今はまだ、内緒の本命チョコレート
二月十四日、バレンタインデーの今日はどこもかしこも浮き足立っているし、教室も廊下もどこもかしこも甘い。チョコレートの匂いしかり、仲の良さそうな男女しかり……。
私はそんな甘い匂いにお腹を空かせながら、甘い雰囲気を纏う二人にはつい羨ましいなという気持ちを抱いてしまう。こんなんだから私は「色気より食い気、花より団子」だなんて言われてしまうんだろうな。去年までなら否定出来なかったから笑って受け入れていたけど、今年の私は違う。ちゃんと渡したい人がいる。毎年渡しているお兄ちゃんや仲の良い友達、それから部活のみんなとか、日頃の感謝を込めて渡す人たちはもちろんだけど……好きです、っていう気持ちを込めたチョコを渡したい人。それはもちろん、手嶋さんのこと。

今は彼に好きって想いは伝えられないけど、それでも絶対に渡すんだ!って決めて、どんなチョコがいいか数日間悩みに悩んで漸く昨日買ったチョコを持って、お昼休みのチャイムが鳴った直後に教室を飛び出して手嶋さんの教室を目指した。
二年生の教室が並ぶ階に降りてもやっぱりチョコの甘い匂いが漂っているし、チョコを交換してはしゃぐ先輩達の声で賑わっている。やっぱりバレンタインって青春真っ盛りの学生には大事なイベントなんだな。
私も早く手嶋さんに渡したいな。この後当然部活でも顔を合わせるし、部員のみんなにはその時に幹ちゃんと二人で用意したチョコの詰め合わせを配る予定だけど、どうしても手嶋さんには1番に渡したくて。

手嶋さんの教室の前に到着した途端に鼓動が早くなる。ここまでノンストップで走ってきたせいもあるけど、これは緊張しているからに違いない。
うるさいくらいに騒いでいる心臓と緊張で震えそうになる指先に落ち着けって頭の中で言い聞かせながら、教室の外から中を覗いてみると廊下と同じくチョコの交換を楽しむ先輩達で賑わっていた。そんな中でも手嶋さんをすぐに見つけられるのは私の特技と言ってもいいかもしれない。だって私の目に映る手嶋さんはいつだって星のように輝いているみたいで、意識なんかしなくっても私の目は手嶋さんを捉えてしまう。うーん、我ながらなかなか重症だよなぁ。
手嶋さんを視界に収めた事によって一層逸る鼓動を無視して、手嶋さんを呼ぶために口を開いた。


「えーこんなにもらっちゃっていいのかよ、いやぁモテる男は辛いなぁー」


だけど、私の口から彼の名前が出る事はなかった。
…数人の女の子に囲まれてたくさんのチョコを抱えて嬉しそうに笑っている手嶋さんの姿に、それまで浮かれ気味だった私の思考回路はピタリと止まってしまった。

頭の上に重たい物が落ちてきたみたいだった。
ずっと思っていた。手嶋さんは気さくだし優しいし、気配りも出来る。きっとたくさんの女の子から好かれているんだろうなぁって…。そう、この光景を見るまではただ思っていただけだった。そんな光景を見る事がなければ私のただの想像でしかなかったし、いつしかそんな事を思っていた事すら忘れていた。
大体お兄ちゃんも手嶋さんがモテるならモテるって最初から言ってよ!だったらそうなんだって少しは覚悟ができたし、今のこのショックも少しは和らいだかもしれない。ただ女の子からチョコをもらってただけで、告白されている所を見た訳じゃないのに。どうしてこんなに胸が痛いんだろう……そもそも好きですって伝えられないのにこんなチョコを用意するだなんて事もやめておけばよかったのかもしれない。

手嶋さんが彼女達と何を話しているのかは聞こえないけど、相変わらず楽しそうに笑っている。その光景をこれ以上見ていたくなくて思わず手嶋さんの教室の前から走り去った…ていうより、逃げ出した。
とにかくここから離れたい。ただその一心でひたすら走って自分の教室を目指した。そういえばまだお昼ご飯も食べてなかったな、本来ならこの時間はお腹が空いてたまらないけど今は何も食べたくない。もうご飯食べないで自分の席で寝てしまおう。そうすればもしかしたら起きた時さっきの光景を忘れているかもしれない。そうしよう、この後の部活で手嶋さんと普通に接しなきゃだし、一度頭をリセットしなくちゃ。
そう思いながら教室に入ろうとしたけど、背後から近付いてくる一つの足音。


「一花ちゃん!」


自分の教室に入る直前、後ろから聞こえた足音が止んだ代わりに私を呼んだのは大好きな人の声。別の誰かと聞き間違えることなんて絶対にありえないし顔を見なくたってわかる、私を呼んだその声は手嶋さんのだって。


「……手嶋さん」


錆びた鉄のように動きの悪い首を回して声の主を見ると、やっぱり手嶋さんだった。少し息を切らせているけど…もしかして私を追ってここまで走ってきたのかな。いや、まさか。さっきまで女の子に囲まれて嬉しそうにしていたんだから、私一人のためにそんなこときっとありえない。普段なら私のことをすぐに見つけて追いかけて来てくれた事に喜んでいたんだろうけど…今はすごくモヤモヤしてしまう。


「さっき教室まで来ただろ?何かあった?」
「……いえ、大したことじゃないので…」


つい手嶋さんから目を逸らしてしまった。いつもなら恥ずかしいけどずっと見ていたいと思う彼の明るい笑顔だけど今は見ている事が出来なかった。どうしてもさっき見てしまった、チョコを受け取っていた時のあの嬉しそうな笑顔がちらついて胸がじくじくと痛かった。
そこでようやく気が付いた。この胸のモヤモヤしてじくじく痛むような、気持ちの良くない気持ちの正体。これ多分嫉妬じゃん。私は手嶋さんの彼女でもない、ただの部活のマネージャーで、彼の親友の妹だっていうだけなのにこんな些細な事で嫉妬なんかしてしまうなんて。自分でも思っていた以上に私ってめんどくさいなぁ。
…でも、好きな人が他の子からチョコをもらって喜んでるところなんて見たくなかったなぁ……。


「一花ちゃん、もう飯食った?」
「いえ…これからですけど…」
「じゃあさ…一緒にどうかな。用事があったんだろ?飯食いながら聞かせてくれよ」
「そんな、本当に大した用事じゃないので…!」


いつもだったらこんな嬉しい誘い、たとえ用事を聞くついでだとしても喜んで頷いていたけど今は素直に首を縦に振る事が出来なかった。手嶋さんに渡すつもりでいたチョコももう家に持って帰って自分で食べちゃおうかなって思い始めていたところだし……


「些細な事でもいいから聞かせてくれよ。部員の話を聞くのもオレの仕事だしさ!」


仕事、という言葉にまたチクリと胸が痛んだ。手嶋さんはキャプテンだからそういうことを言ったんだって頭では理解しているのに、その反面私の胸の奥はまた灰色になってドロドロしていくようだった。本当に今日の私はどうかしているし面倒くさい。
返事を返せずに俯いて黙っていると、さっきまでの明るい声じゃなくてワントーンさがった小さな声で「…いや」という言葉が聞こえて思わず顔を上げた。


「……キャプテンだからとかそんなんじゃなくてさ…、オレが一花ちゃんと飯食いたいんだ。…なんて言ったら、やっぱキモいかな」


まるで道行く人に助けを求めるている捨てられた犬みたいな、しゅんとしたような顔でそんな事を言われてしまったら一緒に食べる以外の選択肢がなくなってしまう。ちょっとずるいですよ手嶋さん、と思う反面、その言葉がとても嬉しいしもしかしたらという期待をしてしまう。それだけでさっきまでのモヤモヤが少しだけ晴れたような気がするから、やっぱり私は単純なのかもしれない。
わかりました、と頷けば手嶋さんはいつものように笑う。やっぱり、悔しいけど彼のこの明るい笑顔が大好きだ。


「学食はもういっぱいだろうし、外…はさすがに寒ぃよな。部室で食うか」
「あ、はい。そうですね」
「んじゃあオレ飯と鍵取ってくっから、先に行っててくれ!」


私が返事をする間もなく、手嶋さんはブレザーの裾を翻して自分の教室の方向へと走って行ってしまった。
咄嗟に部室でいいって返事しちゃったけど、それって確実に二人きりになるじゃん、と気付いた途端に嫌なのか嬉しいのか、どちらとも言えない複雑な気持ちになる。チョコを渡すチャンス、だけど……あんなにもらっていたのに今更私が渡していいのかな?貰いすぎて処理に困らせてしまうだけじゃないのかってまた悩んでしまう。うーんやっぱりめんどくさいなぁ私って。今日だけで何度そんなことを思っただろう。
それよりも早く部室に行かなくちゃ。教室に入って自分の席のフックにかけていたお弁当の入ったランチバックの中に手嶋さんに渡すつもりでいたチョコをとりあえず忍ばせて、それを持って部室まで急いだ。

部室の前に到着すると、私よりもほんの数十秒くらい遅れて手嶋さんが来た。また私の前に現れた彼はさっきよりも荒い息をしていて、すごく急いで来てくれたことがわかる。もっとゆっくりでよかったと言えば、手嶋さんは「寒いとこで一花ちゃんの事待たせらんねぇから」って息を切らしつつもウインクをしてそんな事を言う。そんな事を平然と言ってしまえるから手嶋さんはモテるんだなぁと思ったと同時に、そういうところがやっぱり好きだなって再認識した。
手嶋さんに鍵を開けてもらった部室の中には当然誰もいない。わかっていたけど、やっぱり手嶋さんと二人きりだ。途端にドキドキし始めて、息が詰まりそうだった。こんな状態でご飯なんか食べれるのかな…。
座ろうと促されるまま、手嶋さんと向かい合う形でいつも日誌を書いたりドリンクを作っている年季の入った灰色のテーブルの前に置かれた、これまた所々布が破れて年季のあるパイプ椅子に座った。


「…で、用って一体何だったんだ?」
「本当に大した用じゃないんです。その……お邪魔しちゃ悪いと思って…」


また浮かんでくる見たくない光景。他の女の子達に囲まれて嬉しそうに笑う手嶋さんの姿。彼の笑顔は大好きだけど…他の子に向けられているあの笑顔はただただ胸が痛くて苦しいだけ。こんな事ばかり思って暗くなってしまう自分が嫌になる。
どうしてだろう、何でもないと笑うのは下手くそだったとしても出来ていたはずなのに……手嶋さんの前では全然出来そうにない。


「あ、もしかしてアレ見てた?」
「……は、はい……」
「そっかー見てたかー」


アレ、っていうのはきっとチョコを渡されていた所だろう。
思わず俯いてぎゅっとスカートを掴んだ。これ以上あの光景を思い出したくなくて……いっそ「用事があった」と言ってここから逃げ出してしまいたいくらい。


「いやーアレマジで酷いと思わねぇ!?」
「……え?」


部室内に響いた予想外の言葉に、思わず顔を上げた。


「オレにチョコ渡して来たんだから普通オレ宛って思うじゃん!そしたら全部今泉宛なんだよ!」


「調子乗んなワカメ!」とか「手嶋には30円のチョコで充分」とか酷すぎだっつーの!
そう言って手嶋さんは不貞腐れたように腕を組んで眉間に皺を寄せた。
…つまり……手嶋さんが抱えていたあのチョコ達は全部今泉くん宛で、手嶋さんを囲んでいた女の子達はみんな今泉くんのファンだった…ってこと……?


「直接渡しても絶対受け取ってくれないからってさ、オレは郵便局じゃねぇっつーの!」


深くため息をついて、机に項垂れて「今泉のことしばらくエリートって呼んでやるわ…」と恨めし気につぶやく手嶋さんに思わず笑ってしまった。
手嶋さんには申し訳ないけど、あの時手嶋さんが持っていたチョコが彼に宛てられた物じゃなくてよかった、って安心しちゃうなんて私って性格悪いかな。
さっきまでの胸のモヤモヤが嘘みたいに消えているし、渡そうか悩んでいたチョコも今は持ってきてよかったと思える。すぐモヤモヤしたり悩んだり喜んだり安心したり、やっぱり私って面倒だけど単純だなぁ。
けど…多分これはどうしようもない。私は手嶋さんの事が大好きで、彼の特別でいたいんだから。些細なことで一喜一憂するのはもう仕方ないと思う。


「…あの。手嶋さん」
「ん?」


顔を上げた手嶋さんの前に、ランチバックの中に隠していたチョコを差し出すと彼は驚いた顔でそれと私の顔を交互に見てきた。


「これ……手嶋さんに貰って欲しいんです」
「もしかして…さっきはこれを届けに?」
「……は、はい……。手嶋さんには、一番に渡したくて…」


無意識にそんな事を口にしてしまったと気が付いた時にはもう遅くて、手嶋さんの見開かれた大きな目が私を見ていた。恥ずかしいと思うよりも先に急激に顔に熱が集まってきて、頭の天辺からぼんって音を立てて煙が出るんじゃないかと思った。


「いえ!そ、その!手嶋さんには一番お世話になってるから…!だ、だから…!」


受け取って、ください……。
そう震える声で言いながら、思わずチョコを差し出したまま顔を伏せた。多分今の私は、手嶋さんから見たら切実に受け取って欲しくてお辞儀してるみたいになっているんだろうな。うわ、余計に恥ずかしい…!
けど、すぐにそっと私の手から離れていくチョコの箱。恐る恐る顔を上げると、さっきまで私の手の中にいたチョコを持った手嶋さんが嬉しそうな笑顔を私に向けてくれていた。


「ありがとう、一花ちゃん。すっげー嬉しい。まさか貰えるなんて思ってなかったからさ」


手嶋さんのにかっとした笑顔に釣られて、私も思わず顔が緩む。さっきまでこの眩しい笑顔にもやもやしていたのに、今はそれが嘘みたいだった。今私の頭にあるのは、ただただこの笑顔が堪らなく大好きだって事だけ。


「けどなんか、食うのもったいねーな。せっかく一花ちゃんから貰ったのに」
「うーん…出来たら食べて欲しいです、手嶋さんに食べて欲しくて選んだので…」


甘い物が好きな手嶋さんの好みに合わせて、色々調べて悩みながら選んだチョコなんだから美味しくない、なんて事はきっとないはず。でも手嶋さんは返事の代わりにぱちぱちと目を瞬かせた。そして何故か「えーっと…」と何か言いにくそうにしながら、頬をうっすら赤くしている、気がする……。


「あの、さ……このチョコってさ…」
「…はい?」
「もしかして……」


そこで手嶋さんはチョコの箱を見つめて言葉を止めてしまった。
一体何を聞きたいんだろう…?どうしたんですか、と聞こうかと思ったけれど相変わらずチョコを見つめたままの手嶋さんの顔が何やら真剣に考えているようで…大人しく言葉の続きを待った。


「…いや…、今はやめとくわ」


数秒後、ようやく視線を戻してそう言った手嶋さんはなんだか寂しそうな笑顔を向けていた。彼が私に何を聞こうとしたのか気になったけど、それは聞かない方がいいような気がして「そうですか」としか返す事が出来なかった。


「それより、早くご飯食べませんか?もう私お腹ぺこぺこで…」
「そうだな、早く食わねぇと昼休み終わっちまうな。オレも腹減ったわ!」


やっぱり、手嶋さんの事が好き。大好き。
今は彼の邪魔をしない為にその気持ちを伝える事はできないし、渡したチョコは本命だって事も内緒だけど…来年のバレンタインは私の大好きっていう気持ち、全部全部手嶋さんに伝えられたらいいな。



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