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いつも通りにしていればいい、昨日から何度もそう自分に言い聞かせた。
今は自分自身と部を強くする事、来年もインターハイで勝つには何をするべきか、どうするべきか。自転車の事だけを考えなくちゃいけないだろと何度も何度も頭の中で呪文のように唱えた。
今も、朝練に向かう為にペダルを回しながら自分に言い聞かせている。

自転車に乗っていれば余計な事を考えなくて済む、そう思っていつもより早く家を出て遠回りして学校へ向かっているがまだそう簡単に割り切れる物じゃないらしく、振り払っても振り払っても二日前の文化祭での事が頭にチラつく。前に「考え事しながらの練習は危ない」なんて事を小野田に言ったが、その言葉をそっくりそのまま今の自分に向けたい。


一花ちゃんもオレを好きでいてくれるんじゃないか、そんな期待はもういつからだか思い出せないけど、ずっと胸の中にあった。しかも確信に近い形で。だから一花ちゃんの口から好きだって言葉が聞けた時はすげー嬉しかった。けどそれと同時に、胸が引き裂かれるような思いもあった。
せっかく一花ちゃんが気持ちを直接オレに伝えようとしてくれていたのに、オレはそれを遮って、しかもあれから逃げるように一人で保健室に向かって、ロクに彼女の顔も見る事が出来てないだなんて最悪だ。こんなんじゃ一花ちゃんに嫌われたって、避けられたって仕方ない。あんなのフったのと同じだ。

いや、寧ろ嫌いになってくれた方がいいのかもしれない。
そうすれば一花ちゃんだって自転車が一番のオレじゃなくて彼女を一番大切に想ってくれる男を見つけられるだろうし、オレも……自転車に専念できる。

とは頭で思っているけど……そう簡単に切り替えるなんてことは出来そうにない。


(重症すぎんだろ、マジで)


通り過ぎていく景色を視界に入れながら、ぼんやりとそんな事を思う。
好きな子と両想いになるってもっと幸せなもんだと思っていた。普通に恋人になって学校帰りに手なんか繋いでデートしたり他愛無い話で盛り上がって、なんつーか、高校生の甘酸っぱい青春だよな……ってさ。自転車辞めるつもりでいた入学したての頃はそんな青春を望んでいた。あの頃のオレなら、こんな状況間違いなく舞い上がっていただろうな。

「待っていてくれ」、そう言ってインハイが終わるまで待ってもらう事も出来ただろう。だけど、それじゃあきっとオレは一花ちゃんに甘えてしまう。オレを好きだと言ってくれた彼女なら、きっと情けない姿を見せても寄り添ってくれるだろうと期待して弱音をこぼしたりして無意識のうちに捌け口にしてしまう……そうやって彼女の気持ちを利用するようなことはしたくなかった。
って……そんなの、今更だな。「何も言わないでくれ」なんて、待っていればいいのかもわからないようなもっと酷いことを言っちまったんだから。

今日、オレはどんな顔をして、どんな風に一花ちゃんに会うべきなんだろうか。

…ちゃんといつも通りに彼女と接する事ができるだろうか。






早い時間に家を出たとはいえ、遠回りをしたおかげで部室に着いたのはいつもよりも遅い時間だった。揃い始めている部員達に挨拶をして少し急ぎ気味に練習の支度を始めた。
揃い始めている部員の中には既に支度を整えた青八木の姿はあるが、妹の一花ちゃんの姿はなかった。家を出るのは同じ時間だと言っていたけど、電車やバスを乗り継いでくる一花ちゃんの方が部室に来る時間が遅い。つい先日まで早く彼女の顔が見たいだなんて思っていたのに、今はその逆の事を考えている。ほんと、最低だな、オレ。


「今日は遅いな、純太」
「ああ…ちょっと遠回りして来たからな」
「…そうか」


青八木は何かを言いたそうだった。オレの顔をじっと見つめたまま、口にしようか迷っているようで唇が微かに動いている。
…けど、何を言いたいのかオレにはわかっちまう。『一花と何かあったのか』そう聞きたそうにしているのが伝わってくる。
一花ちゃんがオレに気持ちを伝えようとしていた時、青八木は側にいなかったからあの時の事は知らない。どうやら一花ちゃんもあの時の事は話していないらしい。けど何かあったのかとそんな事を聞こうとしていると言う事は、あれから一花ちゃんの様子がいつもと違うのだろう。
やっぱり彼女の顔を見るのが怖いと思ってしまう。原因を作ったのはオレなのにな……。


「さっさと身支度済ませちまうから、先に外出ててくれよ」
「……わかった」


青八木の無言の問いに気が付いていないフリをしてそう告げれば、青八木はオレの言う通り部室の外へ向かう。オレも部活はちゃんとやろうと手早く身支度を済ませて部室から出た。けど丁度外へ出たところで、目の前に一つの人影が視界に飛び込んできて咄嗟に足を止めた。


「あっ…」


人影の正体は、まさに今顔を見るのが怖いと思っていた一花ちゃんだった。部室に荷物を置くために中に入ろうとしていた所でタイミングがいいのか悪いのか、鉢合わせになってしまった。
「驚かせてごめん」、ただ一言そう言うべきなのに動揺して口から言葉が出てこない。謝った後は彼女にどう接したらいいのか…ついそんな事を考えていた。


「ご、ごめんなさい手嶋さん」
「いや……オレの方こそ」


この後、いつもならお互いに笑ってから少し他愛ない話をして今日もよろしく、なんて言いながら練習に向かうが……この場だけ重たい空気が流れているのは気のせいじゃないだろう。


「あ…あの……」


どうしようかと思考を巡らせているうちに、一花ちゃんの方から小さな声で切り出される。見上げてくる顔は何か悪い事をしでかしてしまって、叱られるのを怖がっている子供のようで胸が何かで刺されたように痛んだ。


「頬の具合、大丈夫ですか…?」


思わずあの男に殴られた頬に触れた。あいつの力がなかったおかげで大した腫れにはならずよく見たら腫れてる程度で済んだので特にガーゼを充てたりもしなくて済んだ。まだ切れた口の中は若干痛むが、今の胸の痛みに比べれば大したことはない。


「ああ……口ン中がまだ少し痛む程度だよ」


だから大丈夫だ、と言えば「よかった」と一花ちゃんは安堵の言葉を溢す。けれどやっぱりまだ表情が暗い。やっぱ…あの時の事、引きずってるよな。


「…あの男からは、何も無いか?」


漂う空気が気不味いが、これだけは確認したかった。あいつがちゃんともう一花ちゃんに近付かないという約束を守っているか。


「はい、何も無いです。向こうから連絡先も消してくれたみたいで…もう、大丈夫だと思います」
「そっか……なら良かった」
「あの、本当にありがとうございました…色々、助けて下さって…感謝しきれないです。あと…それから」


きっともうあの男から一花ちゃんに危害が及ぶ事は無いだろうとホッとしたのも束の間、オレを見上げる顔が今にも泣きそうだった。今まで見てきた彼女の悔しくて涙を堪えているのとも違う、恐怖のそれとも違う……そう、これは罪悪感を感じている顔だ。


「…すみませんでした」


一花ちゃんは頭を下げた。その顔は垂れた彼女の髪によって隠されてしまっているから伺い知ることは出来ないが、声が震えていた。
この「すみませんでした」は、男の件の事ではなく…間違い無くあの時、オレに気持ちを伝えようとした事への謝罪だ。謝らなくちゃいけないのはオレの方だっていうのに。


「これで部活にちゃんと専念できます。だから…またよろしくお願いします、キャプテン」


顔を上げた一花ちゃんはにこりと笑っていた。いつもの、ように。


「……ああ。こっちこそ頼むよ、マネージャー」
「はい…っ」


いつもの……つらいという本心を隠す時の、にこりとした作り笑いだった。

そんなことにすぐ気が付いてしまう位に、オレは一花ちゃんを知ってしまっているし…好きになってしまっている。
「あれは違う」と今この場で言うべきなのかもしれない。待っていてほしいんだと伝えるべきなのかもしれない。けど……やっぱり、それは出来ないししたくない。

チームの事を考えなくちゃいけない、勝つ事を考えなくちゃいけない、強くなると決めた。だから、やっぱりダメだ。そもそも今恋愛をしている事自体がオレには相応しくないんだ。


「あと、さ……居残り練習、あれも今まで付き合ってくれてありがとな」
「え…?は、はい…」
「…今日からは部活終わったらすぐ帰った方がいい。遅くなると危ねぇからさ…」


本当はもっと早くこう言うべきだった。男からの粘着に遭っていると知った時から部活が終わってすぐに帰るようにと……そうすれば男と鉢合わせをさせずに家に返す事が出来たはずだ。それをしなかったのはあの男のために一花ちゃんに逃げるような事をさせるのは違うと思っていた事と、一分一秒でも彼女を独占したいというオレのわがままだった。
そして今も、最もらしい事を言ってオレのわがままで一花ちゃんを遠ざけようとしている。

本当に、オレは最低な男だ。


「そ……そう、ですよね…。わかりました!気を遣って下さって…ありがとうございます」


一花ちゃんはにこりと笑うけど、やっぱりぎこちなくて苦しそうな笑顔だった。
あの男をなんとか出来れば、また一花ちゃんは安心して心の底から笑ってくれるだろうと思っていた。また一緒に純粋に部活が出来たらと願っていた。
…こんな辛い顔をさせたかった訳じゃない。むしろこんな顔をさせたくないと思っていたのに、今はオレがその顔をさせてしまっているんだ。


「えと……私、そろそろドリンクの用意とか始めますね」
「ああ…引き留めちまって悪かったな」


一歩横にずれて一花ちゃんに道を譲れば、彼女は軽く頭を下げてから隣をすり抜けて部室へと消えて、その場に一人になった途端にギリギリと締め上げられるような苦しい感覚が胸に強く流れ込んでくる。


「…ッ、マジ、最低だわ…」


謝らなくちゃいけないのはオレの方だとわかっているのに、言えなかったどころか出た言葉は一花ちゃんをまた突き放すような言葉。先日まであんなに一花ちゃんに見ていてほしいと、オレも彼女の側にいれたらと思っていたのに。今は彼女と向き合う事が苦しくて怖い。

奥歯を噛み締めると口内に鋭い痛みが走る。血の味もするし傷を刺激してしまったようだ。けどこのどうしようもない自己嫌悪と罪悪感を紛らわすには丁度いい。


どうかいっそ、こんなどうしようもなく最低なオレを嫌ってくれ。



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