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<※手嶋母捏造>




なんていうか、今日はとにかく怒涛の1日だ。
部活中に例の彼が直接押しかけてきて、手嶋さんに助けて貰って。その後いつもの居残り練習の時間に絶対に言えないと思っていた手嶋さんに彼のことを打ち明けて、そして最後……私は今、手嶋と書かれた表札を提げた一軒家の前にいる。


「おばさんに会うの、久しぶりだ」
「そういやあそうだな。前やってた作戦会議もあんまやんなくなったしな」


ガチガチに緊張している私と対照的に、お兄ちゃんは慣れた様子で手嶋さんが開けたお家の敷地内への門を躊躇う事なく潜る。そっか、お兄ちゃんにとっては親友の家に遊びに来たんだもんね…私は男の人のお家に来るのなんて生まれて初めてで心臓が飛び出しそうだっていうのに。


「寒いから早く来いよ」


未だに緊張して敷地内に踏み出せない私を見かねた手嶋さんに声をかけられて、ようやく手嶋宅の門を潜る事が出来た。
それから手嶋さんに案内されるまま2人に続いてお家の扉も潜る。彼とお兄ちゃんのロード2台が並んでも少し余裕のある玄関を眺めながら、手嶋さんは毎朝ここから愛車と一緒に学校へ向かっているんだななんてあたりまえの事を考えて思わず口の端が持ち上がってしまいそうだった。
それに、なんだかおいしそうないい匂いがする。これはきっと手嶋さんのお母さんのご飯の匂いだ。匂いだけじゃ料理が何かはわからないけど、美味しいという事は間違いないだろう。手嶋さんのお母さんのご飯、楽しみだなぁ。

「上がれよ」と手嶋さんに促されるまま、お兄ちゃんと「お邪魔します」と緊張で若干震える手で靴を脱いで、玄関から上がって脱いだ靴を整えた。


「ただいまー」


直後、誰かがトタトタと小走りで近付いてくる足音が聞こえてきた。


「あれ!もう帰ってきた!もう少しゆっくりかと思って、支度ゆっくりしてたのよ」


部屋から顔を出したのは手嶋さんとそっくりなウェーブを描いた髪型を後ろで一括りにして、これまた手嶋さんそっくりな猫の様な大きな目をしたエプロンを着けた女性だった。言われなくても一目でわかった。この人が手嶋さんのお母さんなんだって。


「お久しぶりです」
「あら一くん!久しぶりねえ、なんかちょっと見ない間に随分かっこよくなっちゃってまあ!」


ぺこっと頭を下げたお兄ちゃんに、手嶋さんのお母さんは嬉しそうにニコニコと笑っていた。笑った顔もだし、この明るい話し方も手嶋さんにそっくりだ。言葉遣いっていうより、雰囲気かな…?なんだか似ている。
って、この場合は手嶋さんがお母さんにそっくりなのか。手嶋さんはお母さん似なんだな…とほっこりしていたけどそんな場合じゃない、私もご挨拶しなくちゃと慌てて「はじめまして!」と声を上げた。


「青八木一花と申します!手嶋さ…えっと…じゅ…純太さんにはいつも兄共々お世話になってます」


今日はお世話になります、と頭を下げた。ご挨拶もだけど、なによりも手嶋さんの事を“純太さん”と呼ぶ事に緊張した。いつか名前で呼んだり出来るのかな、なんて少し考えたことはあったけど、まさかこんな形で彼の下の名を口にするなんて。
…けど、なかなか手嶋さんのお母さんからの返事はなくて、代わりに「ちょ、ちょっと純太!」と慌てた声が小さく聞こえてきた。まさか何か失礼してしまったのかと恐る恐る顔を上げれば、私とお兄ちゃんから数歩ほど離れた所で2人は何やらこそこそと慌ただしげに話していた。こそこそ…といってもこちらには会話は丸聞こえなんだけど。


「ちょっと!女の子が来るなんて聞いてないわよ!それもあんな可愛い子!」
「だって聞かれなかったしさぁ…もしかして言った方がよかった?」
「当たり前でしょ!それなら部屋もっと綺麗にしたしもう1人も部活の子だと思っておかずいっぱい作り足しちゃったのよ!」
「あー…それに関しては心配ねぇよ」
「え?どういうこと?」
「とにかく挨拶返しなよ、一花ちゃん困ってんだろ」
「そ、そうだった!」


手嶋さんとの会話を終えたお母さんはまた私の元に戻ってきて「ごめんなさいね!」と眉を下げて笑った。この笑い方も手嶋さんにそっくりだなあ…


「こちらこそいつもうちの純太がお世話になってます。いやー、まさか一くんに妹さんがいるなんて!それもこんなに可愛い子だなんてねえ」
「い、いえ…!そんな!」
「男くさい家だけど、ゆっくりしていってね。さ、一くんもこっちいらっしゃい。ご飯すぐ用意するからね」


手嶋さんのお母さんに案内されて食卓へ入ると、玄関で嗅いだ美味しそうなにおいが一層強く鼻腔に広がって食欲が増す。思わずぐう、と鳴りそうなお腹をこっそりと抑えながらここで待っててねと言われるまま、明るい色をした木目調のダイニングテーブルとお揃いの椅子にお兄ちゃんと並んで腰掛けさせてもらった。
夕飯の準備のお手伝いでキッチンに駆り出された手嶋さんと、鼻歌混じりに楽しそうに夕飯の準備をするお母さんの2人のそっくりな後ろ姿を見ているとなんだか微笑ましくなる。いつもこんな風に手嶋家は明るいのかな。
それにしても、ご馳走になるっていうのにお手伝いも何もせず待ってるだけっていうのはなんだか申し訳なくて落ち着かないなあ…。


「はい一花ちゃん!お口に合うといいのだけど」


そわそわしているうちにお母さんが私の分の数種類のおかずが乗ったお皿と、お茶碗のフチより少し低い位置まで盛られた白米を運んできてくれた。ほかほかと湯気を放つ数品のおかずは彩もあってすっごく美味しそう。…だけど、少食だと思われているのか、いつも家で食べている量よりも全然少なくて「美味しそう!」の次に頭に浮かんだのは「絶対足りない!」という焦りだった。けどここは他所様のお家で、しかもご馳走させて頂くんだから抑えなくちゃ!それにバクバク食べて手嶋さんのお母さんに引かれたくないし……なるべくゆっくり頂こう。


「おいおい、それ一花ちゃんのだったのかよ」
「え?なんかまずかった?」


お母さんに続いてキッチンから出てきた手嶋さんの手にしているお盆の上には、私の分よりもずっと多い、いつも食べてる量よりも少し多いくらいのご飯とおかずのお皿が乗っていた。きっとお兄ちゃんのだろうな、と思っているとやっぱり手嶋さんはお兄ちゃんの前にそのお皿達を置いていった。


「一花ちゃん皿貸して。足してくるから」
「あ、い、いえ!大丈夫です!全然!!」
「そ、そうか?ならいいけど……まだたくさんあっから、足りなかったら言ってくれ」
「は、はい…ありがとうございます…」


青八木もな。と言って再びキッチンへ戻っていく手嶋さんを見送ってから、ふう、と一息ついて隣のお兄ちゃんを見るとなんだか面白そうな表情を薄く浮かべている気がして思わず顔を顰めた。


「足りるのか、それで」
「……家帰ったら何か食べるもん」


それから手嶋さんとお母さんも自分の分の食事を用意して椅子に着いた。「いただきます」と手を合わせてから口に運んだ手嶋さんのお母さんの作ったお料理は思った通りすっごく美味しくて、お行儀が悪いと思いつつもおかずを口に運ぶ手が全然止められなくて…ゆっくり頂こうと思っていたおかずと白米は気が付けばあっという間にお腹に収めてしまって「やっちゃった…」と後悔した。
当然私の前に座っているお母さんはすっごいびっくりした表情を私に向けていて、もう穴があったら入りたいと切実に思った。


「……すごいよく食べるのねぇ、一花ちゃん…」
「す、すみません…本当に美味しくて、つい……」
「だから言った」
「お兄ちゃんが遠慮ないんだよ…!」


薄くニヤニヤしながらまだご飯を食べてるお兄ちゃんを睨みつける。今お兄ちゃんがお箸で持ってるあのお肉のおかず、あれ一番美味しかったんだよね…!いいなあ、私ももっと食べたい……


「はいよ」


コト、と私の目の前に置かれたのは空になったはずのお皿達だった。いつの間にかそのお皿の上にはおかず達が盛られていて……思わず顔を上げると手嶋さんがいた。どうやら足りなかったのを察して何も言ってないのにおかわりを持ってきてくれたらしい。しかも、一番美味しかったお肉が他のおかずよりも多目に盛られている。私本当に何も言ってないのに……


「その肉のやつ気に入ってくれたのかなって思ったんだけど…違った?」
「い、いえ…!これすっごい美味しかったです!もっと食べたいなって思ってた位で…」
「はは、そりゃ良かった!つかマジで遠慮しなくていいからな。ウチの家族だけじゃあと2日は同じもん食わされそうな量あるからさ」


マジどんだけ作ってんだよ、と呆れたように笑いながら自分の椅子に戻る手嶋さんにお母さんは「余計な事言わないの!」と肘で彼を小突いた。親子というより、まるで仲の良い友達同士みたいだ。
…それにしても…、手嶋さん、こんなところも見ていてくれたんだ。バクバク食べてる姿を見られていたと思うとちょっと恥ずかしいけど、気が付いてくれたのが嬉しくて胸がきゅっと何かに握られたような気持ちになった。


「全く、気が利くじゃないって思ったら……。けど一花ちゃん、本当に遠慮しないでね。美味しいだなんて言ってもらえて嬉しいんだから!」
「はい…!ありがとうございます」


それから、お兄ちゃんも手嶋さんのお家に来た最初の頃はすごく遠慮がちで緊張しまくりだった事とか、家での手嶋さんはどんな様子だとか、そんな他愛無い話で盛り上がって楽しい団欒を過ごさせてもらった。



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