10
その会話を耳にしたのは、本当に偶然だった。
昼休みに部のことで監督のいる職員室に行ったその帰りの廊下、オレの隣のクラスの扉の前を通りかかった時に耳に入ってきた。


「手嶋ってインハイ出てねーんだよな?なのにチャリ部の主将ってマジ?」
「マジマジ。しかも一年に負けて出れなかったんだって」


本人が聞いてないと思って傷を抉ってくる会話をしてやがる。けど事実だ。あんなに焦がれたインターハイだったがあと少しのところで一年に負けてチャンスを逃した。情けねぇとか言われたって仕方ないことだ。


「え、チャリ部ってそんな実績なくてもキャプテンやれちゃうの?」
「確か古賀って一年でインハイ出てたよな。何でアイツじゃなくて手嶋なんだろうな」
「確かに頭は回るかもしんねーけど、実力ないんじゃなー。来年はチャリ部ダメかもな」


まるで刃物で滅多刺しされたような気分だった。ああ、そんなのオレが一番よくわかってるよ…強くもねぇ、一年にも負けるような凡人だ。金城さんから次期主将を任された時だってどうしてインハイ経験のある古賀じゃなくてオレなのかと悩んだりもしたし、今でもオレに主将なんて務まるのかって考えて胃が痛くなったりもする。それでもオレなりに考えてやってきたつもりだ。
けどやっぱ……こうしてハッキリ他人の声で言われちまうと流石にメンタルに堪えるな……。







一花ちゃんに居残り練習に付き合ってもらうようになってから一週間が経って、峰ヶ山レースまであと3日に迫った。今日も他の部員が帰ってから彼女にサポートしてもらいながら裏門坂を登って、それから今日の仕上げとしてローラーを回す。
キツいメニューの後にこの追加の練習は正直しんどくて今日はもう無理だと体が悲鳴を上げそうになっている。それでもここまで頑張れるのは一花ちゃんが応援して手助けをしてくれるおかげだ。
オレの荒い呼吸と車輪の音だけが響いていた部室に一花ちゃんの「残り3分です!」って響く。それに返事をしたいがあと3分間ハンドルにしがみ付いて今にも攣りそうな脚をなんとか回すので精一杯だ。それから3分後、一花ちゃんの持つストップウォッチから高い機械音が響いてオレはペダルから脚を下ろした。それからすぐに白い真新しいタオルとよく冷えたボトルが一花ちゃんから手渡された。


「ありがとな…、一花ちゃん…」
「いえ。お疲れ様でした」


にこりとした明るい笑顔が向けられて思わず顔が緩む。やっぱ洗い立てのふわふわのタオルやよく冷えたドリンクよりもこの笑顔が一番疲れた体に染み渡る。とはいえ汗はめちゃくちゃかいたから喉は乾くし汗だくで気持ち悪い。ドリンクを喉に流し込んでからタオルに顔を埋めて汗を拭き取った。


「手嶋さん、今日の記録です」


一花ちゃんが手渡してきたバインダーには居残り練習分の記録用紙が挟まれていた。「サンキュー」って言いながらそれを受け取って目を通す。
…一週間前と比べて順調に登りのタイムは上がっている。けどまだまだだ。今度の峰ヶ山はどうにかなったとしてもこんなんじゃまだインターハイで通用するレベルには程遠い。まだまだ頑張んねーと……そう思ったその時、昼休みにうっかり聞いてしまった会話がフラッシュバックして胃のあたりがキリキリと痛んだ。応えたとはいえすぐ忘れたつもりだったのに。


「……手嶋さん」
「……ん?どうかしたか?」
「…いえ、その…浮かない顔してるから、どうしたのかなって……」


心配そうな顔がオレを見上げてくる。しまった、無意識に顔に出ていたのか…そういうのはコントロール出来ていると思っていたのに。どうやら昼間のあの会話は自分で思っている以上に応えたらしい。


「今日もキツかったからな、疲れてはいるけど別にどうって事ねぇよ」


何ともないと嘘を言いつつ無理矢理笑顔を作るのは余計に苦しくなる。人に心配させないようにと笑う一花ちゃんもこういう気持ちだったんだろうか。


「…疲れてる、だけじゃないですよね…?」


そんなにオレの作り笑いは下手くそだったか、一花ちゃんには通用しなかった。これじゃもう彼女に作り笑いが下手だななんて言えねーわ……いや、それも多少あるんだろうがきっとこの一週間、こうして居残り練習で誰よりも長く一緒にいたせいで伝わっちまっているのかもしれない。
後輩に不安を悟られてしまうなんてやっぱキャプテンとしてまだまだだな。本当なら疲れてるだけを貫き通すべきなんだろう。けど、相変わらずオレを見上げてくる一花ちゃんの目は「話してくれるまで絶対に引かない」と強く訴えていた。この目によく似た青八木のそれにも敵わねぇけど、一花ちゃんのは惚れてる弱みがある分尚更だ。


「……さすが、マネージャーだな」


敵わないと観念したオレは肩を竦めた。


「情けねぇ事に少し不安になっちまってさ…金城さんと比べたら速くもねぇし、威厳もねぇし…ってさ…」


一花ちゃんの力強く訴えてくる目に観念した…っていうのとは別に、彼女ならこんな情けないオレでも受け止めてくれるかもしれない…そんな期待もあった。


「キャプテンとしてやる事も多いし、それやりながら自分の練習もしてたのかと思うとやっぱあの人スゲーわ…」
「手嶋さん…」
「…わりぃ。もうすぐレースだっつーのに、こんなんじゃダメだな」


情けないことにほんの少しだけ泣きそうだった。キャプテンを引き継いでから、何度自分を金城さんと比べては勝手にへこんだ事か。
なんとか笑ってはみせたけどきっと下手なそれだったろう。その証拠にオレを見上げてくる一花ちゃんは一層心配そうに眉を下げた。


「…私は、手嶋さんがキャプテンでよかったって思いますよ」
「え…?」
「例えば2年生にすっごい速い人…それこそ一年でインハイ出場できちゃう位で、しかも威厳のある人がいたとしても、私は手嶋さんにキャプテンになって欲しいなって思っていたと思います」


実はそういう奴いるんだよな、と思いつつも今は優しい声で話してくれる一花ちゃんの言葉に耳を傾けた。


「前に言いましたよね、手嶋さんの頑張る姿には熱くなるんだって。ただ走りを見ている私でもそう思うんですから、きっと一緒に走るみんなには一層その熱が伝わるんじゃないかって…なんていうか、みんなの頑張る力になると思うんです」


オレの走りが好きだと言ってくれた時、キラキラとした目でそう言ってくれたのをよく覚えている。
オレの努力がみんなの頑張る力になる…か。そんな事考えた事もなかったし、言われたのもこれが初めてだ。


「金城さんは確かにすごい人でしたけど…手嶋さんにしか出来ない事も、手嶋さんだからやれる事だって、たくさんあると思いますよ!だからそのまま、努力をやめない手嶋さんでいればきっと大丈夫ですよ」
「……一花ちゃん…」
「あ…えっと、すみません…なんか色々変な事言っちゃって…」


ああそうだ。バカだ、オレは。オレに金城さんと同じ事ができるわけがねーんだ。卑屈になっている訳じゃない。
オレは今チームの事を穴の底から見上げているようなものだ。だからこそ、底辺にいる凡人のオレだからこそできる事がある、下からしか見えない景色がきっとあるはずだ。
それに気付かせてくれた一花ちゃんは恥ずかしそうに目を泳がせてもじもじとしていた。


「…ありがとな、一花ちゃん。そうだよな…オレは金城さんみたいにはなれねーけど、オレがいいと思うやり方で部を強くしていこうと思うよ」
「はい…!私も出来る事なら何でもお手伝いしますし…辛い時はまた…えっと……側にいますから」


一瞬言葉を詰まらせたのは言葉を選んでいたんだろう。
きっとオレはこれから先も悩んだりへこたれたりするだろう。いくら一花ちゃんにでも後輩には話せない事もあるはずだ。だから彼女の側にいる、という悩んだ末に出したと思われるその言葉が嬉しくて、胸の奥底から安心感なのか何なのかわからないが逸るような何かが上り詰めて来るのを感じた。
…それと同時に、今だけ、ほんの少しだけでいいから彼女にどうしようもなく甘えたいというキャプテンとしても先輩としても、男としてもどうなんだっていう欲に駆られた。
そんな時都合よく頭に過ったのはずっと保留にしていたインハイ前にクレーンで獲った、フィギュアのお礼の事だった。


「…あのさ、前のフィギュアのお礼ってさ……まだ有効だったりするか?」
「え…?あ、も、もちろんです!」
「よかった。それ、さ……今使わせてもらっていいか?」


全く我ながらどうかしてるって思った。あの時のお礼として一花ちゃんの逃げ場を無くして受け入れてもらおうとしているんだから。
何をすればいいのかと聞くよりも前に一花ちゃんは弾むような声で返事を返してくれる。それに罪悪感を感じつつも「ありがとう」と言った声は情けなく震えていた。


「…少しだけ、後ろ向いてじっとしてて欲しいんだ」


一花ちゃんは怪訝そうな顔を見せる様子もなくオレの言う通りに背を向けた。素直すぎて少し心配になる位だ。


「……すまねぇ、一花ちゃん」


小さく言いながら、彼女の小さな右肩にそっと額を乗せた。
途端、ふわりと鼻腔に広がる一花ちゃんの甘い匂い、微かに顔に当たるサラサラの髪の感触と彼女の体温が伝わってきた。


「あ、ああああの!手嶋、さん…!?」


さすがに驚いたようで聞いたことないくらいに一花ちゃんの声は上擦っていた。それに返事をできるような余裕はなかったが彼女はそれから何も言わず、オレの頼み通りじっとしてくれていた。こんな変な事、しかも普通なら男が女の子に背中貸してやるのが普通だろう。そんな事を何も説明せずにしているっていうのに、本当に彼女には感謝しかない。
全身にくっ付いて固まっていた物が溶けて流れていくような感覚だった。一花ちゃんに今までない位にくっついているせいで心臓はうるさいけど、彼女の匂いと体温に強い安心感を覚えた。まるで太陽の暖かい日を浴びているような…そんな心地よさだった。




47/96


|


BACK | HOME
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -