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今日の課題を一つこなしてから、青八木と今日数回目のインターバルに入って飲み物を買おうと峰ヶ山の駐車場にある自販機へ向かってる途中で一花ちゃんの小柄な後ろ姿を見つけた。
彼女は向いにいる見慣れない男と何やら話している様子だった。どうやらその男は偶然練習場所の被った柏東の部員のようで、着ているジャージにはでっかく“柏東”と書かれていた。

この前のレースみたいにまた変なのに絡まれてるのか、はたまた部活中にナンパされてるのかと心配になって自販機に向かいつつ何かあったら助けに入れるようにと2人の会話に聞き耳を立てた。
が、一花ちゃんがその男を「先輩」と呼ぶ声が微かに聞こえた。どうやら中学時代の先輩らしい。この間みたいに絡まれている訳ではなさそうだと一先ず胸を撫で下ろした。
他校の選手と練習中に話してんのはあんまよくねーけど、久々の再会のようだし話し込んじまうのは仕方ないな。一花ちゃんが困ってないならそれでいいか、と何も言わずにさっさと自販機で飲み物買って青八木の所へ戻ろうと決めた。
…男と親しげに話す一花ちゃんを見てじくじくとした胸の痛みを感じるのも、何故か焦りを感じるのも全部気のせいだ、キツい練習で疲れているだけだ。そう言い聞かせて。


「……私…前……走れない…から」


途切れ途切れだけど確かに一花ちゃんの声でそう聞こえて、思わずもう一度彼女に視線をやった。…走れないって一体どういう事だ?それに誰が…。
会話の内容も気になるがそれよりも一花ちゃんの声が気になった。一見いつものように明るい声だけど微かに震えていて、無理矢理明るく振る舞っているっていうのはすぐにわかった。
こんなにわかりやすいっていうのに、向かいの男はどうやらそれに気が付いてないようで話を続ける。

2人の会話の途中「事故」っていう言葉が聞こえた。
以前一花ちゃんは『自転車は向いてなかったからやめた』と話してくれた。けどそれは嘘で、本当は事故で走れなくなった、のか……?
いや、それよりもこのままあいつと話を続けさせるのは良くない気がする。声の震えも強くなっているし、後ろ手に握り込まれた手も爪が食い込んでいるようで痛々しい。
気が付けばオレの足は自販機から2人へと向かっていた。


「すんませんー、今練習中なんで」


そう言って2人の話を半ば無理矢理切り上げさせた。
男が一花ちゃんに別れを告げてチームメイトの元へ戻るのを見届けてから、見るからに今にも泣きそうなのを必死に堪えながら謝ってきた一花ちゃんに休憩しようと持ちかけて自販機近くのベンチに並んで腰掛けた。


「…さっきの人、中学時代の先輩だったんです。それでつい話し込んじゃって…」


すみませんでした、と一花ちゃんは相変わらず泣きそうな顔で頭を下げてきた。
全く、そんな顔で謝られたらまるでオレが泣かしちまったみたいじゃねぇか。最初から他校の選手と話してた事についてはそんな言うつもりなかったとはいえ、余計に叱る気が遠のく。つーかオレも盗み聞きしてたし、叱れる立場じゃねぇな。


「先輩、っつってたの聞こえたよ。そりゃ懐かしくなっちまうよな」
「…もしかして話してたの…聞こえてましたか?」


会話の内容の事、だよな…。盗み聞きしていた事がバレちまうけど素直に頷くと一花ちゃんは何かを諦めたように眉を下げてはにかんだ。


「…ごめんなさい、私手嶋さんに嘘をつきました」
「ロードやめたの、向いてないから…じゃないんだな」
「はい……落車で大怪我して、前みたいに走れなくなって……」


大怪我で走れなくなった……か。
だからさっきの会話で一花ちゃんは『もう走れない』と言っていたのか。
ロードの世界じゃ怪我して暫く乗れない、なんてのはよくある話だ。そのまま完治しなくて引退…ってのも聞かない話ではない。だけど、実際こうやって乗れなくなったってのを知ってる人から聞くのは初めてだ。…それも、いつも応援してくれている一花ちゃんから。
彼女が自転車が好きだって言うのは部活中のサポートからでもよく伝わってくる。その好きだった物を辞めざるを得なくなってしまったなんて…相当辛かっただろう。


「あ、でも向いてなかった、っていうのはほんとですよ!そんなに速くなかったし、やめようか迷ってたんです。事故のおかげで踏ん切りがついたんですよ。だから全然悔しくもないっていうか!」


あはは、なんて笑ってるけど泣きそうなのがバレバレだ。心配をかけないようにと気丈に振る舞っているようだが彼女はこれで自分の感情を隠しているつもりなのか……逆にその顔が泣きたい、悔しかったと訴えているようなもんだ。本当に表にあまり感情を出さない青八木とは似てないな。


「…嘘が下手だな、一花ちゃんは」
「や、やだなあ手嶋さん…私嘘なんかついてないですよ、本当に全然─」
「じゃあ、なんでさっきからそんなに泣きそうな顔してるんだよ」


一花ちゃんの言葉を遮ってそう言えば、大きな目を見開いてオレを見上げてきた。


「な、何言ってるんですか……私、そんな顔してないで──あれ…?」


ぽたり、と一花ちゃんの青八木と同じ色の瞳から頬を一筋の雫が伝って彼女の膝の上にあるぎゅっと握られた手の甲に落ちた。それをきっかけにぽたりぽたりと次々に雫が落ちていく。


「なんで…全然…泣きたくないのに…」


涙声になりながらも一花ちゃんはオレから顔を隠すように両手で涙を一生懸命に拭う。けどそれが止まる気配は無く、彼女の手を濡らすだけ。


「…我慢すんなよ、一花ちゃん」


必死に涙を拭い続ける一花ちゃんの頭にそっと手を乗せる。


「こういう時はさ、我慢しねー方がいいと思うぜ。発散させちまった方がスッキリすんだ」
「…え…」
「…今は我慢しなくていいから、な?」
「…手嶋、さん……」


一花ちゃんは絞り出すような声でオレの名前を呟いて、ずっと手を涙を拭っていた両手を顔から離してオレを見上げてきた。
水膜を張って潤んだ大きな目、赤くなった目元…まるで捨てられた子犬のような顔に、心臓が口から飛び出るんじゃないかって位にぎゅっと胸を締め付けられたような感覚を覚えた。
その胸の苦しさを堪えて、彼女の頭の上に乗せた手でぽんぽんと優しく叩いてやるとぼろぼろと彼女の目から大粒の涙が溢れた。


「っ、う…っ…」


一花ちゃんはまた手を両目に当てて、静かにしゃくり上げる声をあげて肩を震わせながらぽたりぽたりと流れる涙で地面を濡らした。
その震える小さな背中をそっと摩りながら、オレはそんな一花ちゃんの事を不謹慎な事に…愛おしいと感じていた。今にも崩れてしまいそうな程に小さな体を抱きしめてやれたらと……そう思った。


(ああ、もうこれはダメだわ)


ここまで来ちまうともう自分を誤魔化したりすることも出来ないだろう。
オレは頑なに自分にダメだと言い聞かせて、気のせいだと認めなかった一つの感情を認めた。


──オレは、一花ちゃんのことが好きだ。




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