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ここ数日間、ペダルに力が入らない。何度坂を登っても叩き出すタイムは最悪でイラつきさえ覚える。機材はこの間メンテしたばかりだし何の問題はない、道のコンディションもいつも通り。加えて気候も陽が落ちると冷えてはくるが練習で熱った体には丁度いいくらいだ。

問題はオレ自身にあるのは、わかっている。

今度のクリテが終わったらちょいちょい顔を出してくれていた先輩達は受験に専念する為に完全に部を引退してその後は一、二年だけの練習になる。
その中でオレが一番弱いのは明白だ。部を引っ張っていかなきゃいけないキャプテンのオレが、この中で一番練習の足を引っ張っている。だから少しでも多く練習して実力を付けないとならない…だから今日も遅くまで残って何度も裏門坂を登った。
なのに結果は速くなるどころかどんどん調子悪くなる始末で丁度今叩き出したタイムも今日一番最悪なそれだ。マジで不甲斐ねぇ。


「…くそっ」


自己嫌悪からついそんな言葉を漏らして奥歯を噛み締めた。数日前まであった口内の痛みはもうすっかり消えている。

ここ数日の不調…その原因もわかっている。

間違いなく、一花ちゃんとの事が原因だ。
彼女が悪いなんて事は絶対にない。むしろ悪いのはオレで、一花ちゃんに酷い事を言ってしまった罪悪感と自己嫌悪のせい。オレが自分から突き放したくせに調子が出ないってマジでなんなんだよ、勝手すぎるだろうがよ。


「あー…やめだやめだ!」


ついデカい独り言を漏らして空を仰ぐともう星が幾つも瞬いていた。少し前なら「綺麗な星空だな」なんて癒されたりしていたけど、今は何だか虚しくなってくる。
もうこんなに星が出てるって事はかなりいい時間なんだろうと思いながらサイコンで時間を確認すると、いつもならもう帰り支度を整えている頃で焦る。さすがにもうオレと同じく居残り練習をしていた青八木も先に帰っちまっているかもしれない。
急いでペダルを漕いで部室前まで戻ると、まだラックには青八木のロードがあった。オレもその隣に愛車のサドルを引っ掛けてから、練習で草臥れた後はいつもより重たく感じる部室の扉を開けた。


「…お疲れ」


中にはもう既に制服に着替えた青八木がベンチに座っていた。どうやらもう活動日誌も書き終えているようで余計に焦る。


「わり、待っててくれたのか。すぐ着替えるわ」


その前に汗を拭こうとタオルの在処を探す。こうして自分でタオルを用意するのなんて久々だ。二年になってからはマネージャーが入部してくれて、彼女達が練習後すぐ使えるようにと用意してくれていたから……


『お疲れ様です、手嶋さん!』


いつも練習を終えて戻ってくるとすぐに駆け寄ってきてくれて、フワフワのタオルとよく冷えたボトルを手渡してくれていた一花ちゃんの眩しいくらいの笑顔と弾むような明るい声が脳裏に浮かぶ。
全く重症にも程があると鼻で笑っちまいそうになる。こうやって一花ちゃんの姿を頭に浮かべるのは何度目だよ……もう数えるのをやめた位だ。

だけど……きっとこうするしかなかったんだ。

今はスッゲー苦しいけど、多分時間が解決してくれるだろう。今は一花ちゃんも周りに心配かけまいと気丈にしているけど、強い彼女のことだからきっとオレの事なんかすぐに忘れて、以前のように心から笑ってくれると信じているし…オレも、それなりに時間はかかりそうだけどいずれ一花ちゃんとのこの距離感が当たり前になって、部活に青春を捧げるんだろう。少し、いや…かなり、寂しいけどな。


「純太、これ」


いつの間にか隣にいた青八木の両手には白いタオルとボトルがあった。そういえばこの数日の居残り練習の補給は青八木がこうしてオレの分のタオルとボトルまで用意してくれている。居残り練習を始める時と途中のインターバル、それから練習終わりと毎回だ。引っ張り出すだけのタオルはともかく、洗ったり粉を混ぜたりしなきゃいけないボトルをオレの分まで用意してくれるのはマジでありがたい。


「わりぃな、青八木。いつもオレの分まで用意してくれて助かるよ」


青八木の手からタオルとボトルを受け取りながら言う。けど、青八木は「ちがう」と首を小さく横に振った。


「…オレじゃない。オレは純太に渡しているだけだ。用意してない」
「え…?」


青八木じゃないなら誰が──その答えは、オレの頭の中にすぐ浮かんだ。


「……一花、ちゃん?」


こくりと青八木の首が縦に揺れる。
そういえば青八木が渡してくれるタオルはいつもフワフワで顔を埋めたらすげー気持ちいいし、ドリンクもヘトヘトの体にはめちゃくちゃよく沁みて美味かった。一花ちゃんがいつも手渡してくれていたそれらも、そうだった。


「そっ…か。通りでタオルはフワフワだし、ドリンクは美味いと思ったわ…」


胸の痛みに追い打ちをかけられているみたいだ。自分勝手な事ばかり言って距離を置いてしまったのに、それでもオレを手助けしようとしてくれているなんて…彼女の優しさが嬉しい反面……苦しく思う。もちろんそれは一花ちゃんのせいではない。最低な自分への嫌悪感。


「…タオルを柔らかくする洗い方も、疲れた時にいいドリンクの作り方も一生懸命調べていたからな」
「はは…知らなかったわ…」


そんな事、全然知らなかったし気が付きもしなかった。確かに部室にあるタオルはどれも手触りがいいやつばかりだったし、言われてみれば普通の練習の時に飲んでいるドリンクと居残り練習の時のドリンクは味が違う。


「上手くいくまで家のタオルは何枚かダメにされたし、酷い味のドリンクも飲まされた…」
「そっか…色々頑張ってくれてたんだな、一花ちゃん」


大変だったんだと言いたげな青八木の顔を見ていると、その時の光景が目に浮かぶようで青八木には悪いが思わず笑っちまいそうだ。一生懸命なところも、その努力していた事を言わないのも一花ちゃんらしい。
けど、彼女のそんな気遣いや頑張りにオレはずっと気が付いてなかったのかと思うと悔しさが込み上げてくる。


「純太」


俯いてじっと白いタオルを見つめていると、青八木がハッキリとした声でオレを呼ぶ。咄嗟に顔をタオルから青八木に向けるとさっきまでの困った顔から打って変わってオレを射抜く目は真剣で、コイツはこれから一体何をオレに言うつもりなのかと、少しだけ恐怖を覚えた。


「一花と何があったのかは知らないけど…これだけは知っておいて欲しい」


知らない、なんて言ってるけどきっと青八木はオレが一花ちゃんに何をしてしまったのかきっと気が付いているんだろう。一花ちゃんが居残らなくなった理由も聞いてこないし、口ぶりからして一花ちゃんが青八木に話したって事もないんだろう。
一体青八木は何を言うつもりなのかと身構えて、思わずごくりと喉を鳴らした。


「お前が何を言おうと、きっと一花はこの時間のサポートをやめるつもりはない。この場にいなくても、どうにかしてオレ達の力になろうとするはずだ」
「そう……みてーだな…。一花ちゃんもお前に似て頑固だしな」


珍しく長く喋る青八木に少し茶化すように言ってみると不服そうに顔を顰めていた。けどすぐに「今はそんな事どうでもいい」とでも言わんばかりにため息をついてまた真っ直ぐオレを射抜く。
一花ちゃんが青八木に似て頑固だということは理解していたけど、正直今のこの場にいなくてもサポートしてくれるのは予想外だった。っつーか、そんな予想が出来るほど余裕がなかったと言うのが正しいか。


「…正直、オレは一花がここまでマネージャーの仕事に熱心になるとは思っていなかった。入部しても続かないんじゃないかと予想していた」
「はは…予想、大外れだな」


こくりと青八木は頷く。


「ロードをやめてからは、何をやっても長く続かないみたいだった。あんなに楽しそうにしているあいつは、久しぶりに見た」


オレは高校生になってからの明るくて一生懸命な一花ちゃんしか知らない。まだ選手として活動していた中学時代の話は聞いたけど、中学時代の彼女がどんな風に普段を過ごしていたかは知らない。青八木がこんな事を言うって事は、もしかしたら今とは違う面を持っていたんだろうか。


「一花が変わったのは、お前のおかげだ」


青八木の言葉に一瞬息が詰まったのと同時に、秋口の熊本レースの為に泊まった旅館で一花ちゃんがオレに言った言葉が頭の中で再生される。


『手嶋さんがお兄ちゃんと一緒に走ってくれてなければ…私は多分今ここにいませんから』

『2人の走りを見て思い出したんです。ロードレースって見てるだけでもワクワクするって事と、それから……自転車が大好きだったって事』



あの時の一花ちゃんの言葉は今でもよく覚えている。あの時の言葉は本当に嬉しくて、自分の中で彼女の存在が一層大きくなった瞬間だった。

彼女の優しさと明るさにはかなり支えられていたから、一花ちゃんが見ていてくれたから毎日吐きそうになる練習もなんとか踏ん張ってここまでやってこれた。だから…青八木の言う通りオレも一花ちゃんに良い影響を与えられているんだと思うと嬉しいと同時に、一層頑張ろうと思えた。

けど今は、逆にそれが辛い。

オレの中で一花ちゃんの存在がどれだけ大きくなってしまっているのかを思い知らされてしまう。彼女がオレにかけてくれた言葉一つ一つが、力強い励ましが、向けられる笑顔が、オレの原動力の一部だったのだと痛い位に思い知らされている。

一花ちゃんへの気持ちを消し去らなければならないという事はよくわかっている。オレにはやらなくちゃいけない事、考えなくちゃいけないことが山積みでそれ以外の事に気を取られている余裕なんかない事も。なのに、彼女への気持ちを消す事が出来ずにいる。

『一花ちゃんを好きにならなきゃ良かった』……一瞬でもその言葉が頭に過ってしまう。


「……んなことねーよ。それは一花ちゃんが元々強かったからだよ」


オレは彼女に何の影響も与えちゃいない。今一花ちゃんが頑張れているのは元々持っている強さのおかげで、オレは何の関係もない……そう思わなければ、きっとオレは一生彼女への気持ちを消す事が出来ない。



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