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「だからちゃんと言ってよ!わかんないよ!」


メニューを半分こなして、補給のために部室に入ったオレの耳に真っ先に飛び込んできたのは一花ちゃんの怒声だった。
初めて聞いた彼女のその声に驚いて何事かと一花ちゃんの姿を見やると彼女は眉を吊り上げて向かい合う青八木をキッと睨みつけていて、一花ちゃんが怒声を浴びせた相手は青八木だというのは一目瞭然だった。
一花ちゃん怒るとあんな顔するんだなと呑気な考えが一瞬過ぎったけどどう見たって今はそんな事考えている場合じゃない。
睨まれている青八木はいつも通り涼しい顔をしている…わけでもなく、一花ちゃんの怒声に驚いているようだった。当然部室内にはヒリつくような剣幕な雰囲気が漂っていて、何事もなかったかのようにこの年季の入った扉を閉めてここから立ち去りたくなる程。当然そんな事キャプテンとして出来るわけがないし、それにこの兄妹の仲裁に入れるのはオレしかいないだろう。

唯一この部室にいた第三者の、突然の事で驚いて硬直している寒咲をこっそりと手招きして何があったのかと小声で訊ねた。


「すみません…私もよくわからなくて。青八木さんが一花ちゃんに何か頼んでいたみたいなんですけど、すれ違いがあったみたいで…」
「あー…そんな事だろうと思ったわ。わりぃ、ありがとな。空気重いだろ、後はオレがなんとかするから外出ててくれ」


寒咲は一花ちゃんの事が心配なのか、一瞬彼女の方を見てから分かりました、と頷いた。


「一花ちゃん…今日はなんだか様子がおかしくて心配だったんです。お願いします、手嶋さん」


軽く頭を下げて寒咲は部室の外へ出て行った。それを見送ってからもう一度睨み合ってる兄妹に視線を向ける。

寒咲の言う通り、確かに一花ちゃんは今日部活に来た時から何か考え事をしているようで呼びかけにワンテンポ遅れて反応する事が何度かあった。その原因を作ってしまったのはオレとの昨夜の会話だろう。一花ちゃんがまさかここまで考え込んじまうなんて思ってなくて、昨日の青八木との話はするべきじゃなかったと罪悪感を感じていた。
後で謝ろうと思っていたが遅かったみたいだ…まさか今まで勃発しそうでしなかった兄妹喧嘩になっちまうなんて…。


「いつもそうやって何も言ってくれなくて…!私はお兄ちゃんの言いたい事わかんないよ!」
「………」


どうやら2人ともオレの存在に気付いていないらしい。怒ってるのに泣きそうな顔している一花ちゃんと、微かに表情が険しくなり始めた青八木は相変わらずお互い睨み合っている。


「落ち着けって2人とも!どうしたんだよ」


2人に駆け寄って、間に入り込むようにして2人の肩に手を置くとようやくオレに気が付いたのか同時にオレの名前をぽつりと呼んで顔を向けた。全く盛大な喧嘩になりそうだっていうのに、動きも声も揃ってるからなんだかおかしな気分だ。


「……別に何も無いですよ。お兄ちゃんが何も言ってくれないだけで」


先に視線を逸らして口を開いたのは一花ちゃんだった。いつもと違う低めのその声には明らかに棘があって、いつもオレと話す時のニコニコして弾むような声とは似ても似つかない。


「…だから言った。オレがやるって」
「どうしたらいいのって聞いたじゃん!なのになんでそうなるの!?」
「待て待て待てって!まず2人とも頭冷やせって、な?」


再び青八木に怒声を向ける一花ちゃんと眉間の皺を深くする青八木を制して、まずは2人を落ち着かせることを試みた。2人はオレの言うことならすんなりと聞いてくれるようだ。まだお互い睨み合っちゃいるが言い争いを始める様子はひとまず無さそうでよかった…が、青八木を睨みつつも若干呼吸を荒げて今にも泣き出しそうになってる一花ちゃんは少し心配だ。


「平気か?一花ちゃん」
「……すみません…少し頭冷やしてきます…」


俯いて、いつもより低い声で小さくそう言って一花ちゃんは部室から逃げるようにして出て行った。部室に取り残されたのはオレと青八木の2人だけ。本当は一花ちゃんとも少し話しておきたかったけど、今はきっとそっとしてやるべきだろう。むしろまだまだ青八木に言いたいことあっただろうに、冷静にここから離れるっていう判断が出来たのは懸命だ。もう暫くしたら様子を見に行ってみることにして、息を一つついて視線を一花ちゃんが出て行った部室の扉から青八木に移す。


「…一花ちゃんに何か頼んだんだって?」
「……」
「それでやって欲しい事が上手く伝わらなかった?」
「……」


オレの質問に、青八木は全て頷いた。一体何の仕事頼んだのかは知らねーけど、ここからどうなったかは寒咲の言った通りだろう。青八木は一花ちゃんに上手く説明できなくて、一花ちゃんは青八木の言いたい事を上手く汲み取れなくて……よくあるこの兄妹のすれ違いが、今日は色んな要素(主にオレか)が重なって爆発しちまったって事だろう。今思えばずっと大なり小なり喧嘩にならなかった方が不思議だ。


「あのさ、オレはお前が無口だって事も会話があんまり得意じゃねぇって事はよく知ってるけどよ…もう少し伝えたい事、ハッキリ言っていいんじゃねぇか?」
「…上手い説明の仕方、わからなかった」


あんなに怒るなんて思わなかった、と一花ちゃんと向かい合っていた時のイラついた表情は一体なんだったんだと思う程思い詰めたような、見ていて痛々しい表情をしていた。


「仕事の説明も、だけどさ…青八木の気持ちもだよ」
「……?」
「部活の事なら側にいりゃオレも説明できるけどよ……お前が伝えないと意味がねぇ事だってあるだろ」
「……」


青八木はオレの言葉に対して考え込んでいるのか、視線をオレから床に落とした。
数秒後に顔を上げた青八木は不安そうな影を落としていた。


「…前に話した事か?一花がマネージャーやってる事、どう思っているかって…」
「それもだけどよ、青八木が一花ちゃんにどうして欲しかったかもだよ」


どうして欲しかったか…と、青八木はオレの言葉を小さく反芻してまた俯いて考え込んでいるようだ。ったくそんなに考える事じゃないと思うけどな…けど真面目な青八木らしい。こうして真剣に彼女と向き合おうとしているなら、きっと大丈夫だと思えた。


「…話して欲しかったんだろ?一花ちゃんが事故に遭った時の本心」


徐に顔を上げた青八木に問えば、青八木の頭は縦に力強く振られた。


「…多分、喧嘩になる」
「いいじゃねぇか、喧嘩すりゃあ。あー手が出るようなのはダメだけどさ…お前らは一回言いたい事言い合った方がいいと思うぜ」


飯何が食いたいかって事くらいでしか喧嘩した事ないだろ、って冗談混じりに聞いてみると青八木は真面目に頷いた。まさかとは思ったけどマジだったのか…。食いたい飯のことはお互い譲らないでちゃんと喧嘩出来んのに、こういう事はダメなのか……。


「…話してみる。一花と」
「ああ。それがいいよ」
「…けど……オレと一花だけじゃ、きっとまたこうなると思う」


青八木の言いたい事はわかる。オレに2人の間に立ってストッパーになって欲しい、って事だろう。この様子じゃ2人で話し合いさせたらきっと拗れて厄介な事になるのは目に見えている。青八木もそれをわかっているんだ。


「わかってるって。ちゃんといつ話すって決めたらオレも側にいるからよ。だから言えよ、そん時はさ」
「…なら、この部活が終わった後は」


予想外の早さにオレは思わず声を上げたが、青八木の目は本気だった。


「平気だけど…さすがに急すぎねぇか?」


一花ちゃんだって今は気持ちが落ち着いていないだろう。せめて明日の方が…と思ったが青八木のオレを射抜く目はこうと決めて譲らない目だ。


「このままじゃ…多分、変わらない」


青八木の言う通りではある。このまま家に帰っても一花ちゃんと青八木の間にはギスギスした空気が流れるだろう。それを青八木は避けたいんだ。
わかったよ、と頷けば青八木の口は嬉しそうに弧を描いた。


「ありがとう、純太」
「いいって。大事な相棒と…好きな子のためなら」




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