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「手嶋さんがお兄ちゃんと一緒に走ってくれてなければ…私は多分今ここにいませんから」


一花ちゃんの言葉がよくわからなくてオレは思わず聞き返した。
すると彼女はオレから目を逸らしてもじもじと照れ臭そうにしていた。今のその色っぽい浴衣姿でそりゃ反則だ、とドキドキしながらも一花ちゃんの言葉を待った。


「初めてお兄ちゃんがトロフィーを持って帰って来た日、言ったんです。『2人で獲った』、『オレを勝たせてくれたヤツがいる』…って。その言葉がすごく気になったんです」
「はは…青八木のやつ、んな事言ったのか」
「はいっ、それはもう嬉しそうに」


お兄ちゃん、あんな顔するんだってびっくりしました。そう言って一花ちゃんは楽しそうに笑っていた。
青八木のトロフィー片手に嬉しそうにそう言った姿が頭に浮かんできて、思わず笑っちまいそうだった。あいつの嬉しそうな顔なんて、オレや彼女以外には想像し難いだろうな。


「それでどうしても見たくなったんです。お兄ちゃんと…その勝たせてくれた人の走りを」
「そっか…それでオレらのレースを観に来てくれたんだな」
「はい。その時にファンになった…っていうのは前に話しましたよね」


一花ちゃんが自転車部に入部した初日、オレに話してくれたな。オレらのレースを観て、そこでオレ達チーム2人のファンになったんだ…って。あの時オレ達の走りをすごかったと褒めてくれたらんらんとした目は今でもよく覚えている。


「あの時…レースを観に行って、2人の走りに感動して、もっと見たいと思って…それで総北に行こうって思ったんです」
「そうだったんだな…」


いつも一花ちゃんはオレと青八木の走りを褒めてくれるけど…まさか、ここまで彼女に影響を与えていたとは思いもしなかった。総北に入学したのだって青八木と仲良いし同じ学校がいいと思ったからなんだろうなとか、なんとなくそう思っていた。


「それに……2人の走りを見てなきゃ、きっとまた自転車に関わりたいとも思いませんでした」
「…え…?」
「そういえば言ってませんでしたね…。事故に遭ってから2人のレースを見るまで、ロードから離れていたんですよ」


だから、マネージャーをやりたいと思ったのも2人のおかげです。と一花ちゃんは月明かりを浴びながらふわっとした笑顔を見せた。その綺麗な笑顔と言葉に、一瞬呼吸の仕方を忘れた。オレ達の走りを見たから、またロードに関わろうと思えたって…全く嬉しい事を言ってくれる。


「…そっか…、そりゃ嬉しいな。オレ達の走りが一花ちゃんにそんな影響与えてたなんて…」
「はい!そりゃあもう!私あんなに息ぴったりな走り見たの初めてだったんですから!」


一花ちゃんはオレ達の走りを褒めてくれた入部初日の時と同じ、らんらんとした無邪気な子供のような目で見上げてきた。
いつもなら「青八木の脚があってこそだ」とか「オレは大した事ねぇよ」って素直に受け取ろうとはしないだろう。けど、彼女のこの恥ずかしくなる位にまっすぐな目を前にするとそんな事も言えなくなっちまう。…つまり、オレはどうしようもなくこの目に弱い。


「本当は私、誰かと走る事に憧れていたんです。だから、手嶋さん達の走りは私にとって本当に衝撃的で…」
「そっか…一花ちゃんも中学の時は一人で走ってたんだよな」
「はい。本当に2人の走りは私にとって理想以上の走りだったんですよ」


本当にすごかったです、と相変わらずきらきらしたまっすぐな目でそう言われて顔がじわじわと熱くなるのを感じつつも素直にありがとうと礼を言った。


「それに、2人の走りを見て思い出したんです。ロードレースって見てるだけでもワクワクするって事と、それから……自転車が大好きだったって事」
「…!」


今まで一花ちゃんに言われたどんな褒め言葉よりも嬉しい言葉だった。褒め言葉とは違うかもしれないが、自転車が好きだって事を思い出したという言葉は、オレにとってはこの上なく嬉しかった。


「最高の褒め言葉だな…ありがとう、一花ちゃん」


思わず口角を上げながら言えば、一花ちゃんも照れ臭そうに笑う。
嬉しくて思わず笑っちまってるのに、同時に泣きそうでもあるなんて我ながら器用だ。それ程に彼女のこの言葉は嬉しかった。
ずっと平凡な走りしか出来なくて、勝てなくて、それでもここまでやってこれたのは青八木や田所さんの存在、インターハイに出たいという目標もあったが何よりも自転車が好きだったからだ。それは青八木も同じだろう。そんなオレらの走りを見て、一度自転車から離れてしまった一花ちゃんの…1人の自転車乗りの心を動かしたんだと思うと照れくせぇけど嬉しかった。


「オレもさ、ロード辞めようとして、なのにこうして自転車部入って…青八木と走ってるうちに思ったんだよ。自転車ってやっぱ楽しいもんだってさ。だから嬉しいよ。そんなオレらの走りを見て、一花ちゃんがそう思ってくれた事が、さ」
「それも…手嶋さんがロード続けてくれていたおかげ、ですね」
「まあそれも元を辿れば青八木がいてくれたおかげ…だけどな」
「あはは、確かにそうですね」


一花ちゃんの笑顔につられてオレも笑った。
一年前の春。あの時青八木と出会わずにあのままロードを辞めてたらきっとオレは後悔していただろう。バイトとか始めて、放課後にはカラオケとか行って遊んで…ありふれた高校生活を送っていただろう。それもそれできっと楽しいんだろうけど、きっと物足りなさを感じていたに違いない。
オレはまだまだ弱くて1人じゃ勝てねぇ凡人だけど……今は、ロードを続けていて良かったと思う。
あの時ロードを辞めていたら青八木っていう相棒も出来なかったし…それに──


「あのままロード辞めてたら…こうやって一花ちゃんとも話す事なかったんだよな」
「…!」


彼女と出会うことも、なかっただろう。


「そう…ですね。よかったです、手嶋さんが自転車を辞めないでいてくれて…続けてくれてありがとうございます。手嶋さん」
「ははは、んな礼を言われる事じゃねーよ。オレの方こそ、マネージャーやってくれてありがとな。一花ちゃん」


そんな、なんて言いながら一花ちゃんは月明かりを頬に受けながら照れ臭そうに笑った。この可愛い笑顔をこうして間近で見れるのも自転車を続けていたからなのかと思うと尚更続けてよかったなとも思っちまう。


「って…もうこんな時間!」


突然一花ちゃんは慌てた様子でベンチから立ち上がった。彼女の視線は壁にかけられた時計に向けられていて、その秒針はもう結構な時間を指していた。


「ごめんなさい手嶋さん…!長々話しちゃって…!手嶋さんにはなんか色々話ちゃうんですよね…」
「いや、いいって。オレの方こそありがとうな、色々話してくれて」


言いながら、オレもベンチから立ち上がる。それからオレを見上げている一花ちゃんの頭に手を軽く乗せて、ぽんぽんと叩くようにして撫でた。
…こうして彼女の頭を撫でるのは久々だな。
最初は可愛い後輩って思ってたし、青八木には言えねーけど…一花ちゃんの事を妹のように思っていたりもした。だからこんな事も平然と出来たけどオレにとって彼女は今はそうじゃない。1人の女の子として可愛いと思っている。だからそのせいで自分から頭撫でたくせに顔が少し熱い。前はこんな事なかったのにな。

一花ちゃんはオレが急に撫でたから驚いたのか、大きな目を丸くしてじっとオレを見ていた。


「オレでよければ、また話聞くよ」
「手嶋さん……はい、ありがとうございます」
「それより、まずは明日のサポート頑張ろうな!」
「はいっ!明日もよろしくお願いします!」




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