月は思う
「…お呼びですか、田所さん」
「おう、急にわりぃな、青八木」


練習が一息付いた頃、オレはこっそりと田所さんに部室に呼び出された。純太も、鳴子もいない……憧れの田所さんがオレだけを呼び出した。
何のお話だろうか…直々のトレーニングメニューだろうか……

緊張で鼓動が逸って、後ろ手に組んだ掌にもじんわりと汗が滲んできているのがわかる。


「なぁ、青八木よ…」
「…はい…!」


やけに真剣な田所さんの視線に、オレは思わずゴクリと息を飲んだ。バクバクと鼓動のうるさい心臓を無視して、田所さんの次の言葉を心して待った。


「手嶋は、一花の事が好きなのか?」


一気に身体中の力が抜けた。思わず自分の声かと疑う程間抜けな上擦った声も喉から漏れた。…何故急にこんな話を…いや、田所さんのことだ。きっと何か考えがあるのだろう。


「お前ならなんか聞いてんじゃねーかって思ってよ。で、どうなんだ青八木」
「い、いえ……何も…」


純太からはそんな話聞いた事がないし、そもそもオレはその手の話はよくわからない。
…純太が一花の事を好きだなんて、考えた事もなかった。
そうか、と田所さんはため息をついた。なぜか落胆した様子だ。


「金城と巻島とよ、手嶋は一花に惚れてんじゃねーかって話しになってよ。もしそうなら応援してやろうかと思ったんだが…」


オレ達もそういうの疎くてな、と…。


「オメーはどう思う……って、そういうの疎そうだな、お前も」


否定できない。
女子を好きになった事は無いわけじゃない…けど昔の事だ。その時の気持ちはもうよく思い出す事が出来ない。
こういう話では部内で一番話せそうな純太が、話題の的なのが少しもどかしいな…。


「けどきっとありゃあ…間違いなく惚れてんな」


田所さんの目線がオレから部室のドアの外へと向く。
その視線の先を追うと、純太と一花が楽しそうに笑っていた。田所さんにそう言われたからだろうか…オレも、そんな気がしてきた。

…純太のあんな笑顔、見た事がない。
いつもオレや先輩に向けているそれとは明らかに違う、穏やかな笑顔だ。

手嶋だけじゃない……一花も、あんなに楽しそうな笑顔をするなんて。

アイツが自転車部に入ると言い出した時、オレは戸惑った。何故急にそんな事を言い出したのか、理由は分からなかった。中1のあの事故以来ずっとロードから離れていた一花に何があったのかと……理由は今でもわからない。
けどアイツは、毎日楽しそうにマネージャーとしての仕事をこなしていた。…ロードを始めたばかりの頃、まだオレと一緒に走っていた時と同じような笑顔を浮かべながら。これもきっと…純太のおかげだろう。

一花には子供の頃から何かと振り回されたり、心配を掛けさせられた。今だって抜けていたり危なっかしい部分があるから、見ていないと心配だ。それにあいつは頑固だから、意見が衝突してしょっちゅう些細な事で喧嘩になる。

けど……大事な妹だ。

容姿と人懐っこい性格のおかげでモテるのも知っている。変な男から好かれる事も少なくない。…そういう男とは、出来れば付き合って欲しくないと思っている。

オレは、楽しそうな2人を見て思った。

純太と一花がもしもそういう関係になったら──嬉しいと。それに純太になら…一花を託せる。


「そうだ、青八木」
「…!」
「お前、手嶋に聞いてこい」
「……オレが、ですか…」
「おう!」


…もし、純太のあの笑顔が田所さんの言う『惚れている』なら……、聞かなくても間違いないだろう。
それは純太だけじゃない。きっと…一花もそうだろう。



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