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いつもなら部活が終わってから正門坂前のバス停から出るバスに乗って駅まで帰るけど、今日は少しだけ遠回りをしてお腹を空かせたお兄ちゃんと正門坂を降りて少し歩いたところにあるコンビニで買い食いをしてから、一緒に家に向かっていた。数字の看板が印象的なコンビニの定番ホットスナックの低カロリーが売り文句の唐揚げ串を食べ終えてから、今帰ってるよ、ってお母さんに連絡しようと鞄の中からスマホを取り出そうとした。
…けど、鞄の中にスマホがない。教科書の隙間にも埋まってないし、鞄のポケットにも制服のポケットにもどこにも見当たらない。最後どこで見たんだっけ……と記憶を辿ってみる。制服に着替えてから部室で使った覚えはあるから、置いてきたんだとしたら部室だ。


「どうかしたのか?」
「うん…スマホ部室に置いてきちゃったみたい」
「…戻るか?」
「うん、でもお兄ちゃん先に帰ってて。すぐ見つかると思うし」
「一人で平気か?」
「大丈夫だって!いいから先帰っててよ」


じゃあ行ってくるね、ってお兄ちゃんに背を向けて今来た道を小走りで遡る。

今日もお兄ちゃんは田所さんと鳴子くんと全力でスプリントをしていた。まったくスプリンターっていうのはどこまで負けず嫌いなのか、その全力の勝負を何度も繰り返していた。そのおかげでお兄ちゃんに軽くマッサージした時足パンパンだったから早く帰って休んで欲しい。私の忘れ物なんかに付き合わせちゃ悪いし、何より明日の練習に響いたら大変だ。

…そういえば、お兄ちゃんと手嶋さん…最近2人で走る時間短くなったな…。
手嶋さんは今度の峰ヶ山レースに小野田くんと今泉くんと出る事が決まっているし、お兄ちゃんはスプリンターとしての才能が開花しつつあるって3年の先輩たちも言っていた。私からみても最近のお兄ちゃんの平坦のタイムは目を見張るほど。
対して手嶋さんは、巻島さんから『お前は登れショ』って言われたみたいで最近は裏門坂や峰ヶ山を走り込んでいる。
小野田くんや巻島さんの登りを知っていると手嶋さんは平凡な方かもしれない。けど…彼の登りには胸を熱くさせられるような何かがある。それはお兄ちゃんと2人での練習の時から感じていたけど、登る姿には尚更。

そんな事を考えながら来た道をしばらく歩いて、ようやく校舎が見えてきた。
また正門坂を登んなきゃいけないのか…と思うと少し気が重いけど、スマホは置いて帰れない。


「って……しまった……部室閉まってるかも…!」


しまった、全然考えてなかった…せっかくここまで戻ってきたのに。
いや、でも私達が帰る時まだ手嶋さんがいた。もしかしたらまだいるかも……って、あれから結構な時間が経ってる。もうさすがに帰っちゃったよなぁ……。まあ閉まってたら潔く諦めて帰ろう。そう思って、緩やかな勾配だけど距離の長い正門坂を登った。








「えっ…!?て、手嶋さん…!」
「ありゃ…?一花ちゃん…どうしたんだよ……帰ったんじゃねーのか?」


結果から言うと、部室の鍵は空いていた。まだ手嶋さんが残ってたんだ。
ただ……今日も裏門坂を結構走り込んでいたのに、私達が帰る前から回していたローラーをまだ続けていた。お兄ちゃんが帰る頃にまだやるのかって聞いた時、手嶋さんは「あと少しだけな」って言っていた。まさか…まだ回していたなんて。
私達が帰る頃よりも手嶋さんのジャージはずっと汗で濡れているし、ローラー台の周りには汗が滴って小さな水溜りができていた。


「スマホ忘れちゃって…それより手嶋さんまだやってたんですか…!?」
「ああ……、ちょっとでも多く練習、しておきたい…からさ…」


手嶋さんの声は掠れていて、息も切れ切れだった。かなり消耗している……どう見たってちょっとなんて量じゃない。


「でも手嶋さん…もうこんな時間ですよ」


手嶋さんは「え?」とサイコンに目を落として、「本当だ」と特に慌てる様子もなく小さくそう言った。時間、見てなかったんだ……。
けだそれからすぐ手嶋さんの体がロードごとふらついてローラ台から落ちそうになる。このままじゃ倒れる…!と反射的に彼の名前を叫んで持っていた鞄を放って駆け出していた。
なんとか間に合って、地面にぶつかる前に手嶋さんの体を支える事が出来た……けど、私の力じゃロードと手嶋さんの体両方を支えるのは難しくて、どうにか後ろに倒れないように踏ん張るので精一杯だった。


「っ、わり…!」


手嶋さんは少し慌てたようにフラフラと体を起こして、ロードから漸く降りた。


「って…!制服!すまねぇ汚しちまって…!」


さっき手嶋さんの体を支えた時に、彼の汗で肩の辺りが濡れてしまっていた。
こんなの…その、手嶋さんの汗なら気にしないし、それよりも私の制服まで濡らす程汗をかいてそのままの手嶋さんの方が心配だ。


「こんなのいいですから!それより早く汗拭かないと風邪引いちゃいます」
「いやけど…!」
「ほら、レース前なのに風邪引いたら大変ですから」


籠から出したタオルを手嶋さんの背中にかけて、はやく拭いて下さい、って言うとまだ申し訳ないと思っているのか眉を下げながら「ああ…」って小さく返ってきた。
それからすぐに冷蔵庫から出したスポーツドリンクのペットボトルを手渡すと手嶋さんの震える手がゆっくりと受け取る。力が上手く入らないのか、キャップを開けるのも少し開けにくそうにしていた。キャップ開けてから渡せばよかったな…と後悔している間に手嶋さんは蓋の空いたペットボトルを口に当ててごくごくと音が聞こえる程勢いよく中身を喉に流し込んでいた。喉カラカラだったんだ…こんなに汗かいてるもの、当然か。


「ありがとな、おかげで大分生き返ったわ」
「いえ…!けどびっくりしましたよ、こんな時間まで練習してるなんて」
「はは…つい集中しすぎちまったな。それよりスマホあったか?」
「あ!そうでした!スマホ!」


どこにあるかな、と部室を見渡してみるとソファの隅っこに乗っかっていた。よかった、すぐに見つかって。けど…このままじゃまだ帰れない。手嶋さんがさっきまで使っていたローラー台をよいしょ、と持ち上げる。


「さてと、ここ片さなきゃですね。その後でマッサージさせて下さい。明日に残ったら大変です」
「片付け…って…い、いやいいって!それにもうこんな時間だしさ…青八木も心配するだろ?」


私が持ち上げたローラー台を手嶋さんはよろよろと立ち上がりながら奪おうとしてくるけど、微かに脚が震えてる…大分疲れてるんだ。尚更このままこんな状態の手嶋さんを置いて帰るわけにいかない。帰りが遅くなる事、お兄ちゃんには後で連絡しておこう。


「私のことはいいですから!もう、手嶋さん頑張りすぎなんですから今位は休んで下さいって!」


思わず声が強くなってしまった。でもその効果があったのか手嶋さんは少し驚いたような顔をしてローラー台を取ろうとしてきた手を渋々引いてくれた。


「………すまねぇな、一花ちゃん」
「いいえ!手嶋さんの頑張りに比べたらこれくらいどうって事ないですよ!」


手嶋さんの頑張ってる姿が大好き。
けど……たまに心配になってしまう。キャプテンとしての仕事もあるのに人一倍練習して。彼が弱い人だとは思ってないけれどその内メンタルか体に限界が来てしまわないかって。
私の出来ることなんて限られているけど…その出来ることで少しでも手嶋さんの助けになりたい。



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