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待ち合わせの19時になる少し前に、みんなとの待ち合わせ場所の高台へ続く階段の前に着いた。
手嶋さんといた今までの時間…あっという間だったな。本当に楽しかったし、幸せだった。このまま時間止まらないかなって、気が付けばそんな事まで思っていたり。
…いつもの彼の冗談に少し胸を締め付けられるような思いもしたけど。
それでも、2人で一緒に歩いて、屋台で同じ物を食べて、笑って……すごく幸せだった。多分今日の事は、ずっと忘れない。


それにしても…今私たちの目の前に佇む石造りの階段はなかなかに急な造りをしている。所々陥没していて足場も悪そうな上に、極め付けは整備が行き届いていないのか手すりが所々朽ちている。少しでも触ると手が汚れそうだし、怪我もしそうだった。普段着なら別に少し登りにくいなって程度だけど……今のこの動きにくい浴衣に、履き慣れていない下駄の組み合わせじゃこの階段はなかなかの強敵だ。


「この階段結構すげーけど…平気か?」
「高台に行くにはここ登るしかないですからね。大丈夫です、なんとか登ります!」


行きましょう、って一歩踏み出そうとした。
…けどその前に目の前にすっと手嶋さんの手が差し出された。


「手すり代わりに…なんてな」


思わず手嶋さんの顔を見上げると、眉を下げて笑っていた。
捕まっていい……そういう事なのかな。また冗談なんじゃないのかな…そう思いながらじっと差し出された手を見つめた。


「…今度は冗談じゃねぇから」


私の考えを読んだかのように言った手嶋さんの声色は、冗談めかすようなそれではなく真剣味を帯びていて…冗談を言っているようには聞こえなかった。


「あ、いや…もちろん嫌じゃなきゃ…だけどな」
「い、いえ…!嫌なんかじゃないです…!ありがとうございます」


頬がじわじわと熱くなるのを感じつつも、差し出された手をそっと取った。なんだかお姫様になったような……なんて、私には全然柄じゃないな。


「よかった。んじゃ、行こうか」
「はいっ」


重ねた手がそっと握られる。
ドキドキと心臓が脈を打ち始めて、熱でも出てるんじゃないかって位に体が熱くなった。もちろん、手嶋さんに握られている手も。
途端に手汗かいてないかなとか、体温上がってるの手嶋さんにもバレちゃってそうで物凄く恥ずかしいとか、そんな事ばかりが頭の中をぐるぐる駆け回って…いっそ「やっぱり大丈夫です!」って手を離してしまった方がいいんじゃないかとすら思った。
だけど…重ねた手から感じる彼の手の体温も、熱いように感じた。
…もしかしたら、手嶋さんも私と同じようにドキドキしてるのかもしれない…そう思うとちょっとだけ嬉しくて、まだこの熱を持った手に触れていたいと思った。

急な階段を一段ずつゆっくりと登っていく。
一段上がるごとに手嶋さんは私を気遣うように振り向いてくれて、その優しさに胸がほわほわするのにきゅっとなるような気持ちだった。
屋台が並ぶ道を歩いている時もそうだった。私が逸れそうになってないか、慣れない下駄が辛くないかと度々振り向いてきてくれてはそう聞いてくれていた。気を使わせてしまって申し訳ないなって気持ちもあったけど、嬉しかった。

…本当はその時から、服の裾じゃなくてこうやって彼の手を取りたかった。だけど彼女でもないのに、そんな事できるわけないって思って……『手でも繋いでみる?』って言われた時も、本当は「そうですね」って返したかった。

だから今こうして、手嶋さんの手を取っていることがすっごく嬉しいし…夢なんじゃないかって思っている。


「初めて会った時の事、思い出すな」
「え?」
「ほら、覚えてないか?4月に廊下でぶつかった時の事」
「もちろん、覚えてますよ」


そういえば…あの時も手嶋さんに助け起こそうと差し出された手を、私はこうして握ったんだっけ。
あの時は思いもしなかったな…彼の事をこんなに好きになるなんて。むしろ私は彼を勝手に怖い人だと思い込んでいた。実際はその反対でこんなに優しい人だったのに。


「すげーびっくりしたよ、あの時偶然ぶつかった子がまさか青八木の妹だったなんて。全然似てねーしさ」
「そうですかね?そんなに私とお兄ちゃん似てないですか?」
「見た目はな。けど今はなんか似てるなって思うよ。こうって決めた時の目力とかな」


つまり、ちょっと頑固なとこは似てるよ。そう言って手嶋さんは面白そうに笑った。


「に、似てないですよそこは!お兄ちゃんの方が頑固ですし!」
「はははっ…確かに、まだ一花ちゃんの方が聞き分けいいかもな」


そうは言ってるけど、彼はまだ声を上げて笑っている。
…なんだか腑に落ちないな。大食いなところ、とか言われたら否定できなかったけど…。


「実は私…手嶋さんの事、怖そうだなって思ってました」
「えっ!?マジ!?」
「はい。だからぶつかっちゃった時めちゃくちゃ怒られるんじゃないかってすっごい冷や冷やしたんですよ」
「マジ…?そんなに…!?」


手嶋さんはあからさまに狼狽えていて、思わずくすっと笑ってしまった。それになんかちょっと…可愛い。意外だった、彼がこんな事でこんな反応をするなんて。


「総北に入学する前にレース観たって言ったじゃないですか、その時に相手の選手を煽ってる時の印象が強くて…」
「ああ…そういや合宿後鳴子とかにも言われたな、悪手嶋とかなんとか…」
「悪手嶋さん…いいですねその言い方、しっくり来ます」
「……なんか不服だわ……」


手嶋さんは眉を顰めて不服そうな顔で「目つき良くねぇのは自覚してるけどさぁ…」と呟いていて、それすらもなんだか可愛いなって思ってしまうのは重症かな…?


「でもあの廊下でのことがあったから、すぐに怖い人じゃないってわかりました」
「そっか…それならよかったわ……」


わかりやすい位に、手嶋さんは安堵した顔をしていた。その反応にまた吹き出しそうになったのも束の間…彼の次の言葉に、私はどきっとさせられる事になる。


「ちなみに…今は?」


私の顔を覗き込むようにそう言ってきて…一瞬、息を詰まらせた。
今はオレの事、どう思ってる?──そう聞いてきている…んだよね…?


『今は…手嶋さんのことを、好きだって思っています』


──そんな事、言える訳がない。

言う勇気がない、それが一つ目の理由。もう一つは……今はこの気持ちを伝えるのはよくない、そう思っているから。

手嶋さんとお兄ちゃんはみんなが今年のインターハイに目を向けている中で、その先を見据えて練習に打ち込んでいた。部活が終わって「もう少し走っていくから先に帰れ」とお兄ちゃんに言われたことも一度や二度じゃない。
…強くなろうと頑張っている2人の、手嶋さんの邪魔になりたくない。優しい彼のことだもの、きっと今思いを告げたら返事がどうであれ私に気を遣ってしまうだろう。
それに…まだ金城さんからの正式発表はないから何となくだけど……次の総北のキャプテンを担うのは手嶋さんだと思っている。お兄ちゃんがキャプテンなんて想像できないし。

だからこそ、今は告白するべきじゃない。せめて…彼が引退する一年後までは。

でもせめて、これだけは伝えたい。


「…今は、1番尊敬している先輩です」


手嶋さんの目を見て言うと、彼の大きな目が見開かれた。少しだけ頬も赤くなっているような気がする。それと…ほんの少しだけ、私の手を握る彼の手に力が込められた。


「尊敬なんて…オレは弱いし、先輩達みてーな立派なことはしてねーぞ?」
「そういう所ですよ。自分の弱さを認めつつもそれを理由に僻んだり頑張る事をやめたりしない…手嶋さんのそんな所を、私は尊敬しているんです」


手嶋さんは少し焦ったように私から目線を逸らした。幾つも吊るされた提灯の灯りのせいかな…うっすらと灯りに照らされて見えた耳が、縁まで赤くなっているのは…。


「やっぱ、似てるよ。青八木と一花ちゃん。そうやって素直にオレを褒めてくるとこ」
「ふふっ、兄妹ですからね!」
「ったく……ありがとうな、一花ちゃん」


照れ臭そうな笑顔に、胸が締め付けられるような思いだった。やっぱり、手嶋さんの事…好きだなあ…。

ふと前を見ると、下から見上げると長そうに見えた階段は高台まで残り数段だった。
…上に着いたら、この手は離さなきゃなんだろうな……すごく名残惜しい。
残りあと数段。この手の感触も、温度も、忘れないようにしっかりと覚えておきたい。

いつか、当たり前のように彼の手を取れる日が来たら嬉しいな……なんて。


「あ、そうだ!」


手嶋さんは急に私に顔を向けた。思わずびっくりして小さく声を上げてしまった。「わりぃ」って謝ってきた後に、彼は小さく「その…さ」となんだか照れ臭そうに口籠もっていた。


「まだ言ってなかったな。その浴衣も髪型も…よく似合ってるよ。いつもと雰囲気違くてさ…すげー綺麗だよ」
「!!」


やっとほんの少しだけ静かになったと思った心臓がどきっと脈打って、ただでさえ熱い顔はまた熱くなって……思わず手嶋さんの手を握っている手に少しだけ力を込めてしまった。だけど、すごく嬉しかった。彼にそう思ってほしくて着てきたんだから。


「あ…、ありがとう、ございます…綺麗だなんて…嬉しいです」
「思った事言ったまでだよ」


笑いながら、手嶋さんはそうさらっと言った。

彼は本当にズルイ。

こうやってまた私はどんどん手嶋さんに恋していってしまうんだ。今日だけで何度ドキドキさせられたんだろう…今だって破裂しちゃうんじゃないかって位に鼓動が早いし、繋いだ手からドキドキしてるのが伝わってしまってる気がする。

手嶋さんのことが、好き。
苦しいくらいに、彼の事が好き。

…いつかその想いがこの体の中には収まりきらなくなってしまって、声になって溢れ出してしまうんじゃないかって思う位に。

今はだめだと言い聞かせれば言い聞かせる程、胸を締め付けるような切なさは強くなっていった。




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