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私がロードを始めたのは小学6年生の時。当時中学に上がったばかりのお兄ちゃんが近所のサイクルショップでロードバイクを買ってもらったのが羨ましくて、両親に私も欲しいと散々駄々をこねて一年早い中学入学祝いということで買ってもらった。

最初はただお兄ちゃんがやってるから私もやりたい!なんてなんとも子供っぽい理由で始めたロードだったけど、運動が大好きだった私がロードバイクの楽しさに気付いてその世界にのめり込んでいくのはあっという間だった。

最初は練習に行くお兄ちゃんのことを追いかけて、無理矢理ついていって。多分一緒に走っている…とは言えなかったと思う。
だけど次第に平坦ではお兄ちゃんに追いつけなくなって、逆に登りではお兄ちゃんを追い抜いた。
…私とお兄ちゃんは兄妹だけど脚質が違うんだ、そう気が付いてからは一緒に走る事はめっきりなくなった。

それから自転車を買ったお店の人にレースに出てみたらどうかと勧められて、初めて出場したヒルクライムレースをきっかけに更にロードにのめり込んでいった。
レース出場はもちろん、休日はお兄ちゃんと大人の人のレースを見に行ったり、お兄ちゃんとお小遣い折半しあってツールのDVDを買ったり、お互いのレースを応援しに行ったり……気が付けばすっかりロード中心の生活になっていた。


当然中学でもロードは続けるつもりで、進学先は数少ない女子の自転車競技部のある学校を選んだ。家から少し遠かったけど、これから部の仲間と一緒に走れるんだ、そう思えばちっとも苦じゃなかった。
その自転車部は男子の方はそこそこ部員数もいてまあまあ実力のある部だった。けど反対に女子の方は部員数も少なくて、目立った戦績もなかった。私が入学した年の新入部員も私だけだったな。

レース経験者、しかも部にいなかったクライマーって事で私への期待は厚かった。
最初はその期待が嬉しくて、頑張ろうって気合いが入った。そのおかげでレースで何度か表彰台に上がることもできたし、先輩達も喜んでくれた。
同時にプレッシャーでもあったけど、部唯一のクライマーとして頑張ろうって思った。
…たとえ先輩からアドバイスを貰えなくたって、練習はいつも1人だったとしても。まあ男子自転車競技部だった河村先輩には色々話聞いてもらってたし…何も困ることはなかった。

そうして迎えた中学一年生の最後のシーズンのヒルクライムレース。
今まで出場したレースの中で一番大きな規模のレースだった。出場者もいつも出てる規模のレースの倍くらいで、スタートラインに立った時に伝わってくるヒリつくような緊張感もいつもより強くて、正直逃げ出したいとほんのり思ってしまったのは今でもよく思い出せる。
出場者の中には表彰台の常連の選手もいた。だけど私だってこの日の為に毎日必死で練習を積んできた。自分のやってきた事、自分の力を信じよう──そう思って、ペダルを踏み込んだ。

順当に順位を上げていって、レース終盤になる頃にはトップ5には食い込めていたと思う。もうすっごい必死だったから、その辺りの記憶はちょっと曖昧だけど…途中意識飛びそうになりながらもよくこの表彰台の常連さんについて行けてるな、と他人事のように考えていたのは覚えている。

ゴールまであと残り数100mのあたりのカーブだったと思う。ここから先はもっと曖昧だけど、覚えている限りじゃ先にカーブの先を行っていた前方が急に騒がしくなって…何が起きたのかと思いつつ曲がった先で見たのは愛車と共に道に横たわる他の選手たちだった。
落車が起きたんだ、と状況を把握した時にはもう遅くて……気が付けば私も空を見上げていた。ただし私が倒れた場所はコースの道じゃなくて……崖の下だった。
今でもあの時、何が起きたのかはわからない。けど…ただ言えるのは、とてつもなく運が悪かった、って事だろう。


次に目を覚ました時、私が見たのは病室の景色だった。事故の後、私はすぐ病院に運ばれたらしく、まっさらな白いベッドの上にいた。
その傍らにいた家族が私に向ける今にも泣き出しそうで苦しそうな程に心配した顔は今でも脳裏に焼き付いて離れない。

なんでそんな顔してるの、それよりレースはどうなったの──そう口に出すよりも前に、いろんな医療器具に繋がれた体と、息を吸うだけでも全身に走る裂かれるような痛みが何があったかを教えてくれた。
……私は怪我をしてリタイアしたんだ、って。

あーあ、せっかくみんなに期待されてたのに、残していた脚を使ってもっと上位にいけるはずだったのに。今シーズンはこれで終わってしまった。泣きたいくらいに悔しいけどこうなってしまったのは仕方ない。また次までに力を付けて今度こそ優勝しよう。ああ、その前にこの怪我早く治さなくちゃなあ。


そう、思っていた。
だけど…お医者さんに言われた言葉は、今まで言われたどんな言葉よりも残酷だった。


『もう前みたいにロードバイクには乗れない』


その一言は私の頭を真っ白にさせるには十分すぎた。とにかく何も考えられなくて…これは悪い夢かなんかじゃないのかと思った。けど、落車で怪我をした身体の痛みがこれは現実なんだということを突きつけてきた。
正直、言われた直後は泣きたいのかどうなのか…よくわからなかった。現実なんだって頭では微かに受け入れ始めてるのに、全然実感が湧かなくて……。

ただ、その時の家族の顔が頭から離れなかった。
今にも声をあげて泣き出しそうなみんなの哀れむような顔が、なんだか痛くて苦しくて…そんな顔を見ていたくないと思った。それに、こんなに心配をかけてしまって、こんな顔をさせてしまった事の罪悪感が込み上げてきて…みんなをどうにか安心させなくちゃって思って、なんとか笑顔を見せて、こう言った。


『…こうなっちゃったのは仕方ないよ。ただ運が悪かったって事で、さ。…私は大丈夫だから』


それから私は、走れなくなった事への悔しさも悲しみも、あの時こうしていればっていう後悔も全部…誰にも見せないようにしてきた。







手嶋さんに全てを話した。少し長い話になってしまったけど、彼は何も言わずにじっと聴いてくれていた。


「…話してくれて、ありがとな」
「いえ、そんな…お礼なんて…」
「それと…ごめんな」
「な、なんで手嶋さんが謝るんですか?」
「その、さ…何も知らなかったとはいえ、ロード乗ってた時の話聞きたいなんて言っちまってさ」


もう一度、ごめん、って手嶋さんは私に申し訳なさそうな顔を向けた。


「そんな!謝らないで下さい!私の方こそ、聞いてくれてありがとうございました」


少し前までだったら、人にこんな話をするなんて考えられなかった。
当時の同級生とかは当然事故で入院していたっていうのは知ってるけど、レース中の落車で走れなくなったと言う事は知らないはず。退院してからも野次馬心で聞いてくる子はいたけど…それも笑って「怪我したくないから自転車はもうやらないんだ」と返していた。「可哀想」と言われるのがとにかく嫌で。
そんなわけで、落車で走れなくなったのを知っているのは家族と、当時の自転車部の人達だけ。

手嶋さんに話したらもっと頭の中ぐちゃぐちゃになっちゃうんじゃないかとか、色々不安だったけど…むしろ逆に自分でもびっくりする程落ち着いている。
あの日の峰ヶ山と一緒だ。すっきりしたっていうか…胸の中にあったモヤモヤした何かが少し薄くなったような…そんな感覚だった。

手嶋さんは何も言わず、ただ眉を下げてふっと優しく笑っていた。その笑顔がなんだか綺麗で、しばらく眺めていたいような気がして……私は彼のこの笑顔が好きだななんてぼんやりと思っていた。


「強いな…一花ちゃんは」
「え…?」
「…家族にも心配させないようにって、ずっと自分の気持ち押し殺してたんだろ?オレだったら多分頭ん中ごちゃごちゃしてんな事できねーなって思ってさ」
「いえ……そんな…」


こんな事を言われたのは当然初めてだ。嬉しいのか恥ずかしいのかよくわからないけど、ほんのりと頬が熱かった。


「…よく耐えてたな、一人で」
「…!」


ああもう、なんて卑怯なんだ、この人は。
「すげぇよ」、なんて言いながらさっきと同じ私の好きな優しい笑顔を浮かべて、私の頭に優しく手を置いてきて…しかも誰にも言われたことのない言葉を言ってくるんだから。

気持ちを隠そうと決めたのは自分だから、別に耐えていたとかそんな事考えた事もなかった。なのに今手嶋さんにそう言われて、胸がぎゅっと何かに掴まれたような苦しいような切ないような感覚になってなんだかもぞもぞする。
嬉しいのかなんなのか…自分の感情なのにそれはよくわからない。だけど心臓はドキドキ言ってるし、頬が熱い。それと、目の奥がつんとして涙が出そう。


「…ありがとう、ございます…」


泣きそうなのを悟られたくなくて俯いて手嶋さんから目を逸らしたけど、声がもう涙声になっている。困ったな、私の涙腺こんなに弱かったっけ…。


「……それより、飯食おっか。休み時間終わっちまう」


な?、そう言いながら手嶋さんは優しく私の頭をぽんぽんと叩く。
溢れそうになる涙を耐えるのに必死で、彼の顔を見る事は出来なかったけど、声でわかった。手嶋さんはいつもみたいに優しく笑ってるって。
…泣きそうになってるの、バレちゃってるなあ…これは。

手嶋さんの優しさは、胸がじんわりするようなそんな気持ちになるのに…同時にぎゅっと締め付けられるような気持ちになる。

……思い出した。この感覚、河村先輩に抱いてたのと同じ…ううん、それ以上だ。


私…手嶋さんのことが──好きなんだ。



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