敵の矢に射抜かれて父が死んだ。

その報を聞いた時、夏侯覇は足元が崩れるような感覚に陥った。何か言いたい。言いたいけれども、声が出ない。焼けつくような痛みが喉に走る。込み上げてくるのは言葉にならない悲鳴だった。

最期の時、父は何を思ったのだろうか。悔しかったのか。悲しかったのか。それとも、もっと別の感情を抱きながら逝ったのか。

雲の広がる青い空を見上げた夏侯覇の目から、涙がひとすじ零れ落ちた。



【はしるうま 弐】



群青に染まったような夜気を肌に感じながら、夏侯覇は丘を歩いていた。幕舎を色々と探し回ったが、目的の人物にはついぞ会えなかった。

こんな夜更けに出歩いて、遊び回るような人物ではない。よほどの危急の用でもない限り、幕舎にいるはずである。

夏侯覇は軍営地を抜けて、近くの丘の上を目指した。高い所から見渡せば、もしかしたら姿を見つけられるかもしれない。

さわさわと音を立てながら、草を掻き分け進む。

小高い丘の上に、人が立っているのが見えた。こんな場所に先客がいるとは予想外だった。目を凝らして見ると、見覚えのある衣服を纏っていた。

あぁ、あんなとこにいたのか。少しだけほっと胸をなで下ろした夏侯覇は再び歩き始めた。思いもしなかった場所に立っている目的の人物へと近づいていったのだった。

「郭淮、大丈夫か?」

夏侯覇の声に、郭淮はハッと振り向いた。人の近付く気配に気付いてすらいなかったようだ。夏侯覇がやってきたことに酷く驚いている。

色々な意味で、郭淮のことが心配だった。父の死に、随分と落ち込んでいるのではないか。気を落とすだけでなく、体調にも影響が出ているのではないか。一人で泣いているのではないか。

郭淮のことが心配だったから、夏侯覇はその姿を探していたのだった。自分も悲しみを抱えていたが、それ以上に郭淮は打ちのめされているのではないか。夏侯淵という人物を心の底から尊敬し、慕っていた郭淮だからこそ、その衝撃は大きかったに違いない。

慌てふためいている郭淮を見て、夏侯覇は少し安心した。立ち直れないほど落ち込んでいる様子ではない。

ふと視線を移すと、郭淮の手に小さな灯りが見えた。いや、明るいのはその手だけではなかった。

「……って、なにしてるんだよ?」

「あぁ、その、げふっげふっ!実は……ですね。将軍が道に迷わないように、明かりを灯しているのです」

揺れる草と草の間に、小さくゆらめく炎が見えた。器に灯された明かりが点々と遠くまで続いている。弔いの火が列をなしていた。

人が死んだ後、その魂は次の生へ向かうという。来世に向かう道中で迷子にならないように、と郭淮は暗い夜道に明かりを灯したらしい。そんな話を聞いて、夏侯覇はへぇという言葉しか出てこなかった。

郭伯済という男は独特の世界観を持っている。病弱な体を鍛えるために、虎を相手に修行していたという逸話を聞いた時は呆れたものだった。

自分の中に広がる不思議な世界観を、郭淮自身は普通だと考えているらしい。そこで普通の人間との間にそごが生じているとは感じてすらいないだろう。

今回もそうだ。草原に真っ直ぐ連なるように明かりを灯し、道に見立てて故人への手向けにするなど、普通ではあまり考えつかないことである。

夏侯覇は無言でしばらく隣に立っていたが、その沈黙に耐えられずに適当に思いついたことを話し始めた。

「父さんはさ、道に迷っても迷ってるって気付かなさそうだよな」

「そうですねぇ……ごほっ!将軍ならば間違っていようが、そのまま突っ走っているかもしれませんね」

夏侯覇の言葉に、郭淮が頷く。夏侯淵という人物をよく知る者同士、話は弾む。なるべく暗い話題にはしたくなかった。故人と偲ばれるよりも、笑いの種として話題に出される方が父も喜ぶに違いない。笑顔の似合う父の姿を思い出して、夏侯覇はそんなことを考えていた。

「そう言えば、前に夏侯淵将軍が仰っていたことを思い出しました」

「なに?父さんはなんて言ってたんだ?」

「私と貴方は良い友になれるのではないかと」

夏侯覇は大きく目を見開いて、郭淮を見つめた。全く聞いたことのない話であったし、さらに思いも寄らない話だったからだ。

夏侯覇と郭淮は良い友になれる。そんな父の言葉を、郭淮自身はどう思っているのだろう。なれると考えているのか。

これまで夏侯覇は郭淮と自身の関係について、幾度か考えたことがあった。

尊敬する夏侯淵という男の息子だから、郭淮は何かと関わりを持とうとしているのかもしれない。自分が夏侯淵の息子でなければ、ここまで関わることもなかっただろう。そんなことを思ったこともある。

しかし色々考え悩んだ末に、一つ分かったことがあった。

「ふぅん。なれるんじゃないかってお前は思ってるのか?」

「えぇ、貴方とは良い友になれると……ぅげほっ!もちろん思っておりますよ!」

夏侯覇の問いに、郭淮はげほげほと咳き込みながら力説する。その言葉は半分想像していた通りの答えであり、もう半分は夏侯覇が期待していたものではなかった。

「そっか、俺はとっくになってると思ってたんだけどね」

夏侯覇が独りごちるように呟くと、郭淮は目を見開いた。

父という存在によって、夏侯覇と郭淮が関わりを持っているのは紛うことなき事実である。だが、それだけではない。父の存在だけが寄り所だった場合、その関わりを断とうと思えば断つことが出来る。しかし、夏侯覇は郭淮との関わりを断とうと思ったことはない。

おそらく気が合うのだ。だから、よく話をしたり、出掛けたりする。郭淮の妙な行動に付き合ったりもする。父を介した関係ではあるものの、それが絶対というわけではない。一緒にいたいからいるという至極簡単な理由に、悩んだ末に思い至ったのだ。

「そう、ですね。確かにそうです……!」

郭淮はぐっと拳を握り締める。夏侯覇の言葉に甚く感動しているようだ。柄にもないことを言っちまったかなぁと心の中でぼやいて、夏侯覇はがりがりと頭を掻いた。なんとなく照れ臭い。

拳を握ったまま、郭淮はパッと夏侯覇の方に向き直った。普段はあまり生気の感じられない顔であるが、今は珍しく表情を輝かせている。

「心の友として、死ぬまで……いや、死すとも貴方の傍に!もしくは背後に……」

「いやいやいやいや、そこまでいくと心霊現象だから!」

思わず突っ込みを入れた時、不意に妙な臭いが鼻を突いた。焦げ臭い。焦げたような臭いがどこからか漂ってきている。そう思って視線を草原に向けると、草が燃えているのが見えた。郭淮の灯した明かりから、火が移ったのだろう。

「……って、火事だーっ!?」

思わず郭淮の袖を引っ張って、夏侯覇は叫んだ。不測の事態である。まさかあの明かりが草に燃え移るとは思っていなかった。郭淮もかなり驚いている。火は勢いよくぱちぱちと音を立てて広がっていた。

「取り合えず、火を消さないと!」

「水を持って……ごふっごふ!参ります」

舞い上がる火の粉の振り払い、夏侯覇と郭淮は水を探しに走った。幸いなことに近くに小さな池があったため、すぐに水を運んでくることが出来た。

郭淮が池の近くに放置されていた桶に水を汲み、火元に運ぶ。その水をかけて火勢が弱まった場所を夏侯覇が踏み付ける。そんな連携を取りながら必死の消火活動を行ったお陰で、火の勢いはすぐに衰えた。

しばらくして全ての火が消えた時には、夏侯覇も郭淮もへたり込んでいた。気力と体力がかなり奪われたのだ。下手をすれば、大事になっていた。いや、十分大事になってしまったかもしれない。遠くから人の声が聞こえる。どうやら騒ぎになっているようだ。

どうにも盛大な見送りとなってしまった。夜が明ければ、騒動を知った夏侯惇に怒られるに違いない。身内であろうと、そういうことに厳しい叔父の姿が脳裏に浮かぶ。その叔父の隣にいつもいた人物の姿がふと思い浮かんだ。

「こうさ。悲しんで送られるよりも、こんな風にぱーっと見送った方が父さんも喜ぶんじゃないかって」

燃え尽きた草を見ながら、夏侯覇はぼやいた。楽しいこと、面白いことが大好きな父だった。だから、しんみりした雰囲気よりも、少しぐらい派手に見送った方が合っているかもしれない。

「なんとなく、そう思うんだ」

「……私も同感です」

柔らかな笑みを浮かべて、郭淮は夏侯覇の言葉に頷く。

良い友になれる。父のその言葉は正しかったのだろう。こんな風に一緒に話をして、一緒に馬鹿が出来る友なんてそうそういない。さすが俺の父さん、と小さな声で呟く。

「今、何か仰いましたか?」

「うんにゃ、何も」

早馬のごとく、戦乱の世を駆け抜けていった父に心の中で別れを告げる。星が舞う紺碧の空を見上げた夏侯覇は、口の端を軽く上げて笑ったのだった。



―続―


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