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お兄ちゃんが出場するレース当日。
観に行ってもいいかという交渉に失敗した私は、お兄ちゃんが家を出た1時間後位に家を出て今日のレース会場へと向かった。会場に着いた後もお兄ちゃんに見つからないように観戦場所を探して、コースからも見つからなさそうな場所を観戦場所に選んだ。なんか隠れんぼしてるみたいでちょっと楽しいな。

それにしても……
観客達の「この選手に注目してる」、「優勝候補はこの選手だよ」と盛り上がる会話、各校のサポーターが補充や機材のメンテナンスで忙しなく走り回る光景に選手に「頑張って下さい!」と激励を飛ばす様子、それから…コースを走る選手達から出る、張り詰めたような緊張感。
この全てが作り出す独特な空気感は、何年経っても変わらないんだなと懐かしくなった。

さて、お兄ちゃんはどこだろう…と、スタートラインに並んで緊張感を高めている選手達の中からお兄ちゃんを他の観客達の影に隠れつつ探した。そして、総北高校と書かれたジャージに身を包んだお兄ちゃんの姿を見つけた。
私の知ってるレース前のお兄ちゃんは、いつも緊張した固い表情で地面を見つめてスタートを待っていた。けど…今日のお兄ちゃんは誰かと話していた…というか、話しているその人にコクコク頷いている。それになんだか自信あり気な顔だ。

お兄ちゃんに話しかけているその人も総北高校のジャージを着ていた。
緑色のヘルメットから伸びる重ための少し長いパーマかかった黒髪に、大きくて猫のような目が特徴的な彼のゼッケンナンバーを出走者リストと照らし合わせて見つけた名前は──手嶋純太さん。

お兄ちゃんに何かを話している彼は、なんだか楽しそうに見えた。きっとあの人…手嶋さんがお兄ちゃんの言っていた「良くしてくれるヤツ」なんだろう。


「…良かったね、お兄ちゃん」


仲良さそうにしている2人を見ながら、気が付けばぽつりと口に出していた。
暗くて、影で名前の“はじめ”をもじって“マジメ”だなんて呼ばれていて、ずっと一人で走っていたお兄ちゃんにも一緒に走ってくれる友達ができたんだ。なんだか私まで嬉しくなっちゃう。
一体手嶋さんはどんな走りをするんだろう…それに、『勝たせてくれたヤツがいる』っていう言葉の意味もわかるかもしれない。


そして数分後、会場にスタートの合図が響き渡って一斉に選手達が走り出した。
私の知るお兄ちゃんなら、スタートしてすぐに速度を上げてトップの方に位置していた。けど、今のお兄ちゃんは手嶋さんとローテーションしながら走っていて一気に速度を上げる事はなかった。
そしてレースはあっという間に後半へと差し掛かった。2人は相変わらず一緒に走っていて、現在の位置はこのままいけばなんとかトップ10には入れそうな所。

一体この順位からこれからどうするのか、もしかしてこの間の優勝はまぐれだったのかな…なんて考えが過り始めた、そんな時だった。


「今だ行け!青八木!!」


暫くずっとお兄ちゃんを引いていた手嶋さんのその声をきっかけに、彼の後ろに付いていたお兄ちゃんは前に出て、手嶋さんはその背中を押して発射した。
彼に発射されたお兄ちゃんはあっという間に前にいた選手を追い抜いていく。そして手嶋さんは、その後ろを追いかけるわけでもなく、他の選手をブロックしていた。


「ほら追いかけろよ。鬼ごっこだ!」


まるで悪役のような挑発する口調とセリフに、煽るような表情で。当然それに腹を立てた選手は手嶋さんをパスしようと奮起する。けど絶妙なバイクコントロールで彼はそれを阻止する。それに激情した選手に更に油を注ぐが如く言葉で煽る手嶋さん。
それを見て、私は素直に「怖そうな人」だと思った。
無口なお兄ちゃんの友達だから、きっとうんと優しい人か、類は友を…なんて言うように大人しい人なのかと勝手に思っていたから驚いた。

けど手嶋さんのその働きがあって、この日のレースのゴールゲートを一番に潜ったのはお兄ちゃんだった。
一方の手嶋さんはお兄ちゃんがゴールしたというアナウンスが流れた途端に他の選手のブロックをやめて、どんどん後方に落ちていった。まるで役目は果たしたと言わんばかりに…。


その後の表彰式。表彰台の一番高い所で手渡されたトロフィーを掲げるお兄ちゃんの目線の先には、群衆の中から見上げてサムズアップをして満足気に笑う手嶋さんがいた。

お兄ちゃんが言っていた、『2人で獲った』、『勝たせてくれたヤツがいる』っていう言葉の意味……こういう事だったのか。言葉のまんまの意味だったんだ。
あんな作戦、お兄ちゃんに思いつくはずがない。これはきっと手嶋さんの作戦だ。更に彼がお兄ちゃんのマネジメントをすることで、お兄ちゃんはその脚を存分に発揮できている。……ただの推測だけど、そう考えると胸の奥がぼっと熱くなったような気がした。微かに手も震えていた。その震える手をぎゅっと握りながら、『もう一度この2人の走りが見たい』……そう強く思った。


その数週間後。
またお兄ちゃんが手嶋さんとレースに出ると知った私は、またそのレースを観に行った。もちろんお兄ちゃんに許可は取ってない。

そして…そこで見た走りは、間違いなく今まで観たロードレースの中でいちばんの衝撃だった。
お互いのホイールがガツンガツンと音を立てて接触するくらいくっついて走っているのに、落車するどころか…すっごく速かった。周りの観客も2人の走りに驚いていたと思う。私もそうだった。何より驚いたのはくっついたままカーブを下って、しかもそのまま観客や周りの選手に見せつけるかのようにボトルを手渡ししていた。
今まで見たどんな走りよりもすごいと思った。あんな走り方、お互いの走り方を知って、信頼しきってないと絶対出来ない…!

気付いたら動悸がすごくて、掌にはじんわりと汗をかいてた。
すごかった──受けた衝撃がすごすぎて、そんな単純な感想しか出なかったけど……間違いなく私の心は震えていた。この2人のこの走りを、もっともっと見たいと思った。


2人の通う総北高校、そして自転車競技部。
そこに行けば…もっと2人の走りを見れるのかな。

…まだやりたい事はよくわからない。だけど、行きたいと思う学校はハッキリと決まった。






2度目のお兄ちゃんと手嶋さんのレース観戦から数日後。

今日はお父さんもお母さんも用事でいなくて、お兄ちゃんと2人だけの夕飯時。
お兄ちゃんとの食卓はいつも静かだ。お互いの食器の音と咀嚼音、それとテレビの音が聞こえるだけ。普通の人からしたら気まずい食卓かもしれないけど、私達兄妹にとっては普通の事。別に兄妹仲が悪いって訳じゃない。むしろいい方だと思ってる。


「ねえ、お兄ちゃん」
「……」


事前にお母さんが作ってくれたご飯をお兄ちゃんと二人で食べながら徐に切り出してみると、お兄ちゃんは食事の手は止めずに顔だけ私に向けてきた。


「志望校、決めたよ」
「……」
「総北受けることにした」
「…そうか」


お兄ちゃんの口元が微かに緩んだような気がする。私が同じ学校を志望したから…じゃないな、これは多分。これで母さんと父さんの心配事も一つ減った、という安堵だろう。もうちょっと同じ学校を受験する事に対して何かしら反応くれてもいいのになあ……けどまあ、いいか。お兄ちゃんに伝えたい本題はこれからだ。



「それで……自転車部のマネージャーやろうと思うの」
「!」


お兄ちゃんの大きい三白眼が見開かれて、ぴたりと食事の手が止まった。
あはは、すごい驚いてる。これは予想以上の反応だ、お兄ちゃんのこんな顔見るのいつ以来かな。


「一花……お前…」


相変わらずお兄ちゃんは驚いた顔をしている。どうして急に、珍しくそう顔に書いてある。
そりゃそうか…私は一度ロードから離れている。そんな私が急にマネージャーやりたい、なんて言えば。もし私がお兄ちゃんの立場なら何があったのかとか、詳しく聞きたいくらいだ。


「選手も経験してるし…マネージャーなら割と役に立てるんじゃないかなーって急にふと思ってね」
「………」
「…今度は違う形で自転車に関わってみるのも、いいかなって思ったんだ」


ほんとの理由は自分の走りだなんて…お兄ちゃんきっと思ってもないだろうな。
手嶋さんとの走り、本当にすごいと思った。あんな息の合った走りは見た事がなかった。だから…もっと近くで、もっとたくさん見たいと思ったんだよ。


…なーんて、こんな事お兄ちゃんには恥ずかしくて言えないけど。




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