12
手嶋さんに付き添われて帰った日から、何日か経った。
あの日私が思わず怒ってしまったのが効いたのか、なんと今日まで彼からの連絡が一切途絶えた。それだけじゃなくて、いつもなら待ち構えているはずのバス停にも姿を見せなくなった。
翌日は部のみんなを貶すような事を言った彼が悪いとはいえ、あんな風に怒鳴ってしまったから何か仕返しをされるんじゃないかってすっごいビクビクしていた。だから、まさかの展開に別の恐怖を覚えた。これは何かの前触れなんじゃないか…って。
けどきっとそんなはずはない。きっと彼は私を諦めた…というよりも幻滅したんだろうな。手嶋さんも言ってた、「アイツきっと一花ちゃんの事お淑やかな大人しい子だと思ってたんだろうな」って。それはそれで失礼だなって思ったけど、まあ、結果オーライと言うべきかな。

やっと彼から解放されたんだ。これからは何も怯える事はない。お兄ちゃんにも付き添って貰わずに帰れるし、ひっきりなしに来るLIMEの通知に悩まされることもない。私の頭はまるで雲一つない青空のように澄み切っているような気分だった。ああ、何も嫌な事が無いって、こんなに気分が良かったんだ!
いっぱい心配してくれて、助けてくれた手嶋さんとお兄ちゃんには本当に頭が上がらない。特に、手嶋さんには。


一方で総北高校の文化祭はもう残す所あと数日と間近に迫っていた。
各学年、各クラスとも準備の最終段階に追われていて、自転車部の部室に来るタイミングもみんなバラバラだった。その為部活は文化祭のあれこれが落ち着くまでは各自自主練習が主なメニューでチームとしての練習はここ数日間行われていない。

最後に例の彼と会ったあの日、トラブルのあったお兄ちゃんの愛車は幸い翌日には元通りになっていて、無事に練習に参加する事が出来た。さすが寒咲さんだ。今度の田所さんの卒業レースでもあるクリテリウムにも問題なく参加する事が出来そうでホッと胸を撫で下ろした。
そんなお兄ちゃんは今、相棒である手嶋さんじゃなくて、一緒にクリテリウムに出場する鳴子くんと田所さんとスプリントの練習に打ち込んでいた。


「ありゃダメだな」


誰が一番にゴールラインの白線を割ったかで言い争う鳴子くんと田所さん、それに睨むような表情をうかべながら静かに参加しているお兄ちゃんの3人を遠目で眺めていた手嶋さんはぽつりと呆れたようにつぶやいてから、私に視線を向けた。


「やっぱあの3人、自分が一番最初にゴールする気満々だよ」


そう言って、手嶋さんは肩を竦めた。
今度のクリテリウムについて、手嶋さんは「来年に見据えた走りを」とお兄ちゃんと鳴子くんに伝えていた。だけど最初からあの3人はだれも聞く耳を持たない…というか、意味を履き違えているのか、自分が一番にゴールをしようと譲らなかった。田所さんの高校最後のレースだからお兄ちゃんと鳴子くんが2人でアシストして田所さんに花を持たせる、なんていうこともきっと考えてないだろうな。
手嶋さんは日にちが近くなれば少しは変わるかも、なんて期待していたようだけど残念ながら相変わらずだった。金城さんにも相談してみたけれど、スプリンターとはそういう生き物だって言われたと手嶋さんは話していたっけ。


「でもあの3人らしいです」
「ああ、だな」


手嶋さんはくしゃっと笑った。それに釣られて私も思わず口元を緩めた。


「…あれから、アイツからは何かあったか?」


手嶋さんの言うアイツ、は例の彼の事だろう。何もないです、と言うと手嶋さんはそうか、と安心したような表情を浮かべた。
それから手嶋さんは私から視線を逸らしながら、「あー」とか「その、さ…」とか…何か私に言いたいけど言いにくそうにしていた。


「…手嶋さん?」


そこでやっと手嶋さんと目が合う。だけどやっぱり手嶋さんは何か言いにくそうにしている。…私また何かやらかしちゃったかな、と不安になり始めた時手嶋さんは何か決したように口を開いた。


「あのさ、今度の文化祭、よかったら──」
「手嶋さん、ちょっといいすか」


漸く話してくれた手嶋さんの言葉を遮ったのはメモ用紙を片手にした今泉くんだった。練習メニューの相談だろうな。いつもなら「おう、どうした?」って愛想良く返事をする手嶋さんだけど、今は顔をすっごい顰めて今泉くんを見ていた。


「今泉…お前なぁ……」
「…何かまずかったすか」
「はぁ…まあいいや。どうした、何かあったか?」


手嶋さんは私に向けていた体を反対にいる今泉くんに向けて、これからの練習について話し始めた。
…手嶋さんは一体私に何を言おうとしていたんだろう。文化祭って言ってたけど……もしかして、一緒に回りたいとかそういう…いや、いやいや、何を考えているんだ私!今は部活に集中!と自分に言い聞かせて、また勝負をし始めたスプリンター3人に応援の言葉を叫んだ。





今日の部活も終わって、手嶋さんとお兄ちゃんと私の、3人だけの恒例の居残り練習。文化祭の準備もあって疲れているだろうに2人は相変わらずメニューを軽くすることも無く練習に打ち込んでいる。こんな忙しい時くらい少し休んでも…って思うけど、来年のインターハイに誰よりも強い想いを滾らせている2人にとって1分1秒が大切だという事を知っている。
…だからこそ、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。しつこい彼の事で心配させて、振り回してしまって……数日前にそれを言ったら「一花のせいじゃない」、「一花ちゃんは悪くねぇだろ」と怒られてしまったのでこのことはもう言わないようにしていた。

練習を始める前に、時間を確認する為にスマホを見ようとカバンからそれを取り出して画面を開いた。


「……え…」


真っ先に目に飛び込んできた通知に、血の気が引くような感覚を覚えた。
LIMEの通知がずらっと画面に伸びて埋め尽くしていた。…全て、もう私に愛想を尽かせてくれたんだと思った彼からだった。中には着信まで入っている。前はメッセージは大量に来ても電話がかかってくることはなかったのに……。
当然怖くて既読を付けるなんてできない。というか通知に出ているメッセージも正直読みたくない。なのに、私の目は自然とその通知を追ってしまう。


『この間は随分頭に血が昇っていたみたいだけど、落ち着いた?』
『全部あの男に言わされていたんでしょ?一花があんなに怒るなんてありえないもんね』


…などなど、まるであの日の事なんて響いていないような内容がずらっと並んでいた。
何より、一番怖いと思ったのが──


『今度の総北の文化祭の一般公開の日、行くからね』
『その時に話そう』
『出来たら謝ってほしいな、僕に怒鳴った事』


まだ、終わっていなかったなんて。目の前が真っ暗になりそうだ。
やっぱりハッキリ言わなきゃダメだったんだ、嫌だって。あの時どうして私は言えなかったんだろう、ただ部のみんなを侮辱された事にイラついてそこまで頭が回らなかった。頭の中を後悔と自己嫌悪ばかりがぐるぐるとかけ巡っている。


「どうした、一花ちゃん」


顔をスマホから上げると、手嶋さんとお兄ちゃんが私を見ていた。
もう2人には心配かけたくない。今度こそ、私だけで彼のことをどうにかしないと……そう思っていたけど、スマホを持っていた手をがしりとお兄ちゃんに掴まれてそのまま奪われてしまった。


「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!」


お兄ちゃんは私の声に何も反応を見せず、私のスマホの画面を見ている。妹のスマホを奪ってそれを堂々と見るなんて!なんて酷い兄なんだろう。プライバシーの侵害にも程がある。しかもそれを手嶋さんにも見せている。酷すぎる。
けど、普段お兄ちゃんは絶対にこんな事しないのを知ってる。きっと私が何を考えているのかも、何があったのかも全部察してしまったんだろう。
…それは多分、手嶋さんも。お兄ちゃんに向けられた私のスマホを見る前に、「ごめん」と一言謝った手嶋さんの表情はいつもの優しいそれじゃなくて、険しい物だった。


「あんにゃろ、まだ諦めてなかったのかよ!!」
「……」


私のスマホから顔を上げた2人は、怒りの表情を浮かべていた。
私のために2人がこんなに怒ってくれるなんて嬉しいと思った反面、また心配かけてしまって申し訳ない気持ちで潰れてしまいそうだった。


「…私、一般公開の日学校休みます。そしたら彼に会わなくて済むし…」


うちのクラスのメイド喫茶のシフトももう決まってしまってるから、クラスのみんなには迷惑かけてしまうし、文化祭楽しみだったから残念だけど…それなら2人にも心配かけないし、彼にも会う事は無い。もう私にはこれしか思い付かなかった。


「アイツの為に一花ちゃんが逃げる事無いって!」
「……」


声を上げた手嶋さんに、お兄ちゃんもこくんと頷いた。手嶋さんの声が結構力強くて思わずびくっと体が跳ねてしまった。


「それに、このままじゃきっとアイツ一生一花ちゃんの事諦めねぇよ」
「手嶋さん……」
「…なあ、一花ちゃん。一般公開の日、空き時間何時から?」
「えっ…」


戸惑いながらも空いている時間を手嶋さんに伝えた。そうか、と返事をしてから何かを考えているのか数秒口を噤んだ後にもう一度「あのさ」と言ってきた。


「その日、誰かと周る約束とかってしてる?」
「い、いえ…まだ誰とも」


その日はいつもお昼を一緒に食べてる幹ちゃんと綾ちゃんとも時間が合わなくて、どうしようかなと考えていた所だった。同じクラスの子で空いてる子がいたら一緒に周ろうかな…って。


「なら、オレが付き添うよ」
「……え!?」


付き添う…って、それってつまり文化祭は手嶋さんが一緒に周ってくれる…って事で合っているんだろうか。心配してもらってるこんな時に何考えてるんだって怒られてしまうかもしれないけど、手嶋さんと一緒に文化祭だなんて、幸せすぎて私変になってしまう気がする…!誰にも言ったことないけど、実は密かに憧れていた。好きな人と一緒に文化祭を周ること。青春漫画とかドラマじゃベタだけど、やっぱりいいなって思っていた。


「青八木は?」


何を期待していたんだ私。そうだよ、私の事を心配して付き添うと言ってくれたんだもの、当然お兄ちゃんも一緒に決まってる。今は浮ついた事を考えるよりも彼をどうするかを考えなくちゃ!


「…その時間、オレは合わない」
「ああ…そっか、その日はオレ青八木と被ってなかったな…」
「一花のこと、頼めるか」


お兄ちゃんの問い掛けに、手嶋さんは少しだけ時間を置いてから、「任せてくれ」と力強く言った。その声に少しだけ泣きそうになってしまった。私の事、真剣に考えてくれてるんだ…って…。


「…一花ちゃんも、いいか?」
「はい…よろしくお願いします…!」


こうして私は、文化祭本番の一般公開の日、大好きな手嶋さんと2人で周る事になった。
手嶋さんと一緒なんて本当に夢みたいだ。きっかけはそんな呑気で甘酸っぱい物じゃなかったけど……それでも嬉しすぎて今にも走りたくなってしまう程。

それに、手嶋さんと一緒なら…今度こそあの彼にハッキリと自分の気持ちを強く伝えられそうな気がした。




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