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『先頭で落車が発生した!』
『1人崖下に落ちたぞ!』
『早く救助を!』


遠くの方がなんだか騒がしいな。レースの審判員の人たちの声だろうか。落車って聞こえたし、どこかで集団落車でも起きたのかな。1人崖下に落ちたとも聞こえた。
可哀想だな、その人…。せっかくここまでこの勾配のキツい坂を登ってきたのに。更に崖下に落ちてしまったんじゃきっとリタイアせざるを得ないだろう。余計なお世話かもしれないけど、せめて私もその人の分まで走りきろう。大丈夫、このままのペースを維持できればきっと──


『おい、君!大丈夫か!?意識はあるか!?』


多分レースのスタッフであろう男の人の声がはっきりと聞こえた。すぐ近くで話しかけられているみたいだけどおかしいな。だって私はまだ、ゴールラインを目指して必死に登ってるはずなんだから、聞こえるのは通り過ぎていく観客の声援と相手の車輪の音や息遣いだけのはず。いつもならこんな近くで選手以外の声なんて聞こえるはずないのに、やっぱりおかしい。それに大丈夫かって一体何のことだろう。
そんな事よりも早く前へ追い付かなくちゃ、このままなら溜めた脚を使えば3位は確実だけどもっと上を狙いたい。私を信じてこのレースを任せてくれた先輩達の為にも。
だからもっとケイデンス上げなくちゃ、早く前へ進まなくちゃ。あともう少しだけ頑張ってね、私の体。
そう自分に言い聞かせて、ペダルと一体化している脚を動かしてもっと回そうとした。

けどおかしいことに、私の脚は金縛りにでも遭ったかのように動かない。
脚だけじゃない。しがみつくようにハンドルを握っていた手も、わずかにしか動かす事ができない。そういえば今視界に広がる景色もおかしい。どうしてアスファルトの山道じゃなくて気持ちいい程の青空が視界一面に広がっているんだろう。勝者は天を仰ぎ見るなんて言うけど私はまだゴールすらしていないのに。とにかく前に進まなければ。


『っつ…!!』


体を動かそうと力を入れると、身体中に言葉にならない程の強い痛みが走った。なにこれ、痛い、物凄く痛い。息をするだけでも苦しくて堪らない。


(ああ……そうか……)


皮肉にもその強い痛みのおかげで、朧気に意識がはっきりとしてきた。


(私、落車に巻き込まれて……崖から落ちたんだ…)


運悪く落車に遭い、更に運の悪い事に崖下へ落ちてしまったという1人は……私だったんだ。




「っ……!!」


思わずガバッと勢いよく掛け布団を剥ぐ音を立てて飛び起きた。こんなアニメなんかでありがちな起き方を現実でするとは。
視界に広がるのはあの青空じゃなくて見慣れた自分の部屋だった。体もちゃんと動くし痛くない。よかった、夢だったんだ…。安心してため息と一緒に全身からすっと力が抜けた。

…昔の記憶の夢だった。
忘れたくても忘れる事のできない、私の人生が変わってしまった瞬間の夢だ。
あの事故で大怪我を負って以来、私は二度とロードレースの選手として走る事が出来なくなってしまった。


(あの事故がなければ…私はまだ──)


って、ダメだダメだ!起きてしまったことは仕方ないんだ、運が悪かったんだって思う事にしたじゃないか。やめようやめよう、今見た夢なんて無かったことにしよう、今日私は夢なんて見てなかったんだ。
考える事をやめて枕元に置いたスマホで時間を確認すると、アラームをセットした時間よりも30分も早かった。この時間じゃさすがにお兄ちゃんもまだ起きてないだろうし、たまにはお兄ちゃんより先に起きてびっくりさせちゃおう、ふふん。

ベッドから降りて、カーテンを開けると外は眩しいくらいに日差しが出ていた。もう夏が近いんだ。自転車部はこれから合宿も控えてるし、それが終わったらインターハイが始まる。みんな一層頑張ってるし、今日もしっかりサポートしなくちゃ!







今日は日曜日。学校は休みだけどしっかり練習はある。
今日のメニューは峰ヶ山で登り練。一度みんなで登ってタイムを録ったあとはそれぞれに先輩達が作った個人メニューが組まれてる。手嶋さんとお兄ちゃんだけは同じメニューが組まれてるから、2人だけコンビメニューか。

私と幹ちゃんも今日は峰ヶ山の山頂でマネージャーのお仕事をする。いつものように練習のお手伝いに来てくれた寒咲さんのバンにキンキンに冷やしたドリンクをいっぱいに詰めたクーラボックスやいっぱいの補給食、それから何かあった時のための修理道具や救急箱をみんなと手分けして詰め込んだ。


「一花ちゃん」


準備もあらかた終わった頃、手嶋さんに呼ばれた。


「手嶋さん。どうかしました?」
「あ、いや…別にどうってことはねぇんだけどさ」


何故か手嶋さんは私から視線を逸らしたりして言いにくそうにしていた。
これは何かやらかしてしまったかな…と思ってそれを口にすると「そんなんじゃねぇから!」と手嶋さんは苦笑いを浮かべた。


「……もしかして、調子悪いのかなってさ」
「えっ…」
「いや、なんか顔色悪いような気がしてさ…大丈夫か?」
「そ、そんな事ないですよ!全然元気です!平気ですよ!」


なんとか笑ってみせたけど……手嶋さんの言う通りだ。
忘れようと決めたのに、今朝の夢がふとした時に浮かんできては私の頭の中をじわじわと侵食するように私の胸の奥をチクチクと刺してくる。その度に振り払ってはいるけれど、どうしても完全に忘れる事が出来なかった。
すごいな、手嶋さん。やっぱりこの人は本当にエスパーなんじゃないかと思う。


「…そっか。ならいいんだ。けど…無理はすんなよ」


頭をぽんぽん、と優しく叩かれた。
この間同じ事をされた時と同じく、顔に熱が集まってきて心臓がドキドキと鼓動を早める。全く、私は男の人にこんな事された事滅多にないからドキドキしているっていうのに、手嶋さんは平然としているんだからずるい。
…こんな事、他の女の子にもしているのかな……慣れてそうだもの。そう思うと、胸がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。

……いや、何で私こんな事思ったんだろう。だって手嶋さんは部活の頼りになる先輩でお兄ちゃんの親友で、一番応援してるチーム2人の一人でファンだけど……それ以上の事はない、はず、なのに。なんで。
ああもう頭が変になりそうだ。今朝の夢を忘れようとするだけでも大変なのに。考えるのやめよう!やめだやめだ!このぎゅってする感じもきっと嫌な夢ばかり思い出してるせいだ!


「…もうっ、手嶋さんすぐそういう事するんですから!大丈夫ですよ、本当に!私の事より準備大丈夫ですか?」
「ははは、わりぃわりぃ。つい…な。準備は万端だよ、今日もよろしくな、マネージャー!」


はい、と返事をすると手嶋さんは軽く手を振って、踵を返した。
私もしっかりマネージャーの仕事をしなくちゃ、とにかく部活に集中するんだ。
手嶋さんに撫でられた頭がやたら熱く感じるけど、それも気のせいだ。



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