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峰ヶ山レースが終わってから今日はレース明け最初の部活だった。
今日も部活のメニューを終えて、後輩達が帰っていく中でいつものようにオレは静かになった部室に居残った。…そして、彼女も。


「やっぱり、今日もやるんですね。居残り練習」


レース後なんですから、少しゆっくりしても…、なんて困った顔で笑っているけどこれはオレがそれ位で休まないってのを知っている顔だ。何よりここにいるっつーのがその証拠だ。


「まぁな。こうやって練習しておかねーともう落着かねぇ体になっちまったし」


軽く戯けてみせると彼女─一花ちゃんはくすりと笑った。
あながち間違いは言ってないな。弱いオレは人一倍練習しなきゃならない。休む事も大事だってわかっているけど…今はその時間も惜しい。それに…だ。この居残り練習が唯一一花ちゃんを独り占め出来る時間でもある。自分でもアホかよって思う、今は彼女への気持ちは抑えろって何度も思ってんのに。この時間はオレにとってもう至福の時間になっていた。


「それで、今日の練習はどうしますか?」


裏門坂ですか?ローラーですか?と尋ねてくる一花ちゃんの声は少し弾んでいた。自惚れかもしんねーけど、彼女はオレの走りが好きだと言ってくれたし、一花ちゃんもこの居残り練習を楽しんでくれているような気がした。


「いや、今日は頭を鍛えようと思う」
「頭…ですか?」
「ああ、青八木にDVD借りたんだ。プロのヒルクライムレースの」







部室にあった型の古いDVDプレーヤーを引っ張り出して、青八木から借りたDVDを再生した。向かいに座って以前頼んだ学校新聞に載せる部活紹介の記事を書いてくれている一花ちゃんの邪魔をしないようにイヤホンを着けて。

やっぱプロの走りはすげぇな…アタックのタイミングも的確だったり、まさかここで、と思うような場面がいくつもある。到底オレの脚じゃ出来ないだろうなと思う事ばかりだ……こりゃ参考になるようでならない事ばかりだ。でも戦略の幅が少しでも広がるのは確かだ。
そうやってプレーヤーの小さい画面に集中して暫く経った頃、視界の端にスッと白い紙が入ってきた。それに目を向けると頭上から一花ちゃんの小さく焦ったような声が聞こえた。


「すみません…邪魔しないようにそっと置いておこうかと思ったんですが…」


DVDを一時停止して耳からイヤホンを抜き取ってから、一花ちゃんの顔を見上げると申し訳なさそうな顔を向けていた。どうやら記事を書き終えたみたいだな、前に手渡した真っ白い原稿用紙はマス目いっぱいに文字で埋め尽くされている。


「落ち着いてからでいいので、チェックお願いします」
「丁度休憩しようと思ってたところだし、今見るよ」
「はい、お願いします」


一花ちゃんから渡された紙を手に取って、それに目を走らせる。
…彼女らしい可愛い字だな。丸みを帯びていて女の子らしいそれだけど読み難いって事は全くない。まあ…所々送り仮名や漢字が間違っちゃいるけど…そのミスすら可愛いなって思っちまうのは重症かもな。


「あ、これ…」


隣に立っていた一花ちゃんは一時停止しているプレーヤーの画面を少し腰を曲げて覗き込んできたお陰で、急に彼女との距離が縮まって鼓動が一瞬跳ねた。部活後だってのふわりと鼻を掠める彼女のいい匂いがまたオレの平静を乱してくる。


「そ、それがどうかした?」
「これ、お兄ちゃんと一緒によく観ていたんですよ」
「このレース?」
「はい。ええと……あ、この選手」


一花ちゃんはプレーヤーの画面に写っているとある選手を指差した。
その選手は先頭から大分離れた所を走っていた。この選手の走りはあまり速いとは言えない、だけど必死に前を追おうとするその走りには不思議と目が離せなかった。


「私、この選手のファンだったんですよ」
「へえ…たしかにこの選手、速い訳じゃねぇけど一生懸命で目が離せないよな」
「そうなんですよ!前とかなり距離が空いてても絶対最後まで諦めない人で…どんなレースもすごい一生懸命なのが走りを見てて伝わってくるんですよ」


モニターを見つめながらそう語る一花ちゃんの目は、オレ達と、オレの走りが好きだと言ってくれたあの時の目と同じようにキラキラと輝いていた。


「…そっか」


自分でも少し驚く程に素っ気ない返事だった。
一花ちゃんのあの目が青八木はともかく、オレ以外に向けられている事が気に食わなくてモヤモヤした。
…オレはみっともない事に映像の中の選手に嫉妬した。前はこんな事無かったのに……それ程オレは彼女に惚れちまってるって事か。ったく気持ち抑えようって決めたのに全然出来てねーじゃねぇか。


「……まるで手嶋さんみたいです」


沸々とみっともない嫉妬と自分への軽い嫌悪感を募らせるオレをよそに、一花ちゃんはなんだか嬉しそうにしていた。思わず聞き返すと彼女はニコニコした顔を向けてきた。


「手嶋さんも、ですよね。相手がどんなに速い選手でも絶対諦めないで一生懸命走って、追いかけて…」


今までモニターの中の選手に向けられた一花ちゃんのキラキラした目は、今度はオレに向けられていた。それだけで沸き上がっていた嫉妬が徐々に薄れていくのを感じる。我ながら単純すぎてマジ笑っちまうわ。


「この間の峰ヶ山レースを見て改めて思いました。やっぱり手嶋さんの走りが大好きだって」


ほんっとすごかったです!とにっこりと無邪気な笑顔を向ける一花ちゃんに、心臓がどくんと強く高鳴ったし、正直悶絶しそうだった。当然嫉妬の感情なんてどっかに消えちまっている。やっぱ一花ちゃんに走りが好きだと言ってもらえんのはすげぇ嬉しい。峰ヶ山レースの後も彼女は涙目になりながらすごかったって褒めてくれて、嬉しかったな。


「ハハッ、そんな真剣な顔で言われっとマジ顔から火が出そうだっつーの」
「…嫌でした?」
「いやまさか。オレには勿体ねー言葉だけどさ…嬉しいよ、一花ちゃん」


ありがとな、って言うと一花ちゃんは満足そうに笑った。

さて、少し脱線しちまったけど一花ちゃんの書いてくれた原稿チェックしねぇとな。とはいえ…こういう推敲は文系が得意な青八木の方が向いてるんだよな。一先ずオレが先に見て明日あたり青八木にも見てもらうか。
ざっと目を通して、気になったのはさっきの送り仮名や誤字位で特に他は無かった。普段の部活の雰囲気、普段の練習の事、それからインターハイでの事をしっかり書いてくれている。…原稿用紙の半分一気に消しゴムで消した跡があるが筆跡が残ってて断片的にだけど何を書いていたかが読める。
『チーム2人』…『息のあった走り』……どうやらオレ達の事を書き過ぎたと気が付いて消したようだ。照れくせぇけど一花ちゃんらしいな。


「ん、オレはいいと思うぞ。よく書けてる。送り仮名と漢字のミスはあるけどな」
「え!漢字とか間違えてました!?」


どこですか?と聞いてくる彼女に間違えてる箇所を指摘して別の紙に正しいはずの字を書いて一花ちゃんに見せるけど渋い顔をして頭を傾げていた。


「……手嶋さんの字…その、元気良すぎてちょっとよくわからないです……」
「えー、何だよその表現!いやまぁ青八木の字に比べたら汚ねぇけどさ…読めるだろ?ちゃんと」
「ううん…読めない事もない、ですけど……」
「ったく…地味にひでぇよな」
「ちょっと気を使って表現した事は評価してください」


やっぱり遠回しに汚ねぇ字っつってたのかよ!ちくしょう…このイタズラっ子みたいな笑顔も可愛いわ…。




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