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朝から気分はあまり良くなかったし、朝練にも遅刻してしまったけどサポートも今日の授業もなんとか乗り切れた。その後の部活も、居残り練習も。
とにかく最低限スマホを見ないこと。逃げているようで悔しかったけど、これを徹底してどうにか自分の精神状態をこれ以上下げないようにした。さっき時間を確認する為に少しだけ画面を見たらやっぱり相変わらず今日もびっくりするような件数のメッセージは入っていたけど、今日は幾分か苦しくない。スマホを見てないおかげもあるんだろうけど、きっと何より大きいのは今日はお兄ちゃんが一緒に帰ってくれるからだと思う。


「青八木今日はチャリで帰んないんだよな」
「ああ」


いつもならそのまま乗って帰る愛車を、お兄ちゃんは部室に仕舞い込んだ。どうやら手嶋さんには事前に言ってあったみたいだ。
そっか…私と帰るって事は、お兄ちゃんもバスに乗ってその後は電車だからロードは部室に置いて帰らなきゃなんだ。そんな当たり前の事を忘れてた訳じゃないけど、明日の朝もバスと電車で通学しなくちゃいけないからなんだか申し訳ないなあ…と思う反面、明日の朝もお兄ちゃんと一緒に行けると思うと安心した。


「珍しいよな。何か用事か?」
「……いや…」
「……」


お兄ちゃんは私をちらりと一瞬横目で見てきたけど、「ただの気分だ」と手嶋さんに返していた。どうやら私が手嶋さんに例の彼の事を話す気がないうちはお兄ちゃんも喋らないみたいでほっと胸を撫で下ろした。


「……そっか。んじゃ帰ろうぜ、もうバス行っちまったかな」


手嶋さんの私を見る目が、なんだか気遣わしげな気がした。…やっぱり、お兄ちゃんの言う通り私が悩んでる事気付かれているんだろうなぁ…。
何も気を遣わなくていいなら、すぐにでも手嶋さんに相談したい。対策も何も出てこなくてもいい。ただ、ほんの少しだけでも寄り添ってくれれば…それだけでこんなの全然へっちゃらに思える気がする。……そんな事、出来ないけど。

今日は手嶋さんとお兄ちゃんと一緒に部室を出て、3人でバス停へ向かう。「今日はお兄ちゃんがいるから見送らなくて平気」と言ったのに、手嶋さんはいつものようにバス停まで見送りに来てくれる。やっぱり優しいな、ってふわふわするような気持ちになる反面、そんな優しさに甘えたくなってしまう。だめだめ、と自分に言い聞かせて、精一杯なんて事ないふりをする。

バスが来るまでの約10分。一人で待ってると地味に長く感じるそれは3人で部活の事とか、文化祭の事とか話しているとあっという間だった。
それじゃあまた明日、と一緒にバスに乗り込むお兄ちゃんと手嶋さんに挨拶をして今日もバスの席に座って、窓から手を振って別れる。やっぱりこの瞬間が1日の中で一番切なくなるなあ…手嶋さんといられる時間がとても幸せだから。例の彼からの粘着に合っている今は尚更そう感じる。


「…ねぇ、お兄ちゃん」
「……」
「手嶋さん…やっぱり気付いてるのかな」


私のこと。と隣に座るお兄ちゃんの顔を見上げる。お兄ちゃんはすぐに返事をしてくれなくて、じっと私の顔を見ていた。でも数秒後、小さく頷いた。どうやらその数秒間何かを考えていた、というか、頷くのを躊躇っていたのかもしれない。


「…そっか。やっぱり心配かけちゃってるのかな…」
「お前が話すまで、待つって言っていた」
「……そっか…」


お兄ちゃんの口ぶりからして、男の人に困っているんだってことは知られてなさそう。あんなに手嶋さんには甘えられないとおもっていたのに、私の異変に気が付いていてくれたということに泣きそうになる位の安心感と嬉しさを感じていた。
けど…これ以上はダメだ、私を心配してくれてるってだけで充分。そう思わなくちゃ。

それからお兄ちゃんとは何も話さないまま、駅前のバス停に到着した。
少し前ならここに着いた時はお腹空いたなあ、夕飯なんだろ、とか…そんな呑気な事ばかり考えてバスを降りた後は吸い込まれるように改札へ向かっていたのに、今は足が重たいばかりで、もっとバスに乗ってる時間が長かったらいいのになんて考えてしまう。
今日はお兄ちゃんが一緒だから大丈夫って思ってたけど…バスの降車口へ向かう足が震えて鼓動が嫌な感じに早まる。どうやら彼への恐怖心は自分で思っている以上に根付いてしまっているらしい。思わず無意識にバスを降りる直前、前にいるお兄ちゃんのブレザーに手を伸ばして掴んでしまった。お兄ちゃんはちらりと振り返ってきたけど嫌な顔もせず、何も言わずにそのままバスを降りた。


「一花さん」


ぞわり、と全身の毛が逆立つような感覚がしてお兄ちゃんのブレザーを掴む手に力が入った。毎日聞きたくないのに、逃げたいのに私を待ち構えているその人のハキっと私の名前を呼ぶ声。自分の名前は好きなはずなのに、彼の口から発せられる私の名前は嫌いだ。


「待ってましたよ。今日はいつも通りの時間なんですね」
「……あ、はい……」


にっこり笑う彼の笑顔に更に背筋がぞくっとした……虫唾が走る、という表現がしっくりくるかもしれない。待っててだなんて頼んでないのに、なぜ彼は決して早いとは言えないこんな時間まで私を待っているんだろう…私と話したいと言ってくれるのは、普通ならありがたいなと少なからず思うけど、彼に対してはとにかく、困るという感情しか抱くことができない。


「……」


お兄ちゃんの横顔をちらりと見ると微かに眉が顰められて険しくなっていた。今目の前にいる彼が例の彼だって察してくれたんだろう。


「…一花さん、この男の人は誰ですか?」


彼は笑ってたと思ったら、お兄ちゃんの姿を見るなりわかりやすいくらいに不快そうな顔をしていた。この時一瞬、「彼氏です」と言ったら彼は私ばかりに粘着することをやめてくれるかな…という考えが過った。だけど逆上してお兄ちゃんを傷付けるような行動をされてしまったら…という考えもすぐに浮かんだ。この手は使えないな…。


「…兄です。私の」
「お兄さん…?」


はい、と頷けば彼の表情から不穏な色が消えて、安心したのか顔が明るくなった。


「お兄さんですかぁ!はー良かった!彼氏だなんて言われたら僕暴れてましたよ!けど一花さんに限ってそんな事無いですよねぇ!」


どういう意味だろう、地味に失礼なことを言われた気がしてならない。
それよりも心底嬉しそうに歯を見せる笑顔にちょっとだけ寒気を感じた。人の笑顔を見てこんな感覚になるのは初めてだ……これが手嶋さんだったらドキドキしたり胸がほわほわしたりするんだろうな…ううん、彼の笑顔はこれよりももっと綺麗で素敵だ。
それにしても暴れてました…って…本気なのかな、冗談めかして言ってるけどなぜか冗談には聞こえない。でも突っ込むのも億劫でただ乾いた笑いしか浮かべることが出来なかった。


「初めまして、お兄さん。いつも一花さんとはとても仲良くさせて頂いています」
「………」


仲良くしている…というのは最初の頃だけだったし、今はもう距離を置きたいくらいだけど。そうはっきり言えたらいいのに言えない自分が嫌になる。それにさっきの“暴れてた”って言葉が本気なら尚更言い出せない。
にこやかに笑って自己紹介をする彼にお兄ちゃんは顔を顰めて──というより、睨んでるのかな…これ…。今にも何か言い出しそうなお兄ちゃんの背中をくいくいっと軽く引っ張って「変なこと言わないでね」と無言で訴えてみる。
その訴えをお兄ちゃんは汲み取ってくれたのかいつも以上にぶっきらぼうに挨拶を一言返した。


「お兄さん、一花さんとはあんまり似てないんですね。羨ましいなあ、こんなに美人な妹さんが──」
「悪い、今日は早く帰れと言われている」


彼の言葉を遮ったお兄ちゃんは「帰るぞ」と私の腕を少し強引に引っ張って、慌てる私をよそにスタスタと改札へ向かっていく。慌てて片手で鞄から定期券を出そうと鞄のポケットを漁って改札を潜る直前でどうにかそれを引っ張り出してわたわたしながら定期を機械に当てて改札を通過した。
びっくりしたけど私を彼から一刻も早く引き離そうとしてくれたんだ…ちなみに今日はお母さんからもお父さんからも「早く帰ってきなさい」なんて事は一言も言われていない。やっぱりお兄ちゃんが一緒に帰ってくれてよかった……。


「またLIMEしますね、一花さん!」


正直、やめてほしい。今日ももう既に50件近い彼からの通知が来ていたのに…これ以上だなんて本当にもう勘弁してほしい。…なんてやっぱり言えなくて、「は、はい…」としか返すことが出来なかった。

でもこうしてお兄ちゃんが暫く一緒に帰ってくれて、私を彼から遠ざけてくれるならいつか離れてくれるかもしれない……そんな期待が生まれた。





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