ながら微動だにせず、ザビーを全力で褒め称える彼らの姿に、政宗は本気で恐怖を感じ始めた。
「おい、アンタ!こいつらに何しやがった!?」
「オーゥ、バレチャッタみたいネ!実はこのチョコレートに洗脳……ゲフッ、ザビーを好きにナル薬が入レテアルノヨー!」
「おいぃぃぃ!?オレも食っちまったじゃねぇかああぁぁぁぁ!」
あまりに突拍子もない発言に、政宗は頭を抱えながら座り込んでしまった。なんということだろう。あのチョコレートの中に、そんなとんでもない薬が入れられていたとは。真田や佐助、慶次の様子から見るに、自分もあんな風になってしまうのだろうか。
「アナタも今日からザビーの仲間ネ!不束者ですがヨロシクのコトヨー!」
「……NOooooo!」
「あ、起きやがった」
政宗は悲鳴を上げながら飛び起きた。その目の前には、茶色の小さな丸い物体を手にした元親がいた。
心臓が早鐘を打ったようにバクバクと動いている。妙な汗が止まらない。どうやら自分は寝ていて、夢を見ていたようだ。あのザビーもいないし、真田たちもここにはいなかった。
良かった。夢だったのだ。夢で本当に良かった。現実でなくて、本当に良かった。ようやく落ち着いた政宗は、ホット胸を撫で下ろした。
いや、それよりも――。
「おい、何やってんだよ、アンタら」
「何って、チョコを食べて貰おうと思って。なぁ、元就」
寝ている間、鼻先にチョコレートを突きつけられていたのだ。だから、あのような夢を見たに違いない。傍迷惑な話である。元親と毛利が揃って、寝ている政宗にちょっかいを出していたらしい。バレンタインだというのに、2人して何をしているのか。
「なんでそ……んが!」
口を開いた瞬間に、チョコレートを突っ込まれた。隙あり、と元親が小さく呟く。しまった、と思った時には既に遅かった。
甘い味が口内に広がる。普通に美味しい。あまり甘いものが好きではない政宗にも、これは美味しいチョコレートだというのが分かった。先ほどの夢のものとは天と地の差である。
しかし、こんなチョコレートがどうしてここにあるのか。女性から貰ったものならまだしも、男連中から貰うチョコレートなどゾッとしない。いつも世話になっているお礼とか言われても正直困る、などと思いながら政宗は尋ねた。
「このchocolateどうしたんだよ?」
「ポストに突っ込まれていたものだ」
毛利がしれっと答える。朝、玄関のポストにラッピングされた状態で突っ込まれていたらしい。宛名も差出人名もなかったということで、皆で食べてしまおうという話になったのだという。ここにいる男で女性からチョコレートを貰う宛てのある者などいない、という毛利の独断と偏見に満ちた判断によって。
「その前に、安全なものかどうか、毒見……味見をせねばと思うてな」
「毒見役をオレに押し付けたのかよ!」
寝ている政宗に毒見をさせるとは、酷い話である。もし、変なものが入っていたりしたら、どうするつもりだったのだろうか。先ほどの夢と同じように。
そう考えて、政宗は全身に悪寒が走るのを感じた。こういう時に起きる事態は、大体良くないことばかりなのだ。
「あ、メッセージカードが入ってら!」
チョコレートが入っていたらしい箱の隅に、隠されるように貼られたメッセージカードを元親が発見した。とても嫌な予感がする。
元親の手から、政宗はメッセージカードをひったくった。一体誰からのものか、確認して安心したい。そんな気持ちに駆られた政宗は、カードに書かれた文字列を素早く読んだ。
『ザビーより愛を込めて』
文末に乱舞しているハートマークが、政宗の心に止めを刺した。毛利がニヤニヤとした笑みを浮かべて眺めている。元親は憐憫に満ちた視線で政宗を見つめていた。
「Valentineなんざ、懲り懲りだ!」
そう叫んで、政宗は再び布団に倒れ込んだ。それから数日間、おっさんの顔をした天使の幻覚に悩まされることを、まだ政宗は知らない。
―終―
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