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青八木兄妹に一悶着あってから数時間後の部活終わり。賑やかな1年の奴らも帰って、部室に残るのはいつも通りオレと一花ちゃん…それから、青八木の3人だけ。
いつもならオレらを残して先に帰る青八木が部室に残っている理由は一花ちゃんと話をするためだが、その理由を知っているのはオレだけ。

あの後、結局青八木と一花ちゃんの間に漂う重たい空気は収束しなかった。喧嘩のあと2人は一切会話をしなかったし、一花ちゃんに至っては兄貴と目すら合わせようともしなかった。青八木の言った通り、これじゃ家に帰ってもこのままだったろう。それどころかこの険悪な雰囲気は明日以降も続いていそうだ。2人は今も言葉を交わしてすらいないが部室の空気はずっしりと重たい。
オレも結局あの後、一花ちゃんと話をする事が出来なかった。「今は部活以外の事で話しかけないで欲しい」、そんなオーラがピリピリ伝わってきて「迷惑かけてすみませんでした」と平謝りされたきり、彼女とは最低限の会話しか出来なかった。



「……お兄ちゃん、帰らないの」


いつも通り居残り練習のために残ってくれた一花ちゃんは、みんな帰ったのに未だにサイジャ姿でいる青八木に不満たっぷりな顔を向けている。
今日だけで一花ちゃんの知らなかった表情や声を聞くのは何度目だろうか。帰らないの、と聞いているがその口調は「早く帰りなよ」と言いた気だ。


「お前に話がある」
「…話ってなに?わざわざ部室じゃなくても家で言えばいいじゃん」


一花ちゃんの言葉尻が強くなって一層空気が重たくなる。これはまずいと悟ったオレは「まあまあまあ」と少しでもこの場の空気を明るくしようと声のトーンを上げて向かい合う2人の間に立った。オレに向けられる2人の視線。青八木の顔に怒りとか不満といった物は感じない…が、一花ちゃんは青八木に向けていた表情そのままでオレのことも見てくる。彼女にこんな顔を向けられたのはもちろん初めてだったけど、何とも言えない感覚が体に走った。嫌ではないような、どきっとしたような…いや、今はそんな場合じゃない。


「手嶋さんに迷惑でしょ。話なら帰ってから聞くから」


なんつってるけど、一花ちゃんのこの言葉とこの表情は大人しく話を聞くとは思えない。やっぱこりゃ2人だけで話をさせるのは良くないと改めて思った。


「いいんだよ一花ちゃん。オレから言った事だから」
「…手嶋さん…」
「2人がギスギスしたままじゃ、オレも心配っつーかさ…いっそお互いに言いたい事言った方がいいと思うんだ」


言いたい事…、と一花ちゃんは青八木の顔を見て小さくつぶやく。今青八木を見ている彼女の表情は不満に満ちたそれではなく、どこか不安そうだった。多分青八木に自分の気持ちをぶつけていいのかという不安より、あいつに何を言われるのかが怖いのだろう。無理もねぇ、一花ちゃんは自分がロードに関わった事を青八木はよく思ってないとずっと思い込んでいるんだから。それを面と向かって言われたらと思うと不安なんだろう。


「一花」
「な…なに…」
「さっきの事、すまなかった」
「……」


一花ちゃんは青八木の謝罪に何も返さずに俯いた。けど何か言いたい事を口にするのを躊躇っているのか、キュッと唇を噛み締めているのを見逃さなかった。
言いたい事我慢すんなと背中を押そうかと迷ったが、そのままそっと見守る事にした。あくまでオレは収集付かなくなりそうになった時の為にここにいるだけだ。下手に口を出すべきじゃないだろう。
2人の間に立ちつつも少し離れた所へ移動すると、俯きながらも横目でちらりとオレを見てきた一花ちゃんと目が合った。やっぱり戸惑っているようだ。そりゃそうだ、言いたい事言い合えなんていくら溜め込んでいても突然言われると困る。だけど今この兄妹にはそれが必要なんだ。不安気な一花ちゃんに言った方がいいよ、という言葉の代わりに頷いた。


「そう、だよ…お兄ちゃんいつも口数少ないから、本当は何が言いたいのか私にはわかんないんだよ…」
「……」
「もっとちゃんと言ってよ、何して欲しいのか…どう思ってるのかとか、さ…」
「……それはお前もだ」
「!!」


青八木の言葉が予想外だったのか、ずっと眉を顰めて今にも泣きそうな顔で話していた一花ちゃんは驚いた表情を青八木に向けた。…青八木が言ってんのはきっと一花ちゃんの事故の事だろう。言葉にはしていなかったけど、こいつもまた彼女が隠していた「悔しかった」、「泣きたい」って本心を話して欲しいと思っているのはきっと確かだ。


「何で…?私、お兄ちゃんには気持ち伝えてるつもりだよ…?」
「嘘をつくな」


青八木の強めの口調にたじろいだ一花ちゃんの喉が動いた。思わず息を呑んだのだろう。


「…事故に遭った時のお前の本心、ずっと話して欲しかった」
「なに…それ。ずっと言ってたよ?運が悪かっただけだから…って…」
「……気が付いてないと思っていたのか」


青八木の強い視線から顔を逸らした一花ちゃんは泣きそうな表情だった。さっきから声も少し震えていて、思わず庇ってやりたくなる程に可哀想だが今オレは間に入ってはダメだ。やっとお互いに言いたい事言い合えそうなんだから。


「ならお兄ちゃんも話してよ…」
「………」
「私がお兄ちゃんの真似してロードやってた事、本当は良く思ってなかったんじゃないの…!?」
「……!」


一花ちゃんの強い口調の言葉が部室内に反響する。声の震えは止まっているがさっきよりもずっと泣き出しそうな顔で眉間に皺を寄せていた。対して青八木はまさか一花ちゃんがこんな事を思っていたとは考えていなかったんだろう。稀にしか見られない位に驚いた表情を彼女に向けていた。


「そんな事、思ってる訳ないだろ…!」


今度は青八木の大きな声が部室に響く。いつも静かで淡々とした口調の青八木の珍しく荒々しいその声に思わず肩が跳ねた。それに余程一花ちゃんの言葉が心外だったのか、眉間には深い皺が刻まれて元々シャープで形のいい眉が吊り上がっていた。一方の一花ちゃんも当然目を見開いて驚いた顔をしている。というか…怯えているようにも見える。無理もねぇ、少し引いたところから見ているオレですら一瞬背筋が冷えるような感覚になったんだから、面と向かっている彼女はオレ以上にその感覚に陥っているだろう。


「……確かに、最初の頃は一人で走りたいと思っていた」
「……」


青八木の声はいつも通り静かなそれだった。険しかった表情もさっきの一瞬だけで今は殆どいつも通りだ。向かいにいる一花ちゃんは、相変わらず泣き出しそうな不安気な表情だけれど。


「けど……どんどん速くなるお前と走るのが、いつしか楽しくなっていた。負けたくないって、思った」
「…お兄ちゃん……」
「一花がロードに乗ってた事…嫌だったなんて、オレは思ってない」
「……」
「お前とロードが出来て、良かったと思ってる」
「っ……!」


青八木から顔を背けた一花ちゃんの大きな目にはうっすらと涙が溜まっていた。それを悟らせないようにと必死に堪えているのか顔も強張っている。青八木には涙を見せたくないっていうのはわかっちゃいたけれど、耐えているところを目の当たりにすると相当嫌なんだなと実感する。


「…マネージャーをやりたいと言ってくれた時も、嬉しかった」
「っ…、表情、変わらなかったじゃん……そうか、しか言わなかったし…」
「……悪かった」
「だから、もっとちゃんと…思ってること、言ってよ……」


相変わらず青八木から顔を隠すように背けている一花ちゃんの頬には光を反射する何かが伝っていた。とうとう涙を堪えきれなくなってしまったらしい。ティッシュか何か拭えるものを手渡そうかと思ったけど、このまま2人を見守る事にした。
…さっきまで苦しそうだった一花ちゃんの声は、嬉しそうだった。



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