美味しい幸せ時間
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二人でお昼ご飯を食べることになった手嶋さんと私は、ひとまず食堂へ向かった。外は寒いし、さすがに違う学年の教室でご飯を食べる訳にいかない。食堂はいつもお昼休みになってすぐ席の争奪戦が始まるので空いてたらラッキー、ダメ元という心構えだ。
食堂に着くといつもなら生徒達でいっぱいになっているはずが、お昼休みに私が所属している委員会以外にも活動があったおかげか席はまだ余裕で空いていた。これはかなりラッキーだな、なんて手嶋さんと笑い合って、隣同士で席を確保してお弁当を広げた。
「チャリ通、慣れた?」
「いえ…まだなかなか。正門坂があんなにキツイなんて思いませんでしたよ…」
これでも中一の頃の私は、レース出場経験もあるサイクリストだった。だけどレース中事故に遭ってから、以前と同じようにロードに乗ることが出来なくなってしまった。その悔しさからずっとロードバイクに関わることを避けていたのだけど……あるきっかけで自転車部のマネージャーになることを決意して、そしてまたロードバイクに乗る事を決意した。といってももう以前と同じようには走れないので、今は通学で乗っているだけだし、乗り始めてからまだ数日。家から正門坂下までは問題ないのだけど…正門坂はやっぱりまだキツイ。
勾配は大した事ないのだけど、とにかく距離がキツイ。これよりももっとキツイヒルクライムレースに出ていた事だってあるのに、と思うと悔しいし、苦しくなってくる度に「私本当に元クライマーだったの?」と自分を疑ってしまう。
「ははっ、けどすげー頑張ってるじゃん。初日に比べたら走りに余裕出てきてる気がするよ」
「えっ、本当ですか!?」
「ホントホント。いつも見てるからな」
「へへ…自分じゃあんまりわからないですけど、手嶋さんが言うならホントですね」
私がロード通学を始めた初日、私から彼にお願いして正門坂を登る姿を見てもらっていた。その時はそれからの事なんて考えていなかったのだけど、手嶋さんは朝練がある日でも少し早めに学校に来て正門坂を登りきる姿を見守ってくれている。
初日があまりにもキツかったから、「ロード通学は一日置きにしようかな…」なんて考えていたけど、手嶋さんが見守ってくれるのが嬉しくてここ毎日ちゃんとロードで通学している。
「…走りだけじゃなくて応援でも力をくれるなんて、手嶋さんはやっぱりすごいですね」
「いやー…その言葉、そっくりそのまま一花ちゃんに返すよ」
ちょっと照れくさそうに歯を見せて笑う手嶋さんにつられて、同じように笑う。
自分じゃよくわからないけど…きっと手嶋さんがそう言ってくれるなら、そうなんだろうな。彼が私の支えであるように、私も彼の支えになれている事が嬉しい。
「つーか会話、ぜんっぜんカップルぽくねぇな。普通なら今度のデートどこ行くかーとか、そういうこと話すんだろうけど……なんか、ごめ、」
「手嶋さん」
眉を下げて私を見る手嶋さんの顔の前に、スッと手を出して彼の謝罪を遮った。
たしかに、周りにいるカップルらしき人達から「放課後カラオケ行きたい」とか「今週のデートさー」なんて会話が聞こえてくる。そんな中自転車の話をしている私たちはカップルぽくないかもしれない。けど……私は何の不満も無いというか、これがいい。私も自転車は大好きだし、何より自転車のことを楽しそうに話す手嶋さんが大好きだから。
「謝らないで下さい。私は手嶋さんとする自転車の話、大好きですよ!」
「……あー…オレ一花ちゃんのそういうとこ、マジで好き」
手嶋さんはくしゃっと嬉しそうに笑いながら、顔の前にあった私の手をお箸を持っていない左手でぎゅっと握ってくれる。
私の手を包んでくれる手嶋さんのこの手が大好きだ。細いけどいつも頑張っている、頼もしい手。そんな手にこうして優しく触れてもらえる私はなんて幸せなんだろう…そう思いながら私も彼の手を握った。会話は全然カップルぽくはないかもしれないけど、間違いなく今私達はこの食堂で一番イチャついてるカップルだと思う。
照れ臭さとドキドキと早鐘を打ち始める鼓動を感じてつい視線をテーブルに落とすと、目に入るのは手嶋さんのお弁当箱。お肉のおかずをメインに、色とりどりの野菜のおかずも詰められていて美味しそうだ。
そういえば、手嶋さんのお母さんのお料理すごく美味しかったなあ……またいつかご馳走になりたい。そんな事を考えているのが彼に伝わってしまったのか、「どうした?」という声と共に握った手がするりと解けてしまって少しだけ名残惜しい。
「おかず、少し食う?」
「え、いいんですか?やった!じゃあ私のも食べて下さい」
手嶋さんのお母さんのお料理も美味しかったけど、うちのお母さんのお料理も美味しい。手嶋さんにもお母さんの作った物を食べてほしくて、嬉々としてお弁当箱を彼に差し出した。
「お、サンキュ!青八木のおばさんの料理美味いんだよなー!あ、オレのも好きなの取っていいからな」
「ありがとうございます!」
どれにしよう、と悩みつつもやっぱり気になるのはメインのお肉。味付けはトマトソースなのか色合いも綺麗だしすごく美味しそう。けどさすがにメインをもらっちゃうのは……と葛藤していると手嶋さんのぷっと笑う声が聞こえた。
「好きなの取っていいって言ったろ?つーかむしろそれ食ってみてよ」
「いいんですか?じゃあ…いただきます!」
お箸でお肉を掴んで口の中に運ぶとトマトの味が広がる。それだけじゃなくてスパイスとかいろんな味がして、味が深い…っていうのはこういう事を言うのかもしれない。とにかくすごく美味しい。
「美味しい!これすっごく美味しいです!」
「お、マジ?よかったーそれ結構自信作だったんだ」
「…手嶋さんのお母さんの?」
「いんや、それオレが作ったんだよ」
へへ、と少し照れ臭そうに笑う手嶋さんの顔を見ている私は、きっと今驚きすぎてとんでもなく間抜けな顔をしているんだろう。手嶋さんのお母さんのお料理相変わらず美味しいなあ、なんて思いながら食べていたらまさか……手嶋さんが作った物だったなんて。
「は、早く言ってくださいよぉ…!」
「え!?よ、よくわかんねぇけどごめん…?」
美味しそう、としか考えずに食べたおかずがまさか手嶋さんの手料理だったという驚きと、思いがけず彼の手料理が食べれた事の嬉しさ、それともっと大事に味わって食べたかったっていう気持ちが入り混じってつい手嶋さんを非難するような言葉が口から出てしまった。
「あ…いえ!怒ってるわけじゃなくて…!すみません…」
「いや、いいよ。それよりこれそんなに気に入ってくれたんだ」
「はい!本当に美味しかったです!味が深いというかおしゃれな味がして……もっと食べたいくらいです」
「じゃあさ……今度一花ちゃんの分の弁当、作ろうか?」
「へ…?」
きっと今私は、再び手嶋さんに間抜けな顔を見せているんだろう。もっと食べたいって思ったのは本心だけど、何も考えずに口にした言葉なのにこんな事を言ってくれるなんて。もちろん手嶋さんのお手製弁当食べたいに決まってる。こういうのって彼女が彼氏に言う言葉じゃないの、っていう悔しさも少しだけ頭の中に過るけどそれよりも手嶋さんのお弁当食べたい。美味しいのはもちろんだけど、私のために作ってくれるっていうのが嬉しくて。
だけど、ただでさえ練習で大変なのに手嶋さんの大事な時間を取らせてしまうのは申し訳ない。本当は「お願いします!」と言いたい気持ちをぐっと堪えて彼からの嬉しい申し出を断ろうとした。
「つーか、オレが作りたいんだ。一花ちゃんすげー美味そうに食ってくれたから、また食べて欲しいなってさ」
断ろうと思ったのに…楽しそうな笑顔でこんなことを言われてしまったら、私の頭から断らなくちゃという考えが無くなってしまう。
「手嶋さんがいいなら…ぜひ、お願いします!」
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