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「お疲れ様です、お兄ちゃん、手嶋さん!」


一花ちゃんから笑顔と共に手渡されたボトルを、オレと青八木はお礼を言いながらそれぞれ受け取って中のスポーツドリンクを喉に流し込む。いつも飲んでるそれだけど、練習後のそれは格段に美味く感じる。良い記録を出そうと走った後の熱くなった体に冷えたドリンクはよく滲みるんだ。


「記録、どうだった?」


水分補給も呼吸も落ち着いてから一花ちゃんに聞くと、彼女は弾む返事の後オレと青八木、それぞれのタイムを測っていた2つのストップウォッチを両手に持って、ずいっとオレ達に突き出すようにして笑顔を浮かべながら見せてくれた。


「2人とも新記録です!」


ストップウォッチの小さい液晶画面に表示された数字は、一花ちゃんの言う通りオレ達の最高記録を表示していた。まだ最終目標のタイムには届いてないが少しずつでも近付いているのは嬉しいもんだ。隣でオレと同じく汗だくになってる青八木に「やったな!」って笑いかけるとコイツも微かに口角を持ち上げてコクっと頷いた。そんなオレらを見ている一花ちゃんも嬉しそうだ。


「にしても、一花ちゃん…すっかりマネージャーの仕事慣れたみてぇだな」
「いやあ…まだまだわからない事だらけですよ。手嶋さんたち先輩が親切なお陰でどうにかやれてます」


全然まだまだですよ、と照れ臭そうに笑って謙遜してるけど嬉しそうだ。


「まだ凡ミスが多い」
「う…それは気を付けなきゃって思ってるから……」
「大丈夫だろ、一花ちゃんよく頑張ってるしすぐミスも少なくなるだろ」
「ありがとうございます…ミスしないようにもっと頑張ります」


一花ちゃんが入部してから、今日で一週間が経った。

今日まで彼女に色々教えたけど、頑張ってくれている。特に大きなやらかしとかもねぇし。まあ青八木の言う通り、小さなミスはまだあったりするけど本当に些細な物だ。一花ちゃんならすぐにそんなミスもしなくなるだろう。
それに、いつもニコニコして楽しそうなんだよな。こっちまで釣られて自然と口角が上がっちまうんだ。
まあ……困ったことといえば、青八木との意思疎通が時々上手くいかなくて兄妹喧嘩になりそうになる事くらいか。その度に仲裁に入って宥めてはいるが……どうやら妹の一花ちゃんにも青八木の考えてる事はわからないことの方が多いらしい。

まあ喧嘩に関しては置いといて、一花ちゃんは本当によくやってくれてる。田所さんも青八木に『いい妹じゃねぇか』って褒めてたし。
そうそう、オレの思ってた通り彼女の声援はかなり力になる。廊下でぶつかった後「こんな可愛い子に応援してもらえたら頑張れそうだな」なんて考えてたけど、実際「頑張ってください!」なんて言われっとすげぇ力をもらえる。やっぱ女子の声援は嬉しいわ。
まぁ正直、こんな可愛い子が青八木の妹だって事は未だに信じられなかったりすんだけど。顔も性格も全然似てねぇし…。

けどとにかく、一花ちゃんは本当によくやってくれてる、が…一つ気になることはあった。


「一花ちゃん、結構ロード詳しいよな。もしかして乗ってたりすんの?」


自転車屋の娘の寒咲はともかく、一花ちゃんもなかなかロードに詳しい。部活の様子じゃ青八木が家で色々教えてた…って事も多分無いだろう。なら、彼女はきっと乗ってるんじゃないかって思った。それに、入部初日に彼女は「マネージャーは初めて」とも言ってたし…中学時代は自転車部で走ってた、とかもあるんじゃねぇかな。

「…!」
「…えっと……それは…」


さっきまで笑っていた一花ちゃんの表情は少し困ったようなそれに変わって、目が右へ左へと泳いだ。この反応はどう見ても良くないやつだ、と瞬時に悟った。心なしか隣にいる青八木も焦ってるような気がするし。「言い難かったらいいよ」って言ってこの話は無かったことにするつもりだった。だけどそれよりも早く一花ちゃんが困った顔のままオレに笑顔を向けた。


「はい、一応……乗ってました」
「ん?…乗ってました?」


「乗ってます」、じゃなくて「乗って“ました”」って過去形なのが気になって思わず聞き返すと一花ちゃんは相変わらず困った笑顔のまま「はい」と頷いた。


「やめたんです、乗るの」
「やめた…って?」
「その……なんていうか…私には向いてないなって思いまして…自転車部にも入ってたんですけど、そっちも退部して、それきり…」
「…そっか。そうだったんだな」


一花ちゃんロード本当に好きみてぇだし、やめちまったなんてもったいないな。
こんな事を思うのは青八木と出会う前のオレもそう考えていたからだ。勝てないからやめる…オレもそう考えていた。でも青八木と出会って変わった。…本当にもったいないと思う。けどこの決断に至るまで一花ちゃんなりに悩んだりしたんだろう。本当にロードが好きならこの決断を下すのも辛かっただろうからな。


「いつか聞かせてくれよ。一花ちゃんがロード乗ってた時の話」


彼女からの返事はすぐには返ってこなかった。オレの言葉に一拍ほど置いてから、ようやく一花ちゃんは「はい、今度機会があれば」とどこか困ったようにはにかんだ。




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