プリーズコールマイネーム



◆◆◆◆◆◆


家のキッチンに立って、グツグツという音と白い湯気を立てながら煮立つ鍋の中の料理を混ぜながら頭に浮かぶのは一花ちゃんのこと。
今作っているこの料理は、先日作っていくと約束した一花ちゃんの分の弁当の一部だ。どんな顔して食べてくれるのか…「美味しいです!」ってぱあっと顔を明るくさせて喜んでくれたら嬉しい、そう考えると自然と口元がニヤけてしまう。
いつも気分転換がてらにレシピ本を見ては美味そうだと思った物を作るだけだったけど、誰かの、それも好きな子のために作るのってこんなに楽しい物なのか。

ただ、一つ気になる事がある。
弁当作ろうか、と一花ちゃんに言った時彼女は一度あからさまに嬉しそうな顔をしてた。あれはきっと「お願いします」と即答したかったのだと思う。だけどその言葉がすぐに出てこなかったのはオレの負担になると思って、悩んでいたんだと思う。


(まだ少し距離感あるっつーか、遠慮されてる………よなぁ)


そりゃ付き合い始めてまだ日も浅いし、部活優先ってのもあるし、一花ちゃんは自分よりも他人の事を考える子だ。だからすぐに…とはいかなくても、もう少しオレにして欲しいことを遠慮せずにぶつけて欲しいと思っている。この弁当だって気を遣ってくれていた彼女の先回りをして「作らせて欲しい」って言ったけど、本心だ。オレの作った料理を「美味しい」と言って食べてくれた一花ちゃんのあの時の顔がまた見たいと思ったから。オレも、一花ちゃんの為なら何だってしたいんだ。
その為にはまず、なんとなく感じている彼女との微妙な距離感を縮めたい。その距離感の原因は多分、先輩と後輩っていう変えることの出来ない関係のせいだろう。部活中はその上下関係は大事だと思うけど、それ以外、せめて恋人でいる二人きりの時はその垣根を無くしたい。


(…ちっと強引かもしんねーけど……やってみるか)


よし、と意気込むと同時に鍋の火を止めた。とりあえず今は、一花ちゃんのための弁当作りに集中しよう。






翌日、昼休みになってすぐ自分と一花ちゃんの分の弁当を持って教室を飛び出して彼女の教室へと向かった。いつもの事ながらオレの事を見つけるとすぐに嬉しそうに笑って駆け寄って来てくれる姿が可愛い。今日はいつもより声が弾んでいるし、オレの作る弁当を楽しみにしてくれていたんだろう。まだ弁当を見せてもいないけど、もう既に作ってきて良かったと思う。
早く食べて欲しいと思いながら、この間と同じように食堂に向かってみたけどもう既に人がいっぱいで席を確保するのも一苦労なのは間違いない。私用で使うにはちょっと後ろめたさを感じるけど、今日は部室で食べる事にしていつも日誌を書いたりしている年季の入ったテーブルの前に二人で並んで座った。


「今日はすみません、お弁当作ってもらっちゃって…」
「何言ってんだよ、作るって言ったのはオレなんだぜ?気にしなくていいから」
「でも、かかったお金とかちゃんと払いますから!後で教えてください」


やっぱり遠慮されてる…というか、どこか距離感を感じる。一花ちゃんの言葉もそうだし、向けられる表情も今は嬉しそうというか申し訳なさそうだ。やっぱ、申し訳ないとかそんな事考えずにもっと甘えてきて欲しい。
その為にズルい手を使うけど、許してくれ、一花ちゃん。そう少しの罪悪感を感じながら口を開いた。


「いや、お金なんていらねーよ。オレが作りたかったんだし……けど、二つ頼みがあんだ」
「え…?な、なんでもしますから、なんでも言ってください手嶋さん!」


以前にもこんな事あったけど…なんでもします、は男に言ったらダメだ一花ちゃん。いや、オレだから信頼して言ってくれてるのかもしんねーけど……オレだって男なんだぜ?んな事言われたら一瞬でもそういう考えが過っちまうわけで…オレはそういう事はもっとちゃんと段階を踏んでからにしたいと──じゃなくて!!


「…手嶋さん?どうかしましたか…?」


一花ちゃんが心配そうな顔でオレを見上げていた。無意識っつーのは本当にズルい。「なんでもないよ」となんでもなかったフリをして、ランチバッグの中から弁当を二つ取り出した。一つは自分の物、もう一つはそれよりも一回り大きい一花ちゃん用の弁当。


「……一花」
「はい──って、え!?」
「って…呼んでも、いいか?」


突然呼び捨てにした事に驚いたのか、「えっと」と口籠もりながら視線を泳がせていた。その間にどんどん顔が赤くなっていく。
まず先輩と後輩の垣根を取り払うには、お互いの呼び名を変えるのが早いと考えた。それに何より、「一花」って呼び捨てで呼びたいし…オレも、「純太」って一花ちゃんに呼んで欲しい。


「は、はい…っ!もちろんです!」


恥ずかしそうに戸惑っていた顔は、嬉しそうに笑っていた。一花ちゃん…一花なら、嫌だと言うことは恐らく無いだろうと思っていたけど笑顔で頷いてくれた事に安堵した。


「よかった。実はさ、先輩達とか鳴子とかさ…一花、って呼んでるだろ?あれ、羨ましいって思ってたんだ。付き合ってからは特にさ」


一花との距離を縮めたい、先輩と後輩という関係の垣根を払いたいという理由が一番大きいが……もう一つ、これはもう単なる嫉妬だ。「一花さん」と呼ぶ小野田や杉元、兄貴の青八木はともかく、「一花」と呼び捨てにする先輩や後輩を羨ましく思っていた。思い返せば部内の男で彼女を「一花ちゃん」と呼ぶのはオレだけだったから、それはそれで特別感はあったけど。
本当はもっと早い段階…彼女を好きだと自覚する前から、いずれオレも「一花」と呼ぶつもりでいたけどタイミングを逃してしまったというか、それよりも前に好きになってしまったから出来なかった。オレにとって特別な存在になってしまったから。最初から呼び捨てで呼んでいれば良かったんだろうけど、それが出来なかったのは青八木の妹だったからだ。突然名前で呼び捨てもどうかと思ったし、きっと無意識のうちに特別扱いもしていたんだろう。


「あはは!手嶋さん、そんな事思ってたんですか?」
「んな笑う事ないだろー?いやだってさ、名前呼び捨てって仲良いーって感じするじゃん。だからオレも一花って呼びたいって……とにかく、もう一つの頼みも聞いてくれよ」


一花はまだ面白そうに笑っているけど、うっすらと顔が赤いのは気のせいじゃない。オレが彼女の同級生達に嫉妬していたのが嬉しかったのか…と思うのは自意識過剰か。それよりもとにかく、もう一つの頼みを早く伝えたい。


「そのさ、手嶋さん…っての、やめて欲しいんだ」
「え…?」
「一花…にもさ、名前で呼んで欲しいって事だよ」
「な、名前で……ですか…?」


そ、と頷けば一花の顔はまた赤みを増す。
オレ達の間にある先輩後輩という壁を手っ取り早く取り除くには、お互いの呼び方を変えるのが早いと考えた。それから、単純にオレが名前で呼んで欲しいから。
以前オレの家に来た時、うちの母さんに対してだけど「純太さん」って名前で呼んでくれたのがめちゃくちゃ嬉しかった。あの時は一花が大変な目に遭っていたから不謹慎だと思いつつもまた呼んで欲しいって思っていた。恋人になった今、彼女を「一花」と呼びたいと思っていたのと同じくらい、一花にも「純太」と呼んで欲しいという願いが強くなった。


「わ…わかりました!名前で、呼びます…!」


一花は頬を赤くしつつも真剣な顔をオレに向けている。それから深呼吸を数回繰り返す。どうやらかなり緊張しているみたいだ……そんなに緊張するか?と思ったが考えてみりゃ当然だろう。一花にとってオレはずっと先輩だったんだし、ちゃん付けから呼び捨てに変わっただけのオレと違って苗字から名前…ってなれば、確かにハードルが高い。きっと今、一花の心臓はバクバクと鼓動を早めているんだろう。まるでその鼓動が伝播するようにオレの心臓も段々と鼓動が早くなる。


「…じゅ……純太、さん…!」


まるで絞り出すみたいな小さな声だし、しかも少し上擦っている。直後にはかあっと音が聞こえてきそうな程、顔が耳まで真っ赤になった。そんな必死なほど一生懸命にオレの名前を呼んでくれた一花が可愛すぎて、思わずぷっと笑いを漏らした。


「も、もう!笑わないでくださいよ…!」
「ははっ、いやーワリィ、一花すげー真っ赤だからついな」
「だって……名前で呼ぶの、すごい緊張しちゃって」
「んー…その頑張ってくれたとこワリィんだけどさ…ちょっと違うんだよなぁ」
「えええ…?」


すげー頑張ってくれたのはよくわかるしこれ以上はさすがに意地悪か…とも考えたけど、これじゃあんま変ってねぇし……それに、名前にさん付けで呼ばれ続けるのはオレがこそばゆい。


「オレの事も純太、って呼んで欲しいんだよ」
「い、いやそれは……いくらその、彼氏、でも先輩ですし…」
「だからだよ。部活じゃさすがにダメだけどさ…こうやって二人でいる時くらいは、その先輩とか関係なく一花と一緒にいたいんだ」
「手嶋さん……はい、わかりました」


一花はまた深く深呼吸をして、うるさくなっている心臓を抑えつけるように胸の前でぎゅっと両手を握った。それからまた深呼吸を数回繰り返してから…赤い顔でゆっくりと口を開いた。


「………純太」


あ、やばい。思っていたよりもやばい。矢で胸を打たれたような衝撃だ。
名前で呼んで欲しいと頼んだのは確かにオレ。だけどこんな顔を赤くして、恥ずかしそうにしながら上目遣いで…っつーのはサービスしすぎじゃねーの?あまりにも可愛すぎて、叫びながら机に頭を打ち付けたい衝動に駆られるけど、それをグッと耐える代わりにこっそりと制服のズボンを握り込んだ。


「…うん。一花」
「へへ……純太」
「ん」
「…純太」
「…ん」
「純太」
「ちょ、タンマ!んな連呼しなくていいから…!」


さっきまであんなに恥ずかしそうにしていたのに、今は嬉しそうにオレの名前を呼んでくるから今度はオレが恥ずかしくなってくる。確かにオレが言い出した事だけど……もしこの先ずっとこんな調子だったら、心配になっちまう。オレの心臓が。


「と、とにかく、飯食おうぜ。お口に合えば幸いです…っと」
「やった!てし……純太のお弁当、すっごい楽しみにしてたんです」


一花の前に弁当箱を差し出せば、両手を軽く叩いて「美味しそう!」って本当に嬉しそうな顔をしてくれるから、これだけでも作って良かったと思える。
けど……つい気になってしまう一花の言葉遣い。


「ごめん一花、頼み事もう一つ追加」
「…え?なんですか?」
「その敬語もさ、無しにして欲しいんだ」
「え、ええっと……」


一花は口をつぐんで、視線を逸らす。さすがにいっぺんに頼みすぎたか…と思っていた矢先、再び一花の大きな目がオレに向けられた。


「…うん……慣れるのに時間かかっちゃいそうだけど……頑張るね」
「そんな頑張るもんじゃねーけど…ありがとな、一花」


後頭部に手を回して、ぽんぽんと頭を撫でると幸せそうな笑顔が向けられた。



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