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峰ヶ山で練習していたのは私達総北だけじゃなかった。
先日開かれたインターハイ千葉県予選で戦った柏東の自転車部もいた。…といっても予選がある事すら知らなかったし、観てもいなかったんだけど。突然教室を飛び出していった今泉くんにあとから簡単に話で聞いただけ。

柏東は今年も総北に辛酸を舐めさせられた訳だから、こうして練習場所が被って鉢合わせしてしまうなんて最悪だ。一触即発なんて事にならないといいけど。
…って、内心ヒヤヒヤしていたけど金城さんも柏東のキャプテンも軽く挨拶をしただけで不穏な空気にはならなかった。後でこっそりと金城さんに聞いてみたら、他校の自転車競技部とこうして被る事はそこそこあって、そういう時はお互いに干渉しないようにしていると言っていた。どうやら不穏な空気になる事もないみたいだ。

…柏東、か。そういえばここは中学時代にお世話になった先輩の進学先だったな。あの先輩、元気かな。今でも自転車を続けているんだろうか。さっき目の前を通過した集団の中には見当たらなかったけど……

っと、今は部活に集中だ!合宿前でみんな頑張ってるのに、マネージャーがぼんやりしているなんてダメだ。
手にしているバインダーに挟んだ、みんなの今日クリアした課題とそのタイムを記録した表をパラパラとめくってチェックする。うんうん、みんな順調にクリアしている。日差しが出てきて少し暑くなってきたっていうのにみんなすごいな。


「…あ…」


手嶋純太、のところで思わず手が止まる。手嶋さんの下の名前って純太っていうんだよね、なんだか可愛い名前だな。レース中の時の煽り顔は少し怖いけど、くしゃって笑った顔はちょっと幼くて可愛くて、純太って名前がピッタリだなあ……なんて思っていたら顔が無意識に緩んでいた。
…って、だめだだめだ!しかも何考えてるんだ私。逸る鼓動を無視して、もう一度ちゃんと記録に目をやる。

手嶋さん…今日はすごい頑張ってるなあ。今日はいつもよりちょっとキツそうなメニューだけど、しっかりこなしているし記録を更新している課題もある。
お兄ちゃんも手嶋さんと同じメニューを組まれてるけどしっかりクリアしてる。いくつか更新してたりするし…本当に2人とも合宿に向けて頑張ってるんだな。私もできる範囲で2人を応援してサポートしよう。っていっても他の選手と贔屓しちゃいけないから、本当に微々たる事でしか力にはなれないけど……。



「あれ?もしかして一花…?」


突然背後から聴き覚えのある声に呼ばれて、恐る恐る振り返る。
そこにいたのは、総北の部員ではなくて──さっき思い浮かべていた、中学生の時にお世話になった柏東に進学した先輩だった。懐かしいな、先輩髪型とか全然変わってない!久しぶりの再会が嬉しくて思わず顔が綻ぶ。


「河村先輩!お久しぶりです!」
「やっぱり!一花だ!いやーまさかこんな所で会うなんてなー」


先輩は男子自転車競技部に所属する二つ上の先輩だった。私は女子の部に所属していたけど、何かと気にかけてくれていた。
ニカっと笑う明るい笑顔が印象的で、人当たりがよくて、誰に対しても気さくに話してくれる。たまに空気の読めないところはあったけど…それでも自転車に対して一生懸命で、後輩想いで人望も厚い頼れる先輩だった。

ここにいるって事は、まだ自転車を続けていたんだ。よかった…だけど、先輩が今着ている柏東のジャージはレギュラーのそれじゃなければ競技用でもない。そうか…先輩は今高3だし、インターハイ出場も逃してしまったからもう部を引退しているんだ……。


「相変わらず元気そうでよかったよ、一花」
「えへへ…元気なのだけが取り柄ですから!先輩もお元気そうでよかったです!」


まあな、と先輩は当時と変わらないニカっとした笑顔を見せた。

私は先輩の事が好きだった。けどその恋心を自覚したすぐ後、彼には他校に彼女がいる事を知ってあっけなく失恋してしまった。当時はこの笑顔にドキドキさせられたりしてよく翻弄されたし、失恋してしばらくはこの笑顔を向けられるたびに苦しくて仕方なかったっていうのに、今は懐かしいなと落ち着いて見れる。時間の流れってすごい。


「ていうか、一花はなんでこんな所に?」
「部活中ですよ!私総北に進学したんです」
「え…総北って、女子の自転車部なかったよな…?」
「……私、もう前みたいに走れないですから。だから今はマネージャーなんです」
「あ……そうか……そうだったよな、悪い」


先輩は気まずそうに私から視線を逸らした。そんな顔をして欲しくなくて、笑いながら「気にしないで下さい!」と言えば先輩はまた顔を上げてくれた。だけど…なんだろう、なんだか胸がざわつく。これ以上先輩と話しているのはよくない…そんな胸騒ぎがした。


「あの事故がなけりゃ、な…まだ一花の走り、見れてたかもしれないんだよな」
「あはは…そう、ですね」


一瞬、ようやく忘れかけていた今朝の夢の光景がチラついてズキンと胸の奥が痛んだ。

もう選手として走れない悔しさ。これも先輩への恋心と同じく、時間の流れが浄化してくれる。そう思っていた。だけど痛いような、苦しいような…嫌な感覚が込み上げてくる。

あの事故がなければ…私も何度も考えた。それが無ければ私はまだ走れていたのに…って。だけどいくらそう思ったって、悔しがったって、恨んだって現実は変わらない。漫画や映画の登場人物のように時間を巻き戻せでもしない限り、私が選手として復帰できないのはもう変えることが出来ないし、当然そんな特殊能力持ってる訳がない。
だから私は現実を受け入れて、心の中に燻ってる悔しさを無視して運が悪かったと思って今日まで過ごしてきた。
それに何より、嫌だったからだ。今の先輩みたいに心配されたり同情されることが。平気、運が悪かっただけ、そう笑って言えばみんな笑ってくれた。


「けど、私マネージャーも頑張ってるんですよ!選手だった時の経験もそこそこ活かせますし!」


なんとか笑って明るく振る舞う。そんな悲しそうな哀れむような顔しないでほしくて、どうにか私の事故の事から話を逸らしたくて。
せっかく久しぶりに先輩に会えたんだもの、どうせならこんな話しじゃなくて明るい話がしたい。けどそう思う私をよそに、先輩は話を続ける。


「一花ならマネージャーでもちゃんとやれてるんだろうけどさ……けどやっぱりお前の走り、もっと見たかったよ」
「……そう言ってもらえるだけで…じゅうぶんです」


何でだろう、鼻の奥がツンとして痛い。どうしよう…これ、涙が出そう。
私の走りを見たかった、そう言ってもらえるのは嬉しいのに、嬉しく無い。頭の中がぐるぐるしておかしくなりそうだった。とにかく涙が出そうなのは堪えなきゃと背中に回した両手を爪が食い込む位にぎゅっと握った。結構痛いけど、これくらいが気を紛らわすのに丁度いい。
とにかく切り上げなくちゃ、この会話を。部活中に他校のチームと話してるのだって良くないし、何よりずっと押さえ込んでいた物が溢れちゃいそう。「練習はいいんですか?」って言いたいのに、喉の奥が重たくて苦しくてつっかえて出てこない。


「すんませんー、今練習中なんで」


間に入ってきた声は、私の物でも先輩の物でもなかった。


「……手嶋、さん…」


私の隣に手嶋さんが立っていた。


「あ、ああ悪い。そうだったな。久々に会ったもんだからついな。それじゃあ一花、マネージャー頑張れよ!」
「は、はい…!先輩も頑張って下さい!」


軽く手を振って踵を返した先輩に私も手を振り返す。なんとか上手く笑えてただろうか。チームメイトの元へ帰る先輩を見送ってから、手嶋さんに向きを変えて頭を下げた。


「すみませんでした…練習中、だったのに…」


なんとか喉から絞り出した声は笑いそうになる位震えていた。
頭下げて謝ったけど…仕事ほっぽって他校のチームと長々と話していたし、これは流石にいつも優しい手嶋さんも怒るだろう。けど、手嶋さんが来てくれてよかった。あのままだったら私絶対耐えきれずに泣いてたと思う。


「…ちょっと休もうぜ」
「え?」


絶対怒られると思ってたから、驚いて思わず聞き返してしまった。それどころか手嶋さんは優しく笑ってる。まるで私が泣きそうになってるのを見透かしてるみたいに。それから自販機の側のベンチに座ろうと促されるままそこに2人で並んで腰掛けた。


「…さっきの人、中学時代の先輩だったんです。それでつい話し込んじゃって…」


もう一度すみません、って謝ると手嶋さんはふっと笑うだけだった。わかってるならいい…って事なのかな。


「先輩、っつってたの聞こえたよ。そりゃ懐かしくなっちまうよな」
「…もしかして話してたの…聞こえてましたか?」


手嶋さんは眉を下げて、すこし私に申し訳なさそうな顔をして小さく「ああ…」と頷いた。こんな顔するってことは…バレちゃったんだろうな。私が前に彼に「向いてないから自転車やめた」っていうのは嘘で、本当はもう走れないからだ、っていうの。



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