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「手嶋さん!!」


オレの方は真っ直ぐ駆け寄ってくる足音はやっぱり一花ちゃんだ。しかもオレの名前を叫んでいるって事は殴られた所を見られたんだろう。全く最悪のタイミングだ。カッコ悪い所を見られちまったのはもちろんだし、完全に頭に血が昇ってる男の前に出てくるなんて危なすぎる。


「大丈夫ですか!手嶋さん!」


「一花!」と声を上げる男には目もくれず、一目散にオレの側に駆け寄ってきて見上げてくる大きな目にはうっすらと涙が滲んでいる。その姿に嬉しいと思う反面、チクリと胸が痛んだ。
あーあ、なんで来ちまったんだよ。どうにかオレだけでこいつに粘着をやめさせて「もう大丈夫だから」ってかっこいい事言って安心させたかったのに、逆に心配そうな顔をさせちまうなんて。


「ダメだろ、こんなとこ来ちゃ」
「ごめんなさい……、私のせいで」
「何言ってんだよ、一花ちゃんのせいじゃねーよ。オレが勝手にやった事だから」


一花ちゃんは俯きながらふるふると首を横に振った。視線を少し落として彼女の手元を見れば、ぐっと拳を握って小刻みに手を震わせていた。表情は見えなくても一花ちゃんはわかりやすい。オレが殴られて怒っている事も、自分のせいでと罪悪感を感じている事もよく伝わってくる。


「私がもっと早く、あの人に言っていればよかったんです…そしたら、手嶋さんをこんな危ない目になんか遭わせなかったのに……」


本当に、ごめんなさい。と言った声は涙声になっていた。そしてくるりと体の向きを変えて、未だに呼吸を荒げている男に向き合った。一花ちゃんがようやく自分の方を向いてくれたのが嬉しいのか、オレを睨み付けていた表情が緩む。だけどそれは一瞬で、すぐに不安げな顔に変わる。後ろ姿しか見えないけど、彼女の放つピリピリとした空気で今きっと男を睨んでいるんだろうという事はわかる。


「一花…なんで……」
「毎日すごい量のLIMEとか、駅で待ち伏せされるのとか…すごい嫌でした。迷惑でした」
「え……」


普段の明るい一花ちゃんからは想像できないような淡々とした口調で思わず息を飲んだ。男もそれに…というか、迷惑だとはっきりと彼女の口から聞かされた事に驚きを隠せないようだ。ほんっとに一花ちゃんが嫌がってるってわかってなかったんだな、こいつ。


「なんで…僕はただ一花の事が好きで、好きになって欲しかっただけで…!」
「…ごめんなさい。私はあなたのこと、好きにはなれないです」


相変わらず淡々と言い放つ一花ちゃんに、少しだけ背筋がぞくりとした。一体今彼女はどんな表情をしているんだろうか…以前見た捲し立てるような時とは違って今は静かに怒っているのを空気で感じる。多分、これが一花ちゃんのマジギレなんだろう。今この怒りがオレに向けられた物じゃなくてよかったとホッとしてしまう。

いや、そんなことよりもハッキリといって言ってしまったから男が何か一花ちゃんに危害を加えようとしてくるかも知れない。守らなくちゃと咄嗟に彼女の前に出ようと足を動かした。


「だって……手嶋さんを、私の大好きな人を、傷付けたんだから!!」


…足を動かした、はずだった。
なのにオレの足どころか全身はピタリと固まっていた。普段はよく回ると自負している頭だけど、たった今一花ちゃんの口から発せられた一言を処理するので脳がいっぱいいっぱいで、手足に動けと信号を発する事すらもままならなくなってしまったようだ。今、一花ちゃんは何て言ったんだ…?

私の、大好きな、人……?


「なんで、なんでそんな奴がいいんだ一花!!」


まるで時間が止まったような感覚に陥っていた頭を引き摺り戻したのは、男の叫び声だった。一花ちゃんに掴みかかろうと迫る男の前に咄嗟に割って入って、彼女の肩に触れる直前でその手首を掴んだ。とにかく今はこの男との決着を付けることの方を優先しなければ。


「もう諦めろって。いい加減にしといた方がいいぜ?」
「うるさい!離せ!!」
「あー…お前さ、進学校だよな?エリート揃いの。それ以上やるとやべぇと思うんだけど…」


意味がわからないと言いたげな顔を向けてくるヤツに、「アレ」と少し離れたところにある柱を指差した。


「おーい、青八木ィー」


呼びかけると柱の影から青八木が姿を現す。その青八木はカメラレンズをこっちに向けた状態のスマホをしっかりと手に持っていて、思わずオレは口の端を上げた。
青八木の手にしていたスマホに気が付いた男はサアっと効果音が付くように顔を青くした。こいつ、女の子の気持ちにはとんでもなく疎くて一方的だけど、こういう事はすぐに理解できるらしい。進学校に行ってるだけあってやっぱ頭はいいみたいだな。

何も策がないまま、コイツと対峙していた訳じゃない。
オレはここに来る前、青八木に頼み事をしていた。「何かあった時の為に、隠れて動画を撮っておいて欲しい」、と。
青八木の事だからオレに何かあればすっとんで来ることが予想できたから、もしオレが殴られても絶対に出てくるなと念押しもして。当然不服そうな顔されたし、危ないと止められもしたし「オレが行く」とも言われた。けどどうしてもオレがコイツとケリを付けたかった。一花ちゃんに「守る」と言った事もあるが、オレも彼女を好きだからこそコイツとは話を付けなければと思った。
まぁとにかく、コイツの迷惑行為の証拠が撮れれば抑止力になると考えた。この男の通う進学校はかなり厳しいと有名なようだから、女の子への付き纏いや他校生への暴力行為があったと知られればコイツにとってはまずい事になるだろう。


「あの動画、お前の学校に送ったらまずいんだよな?あーいや、これどうするか決めんのは一花ちゃんだな」


当然一花ちゃんにはこの動画の事を話していない。彼女がここにくる事は正直予想外だったからな……一花ちゃん目をパチクリとさせて唖然としているけどすぐに状況を理解してくれたのか、目の前で青ざめている男を睨みつけた。


「あなたが私たちにもう関わらないって約束してくれるなら、何もしません。けど…手嶋さんは……」
「オレも一花ちゃんと同じ意見だよ。出来れば穏便に済ませたいからな」


決して男の将来を気遣ってではない。本当は散々一花ちゃんを苦しめたんだから突き出してやりたいと思っている。だけど彼女の事だからきっと部活への影響も懸念しているはずだし、腑に落ちない気持ちの悪さはあるがキャプテンとしては変な騒ぎになるのは避けたい。
掴んでいた男の手がだらんと脱力して、オレの手から落ちた。そしてさっきまで怒鳴りちらしていた勢いは嘘だったかのように弱々しい声で、「もうしません…」と聞こえた。


「すみません…ほ、本当は一花…さんの困った顔が見たかったんです……ごめんなさい…もう関わらないって約束しますから、学校に見せるのだけは…!」


思わず「ハァ!?」と声が出そうになった。一花ちゃんの困り顔が見たかったって…それ確信犯だったって事じゃねぇかよ!一花ちゃんが困ってんの知っててあんな迷惑行為を繰り返してたのかよ!
また沸々と怒りが込み上げてくるけど、これ以上はこっちが手を出しかねない。だめだ、落ち着けオレ。


「っ…、もういいですから!早く帰って下さい!」


困った顔が見たかった、という言葉にやっぱり一花ちゃんも怒っているようで、その証拠に「もう顔も見たくない」と言わんばかりに男に背を向けた。力無く返事をしてからヨロヨロとした足取りで正門へと向かうそいつの後ろ姿を青八木と見届けて、視界からその姿が完全に消えると全身の強張りがふっと抜け落ちて思わず盛大に息をついた。


「あー…よかった、これで終わったな」
「全く…無茶しすぎだ、純太」
「ははは、ワリィワリィ」


青八木は呆れたような顔をしているが安心もしているようだったし、「ありがとう」とその目が言っていた。やっと一花ちゃんを苦しめていたヤツから解放出来たんだ……よかった、本当に。これでまた一花ちゃんに心から笑ってもらえるだろう。


「…手嶋さんも、お兄ちゃんも…本当にごめんなさい。私がもっと早くあの人にハッキリ言えていれば…」
「そんなに気にすんなよ。アイツ、何しでかしてくるかわかんなかったし…悪いのは一花ちゃんじゃないだろ」


なあ、と青八木に視線をやればこくりと頷いている。
悪くない、そう言ったが一花ちゃんの顔は今にも泣き出しそうな暗い顔のまま。こんな顔をして欲しかった筈じゃなかったんだけどな…。


「そんなに自分を責めるなよ。どうあれアイツを追い払えてよかったし…守るって言った約束、ちゃんと果たせたからな」
「手嶋さん……ありがとうございます…」


目を潤ませたまま、一花ちゃんはようやく笑顔を見せてくれた。まだ不安は残っているような笑顔だったけど、やっと笑ってくれたならそれでいい。


「けど、ちゃんと手当はしろ」
「ああ、わかってるよ。後で保健室行ってくるわ」


大した力は無かったから殴られた時はそんなに痛みはなかったけど、今になってじわじわと痛みを感じ始めた。こりゃきっと少し腫れるな。
青八木は「それならいい」と言った後、徐にオレと一花ちゃんに背を向けた。


「保健室の先生、探してくる」


この時間いつもならもう保健室は閉まってるけど、先生はまだどこかしらに居るんだろう。何でこうなったかって言い訳、考えねぇとな……素直に「殴られました」なんて言えねぇし。
なんて考えていたら、青八木はじっとオレを見て何かを言いたそうにしていた。少し困ったようなあの視線……きっと、一花ちゃんと二人で話す事があるんだろと言いたいんだろう。
やっぱ、さっき一花ちゃんが男に向けて言った事…だよな。

…正直このまま、何も聞かなかった事にしておきたかったんだけどな…。

青八木の遠ざかっていく足音を聞きながら、もしも一花ちゃんがこのまま何も言わなければオレも何も言わないでおこう。けどもし、彼女が切り出したら……


「あ、あの、手嶋さん……っ」


意を決したようなすこし上ずった声。ぎゅっと握られたスカートの裾に、赤くなった頬。
これだけで一花ちゃんが何を言おうとしているのかが分かる。
…出来れば何も言わないで欲しい、そんな願いはどうやら彼女には伝わらなかったようだ。

──私の大好きな人。

一花ちゃんはオレのことを、そう言ってくれた。


「さっき言った事、なんですけど……」


一花ちゃんの事が好きだという気持ちに一つの嘘もない。あの男に向けて語った一花ちゃんへの気持ちだって全て本心だし、彼女の事が本当に好きで好きでたまらない。
その彼女も、オレを好きでいてくれた。しかも「大好き」とまで言ってくれたなんて…こんなに嬉しい事って無いだろ。手を伸ばせば触れられる位置にいる彼女を抱き寄せて、ずっと燻っていた一花ちゃんへの気持ちをぶつけてしまいたいし、付き合って欲しい、ずっと側にいてくれって伝えたい。

男と対峙する前までの文化祭で浮かれきった頭のままだったら、きっと間違いなくそうしていたと思う。けど今は、頭の中の冷静な自分がそれを「だめだ」と強く引き止めてくる。

もっとオレが強ければ、凡人でなければ、なんでも完璧にこなせる人間だったなら何の躊躇いもなく一花ちゃんの手も取れたんだろうか。
残念ながら、オレは全てを求めて手に入れられる程器用な男ではない。きっと今一花ちゃんの気持ちに向き合って応えてしまえば、先輩達から託されて、後輩がボロボロになりながらも掴み取ってくれた大切な物を壊してしまう。それに…彼女の事も、きっと傷付けてしまう。

そうだな……今は、やっぱだめだよな。


「……ワリィ、一花ちゃん…。今は、何も言わないでくれ」


胸が深く抉られたみたいに、苦しくて堪らなかった。



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