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「もー!それじゃあよくわかんないってば!」
「…だから説明しただろ」
「その説明がよくわかんないんだってば!」
「はぁ……もう一度説明するぞ」


手嶋さんを巻き込んだお兄ちゃんとの喧嘩からもうすぐ一週間。
あれから私達兄妹は「言いたいことはちゃんと言おう」と決めた。私は割と言えている方だと思うのだけど…お兄ちゃんの口数は相変わらず少ない。だけど以前よりも若干増えたような気がする。仕事の説明は相変わらずよくわかんないけど、最近は私が理解するまでちゃんと教えてくれる。周りからは言い争い増えてないか、と心配されているみたいだけど…私は今のほうがずっと落ち着く。何だかんだ言ってお兄ちゃんのこと大好きだし、ちゃんと気持ちを話せる方がいい。

それから、ずっと私と手嶋さんの2人きりだった居残り練習に最近はお兄ちゃんも参加するようになった。なにやら必殺技の開発をしたいのだとか…それに手嶋さんも付き合ってるみたいだった。
せっかくこの時間は手嶋さんを独り占めできる時間だったのに…っていう思いはまあ、ほんの少しだけあったりするけれど、私の大好きなチーム2人の練習をじっくりと見れる事の嬉しさの方が大きかったりする。
けど…私の気のせいかもしれないけど、この時間のお兄ちゃんは手嶋さんから少し距離を取っているような気がする。
まさかお兄ちゃんは私に気を遣っているのかと思ったけど、手嶋さんが好きだってことは打ち明けてないし……もしかしてバレている…?いやいや、恋愛なんて縁遠いであろうお兄ちゃんに限ってそれはきっと無いだろう。


「2人とも今日も遅くまでお疲れ様です」
「ん、サンキュー。一花ちゃんこそこんな時間までわりぃな」
「…ありがとう」


練習を終えて部室に戻ってきた2人にドリンク入りのボトルと洗いたてのタオルを手渡して、「いえ!全然!」と笑う。もう随分涼しくなってきたのに2人とも汗だくだ。それ程必殺技の開発はハードなんだろう。


「必殺技の開発はどう?お兄ちゃん」
「………」


お兄ちゃんは珍しく渋い顔をしている。これは私にでも何て言いたいのかわかるぞ、「聞くな」、そう言ってる顔だ。どうやら成果はあんまり芳しくなさそう。


「いい線は行ってると思うんだけどな。けど、今度の田所さんの引退レースにゃ間に合いそうにないな…」
「…やっぱり田所さんのようにはいかないな」


2人は肩を落としているけど…どうしてそんなに落胆する必要があるんだろうか。毎日お兄ちゃんの記録を見ているけど、確実に平坦が速くなっている…春先の記録から比べてそれはもう目を見開くほどに。お兄ちゃんがいないところで鳴子くんも焦ってた、「無口先輩速くなりすぎやろ!とんでもないモグラや!」って。その時思わずお兄ちゃんそっくりなモグラを想像して笑いそうになった事はお兄ちゃんには絶対言わないでおこう。


「きっと大丈夫だよ!お兄ちゃんすっごい速くなってるもん。この間だって鳴子くんとほとんど秒差なかったし」
「そうだぜ青八木!必殺技なんか無くたってお前なら大丈夫だよ!」


な!と手嶋さんは勢いよくお兄ちゃんの肩を叩いた。ちょっといい音したから痛そうだな、とお兄ちゃんの顔を見ればやっぱりほんの少しだけ顔を顰めていた。


「…心配するな。鳴子にも田所さんにも勝つ」
「……もしかして勝負する気か?オレとしては来年のインハイを見据えた走りをして欲しいんだけど……」
「?…そのつもりだが」
「いやいや、オレが言いたいのはそういう事じゃなくてな……はぁ、ま、いっか…」


手嶋さんが言いたいのは“来年のインハイを見据えて、チームとして走れ”って事だろう。いつも意思疎通ばっちりな2人でも通じない事もあるんだな、って思わず溢れそうになった笑いをなんとか堪えた。それにしても、お兄ちゃんももうすっかり負けず嫌いなスプリンターだ。少し前までは鳴子くんと田所さんの勝負を離れて見ていたのに、今じゃ2人と張り合って何度負けてももう一度、またもう一度としつこく何度も勝負をしている。この一週間だけで休憩を疎かにするお兄ちゃんに何度「もうやめて!」って怒ったことか……。


「はー、にしても疲れたわ。そろそろ帰ろうぜ。今日もバス停まで送るよ、一花ちゃん」
「はい。いつもありがとうございます、手嶋さん」


お兄ちゃんが居残り練習に参加するようになって、今まで手嶋さんがしてくれていた私がバスに乗るまで見送るっていう係はお兄ちゃんになるのかな…ってちょっとだけ寂しい気持ちになったけど、いつもお兄ちゃんは帰り支度を終えたら私と手嶋さんを置いてさっさと帰ってしまう。早く帰りたいから先に帰るってわけでもなさそうだし…やっぱり気を遣われてるのかな……。

今日もお兄ちゃんはさっさと帰り支度を整えて、私たちを置いて先に帰ってしまった。部室に残された私と手嶋さんはこれまでと同じようにバス停に向かって、バスが来るのを待つ。


「やっぱこの時期のこの時間は冷えるな」
「そうですね…あったかいもの欲しくなります」


手嶋さんとの居残り練習を始めた頃は、まだ夏の暑さを引き摺っていたのに秋も深まった今となってはそれはすっかり身を潜めて、代わりにひんやりとした空気を運んでくる。
あの頃から比べて、手嶋さんは他の部員に記録は及ばないながらもどんどん速くなっている。それに、以前はキャプテンとして色々葛藤や悩みも抱えていたようだけど、最近は気持ち的にも余裕が出てきているみたいでよかった。少しずつだけど確実に、手嶋さんもお兄ちゃんも前へ進んでいるんだ。


「手嶋さん、この間は改めてありがとうございました」
「ん?あー、兄妹喧嘩の事か?」
「はい。お陰でやっと私も前に進める気がして…」


あの喧嘩の後、気が付いた事がある。
自転車競技部のマネージャーになって、もう一度ロードに関わって、大きく前に踏み出したつもりでいた。けどそれは小さな一歩に過ぎなかったということ。
お兄ちゃんと向き合う事を避けていたのと同時に…みんなにに心配をかけたくないって言うのを言い訳にして、平気なフリをして自分の本当の気持ちからも目を逸らしている事に気が付いた。


「オレはただあの場にいただけだったけど…一花ちゃんの役に立てたなら良かったよ」
「それで良かったんですよ、手嶋さんはお兄ちゃんと私にとってお守りなので」
「お守り…なぁ…。やっぱよくわかんねぇわ…」
「ふふっ……側に居てくれるだけで安心、って事ですよ」
「え…?」
「…あ!いえ!その、変な意味じゃなくって…!その、私の事もお兄ちゃんの事もわかってくれてる人がいると安心だったって事で…!」


危ない、今の言い方は好きだってバレてしまいかねなかった…!
たしかに今咄嗟に言った理由もあるけれど、手嶋さんが側に居てくれる、それだけで私はとても安心したし…勇気をもらえた。あの時私とお兄ちゃんだけだったら、きっと私はお兄ちゃんに気持ちを打ち明ける事なくその場から逃げ出していたに違いない。彼には迷惑をかけてしまったけど…あの時側に居てくれて、本当に良かった。お陰で私はお兄ちゃんと気持ちをぶつけ合えたし…自分の本心にも気付くことが出来た。

それからバスが来る時間まで他愛ない話をして、定刻通りに来た駅へ行くバスに名残惜しさを感じつつも乗り込んだ。さっきまで隣にいた手嶋さんとバスの窓ガラス越しに目を合わせると彼はにこりと笑って手を振ってくれる。私も手を振り返した所でタイミングよく車内に響く発車のアナウンス。バスが発進して、どんどん小さくなる手嶋さんの姿を見送る切なさはいつまで経っても慣れる気がしない。

今日もその切なさをほんのりと感じつつも、制服のポケットからスマホを取り出してLIMEのアプリを開く。連絡先の一覧から“寒咲幹”の名前をタップして、バスに揺られつつもメッセージを打ち込んだ。


『今度の土曜日、部活の後幹ちゃんのお店に寄ってもいいかな?通司さんにちょっとお願いしてみたい事があって…』


そう打ち込んで、ふう、と息をついて送信ボタンを押した。

あの時気が付いた、私がずっと目を背けていた本当の自分の気持ち……。もう当時のように出来ない事はよくわかってる。前と同じじゃなくても、それでもいい。私も尊敬する手嶋さんとお兄ちゃんのように、前に進みたい。

──もう一度、ロードバイクに乗りたい。




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