迷子のご案内です






どうしよう、ドキドキが止まらない。私にとってはじめてのインターハイ初日、もう間もなくスタート時間になるっていうのに心臓が全然落ち着いてくれないし、暑さから出るのとは違う汗が出てくる。ただでさえ暑くて何もしてなくてもじわじわ汗をかいているのに困った。自分が走るんじゃないのにどうしてこんなに緊張しているの、私はただコースを走るみんなに補給を渡して必死に応援するだけなのに心臓が破裂しそう。とにかく深呼吸だ、深呼吸ーー。


「大丈夫か?一花ちゃん」


総北のテント内の椅子に腰掛けてすぅはぁと深呼吸をしていると、ぽんと私の肩を叩きながら手嶋さんが心配そうな顔を向けていた。しかもちょっと距離が近くて余計に心臓がどきっと反応する。正直大丈夫じゃないです、手嶋さん…。


「なんかすごい緊張しちゃって……走る訳でもないのに」


そう言うと手嶋さんはふはっと笑いをこぼした。すごいなぁ、私と違って彼は余裕そうだ。これが2年目の余裕ってやつなのかな。私なんてボトル渡すの失敗したらどうしようってそればかりが頭の中をずっとぐるぐるしている。失敗してしまったらタイムロスさせてしまうし、下手したら次のポイントまでボトルも補給食も無いなんて状況を作ってしまう。ちゃんとやらなくちゃ…と思えば思うほど、指先が震える。


「初めてのインハイだもんな。オレも去年はすっげー緊張したし…ぶっちゃけ、今もな」
「そうなんですか?」


なんだか意外だ。手嶋さんは2年目だし、それになんでも器用にこなしていつも落ち着いているイメージがある。それにインハイ前の練習でもサポートの私たちに色々教えてくれていたから、きっと緊張なんてしないんだろうなって思っていた。


「ボトル渡すの失敗したらやべーなーとか考えてるよ。ほら、小野田とか手震えてそうだし、オレらが上手く渡してやんねぇとだなってさ」
「そうなんですよ、だからこそ余計緊張しちゃって……」


わひゃー!って慌ててボトルを落としてしまう小野田くんが容易く想像できちゃうから怖い。小野田くんにとってはこれが初めて出場するレースだし…サポート側が上手くやってあげなくちゃって思ってしまう。でも手嶋さんも私と同じ事で緊張していたなんて、ちょっとだけ安心した気がする。


「一花ちゃんなら大丈夫だよ!それになんかあってもオレと青八木がカバーすっからさ!」


サポートも支え合わなきゃな!と手嶋さんはにかっと笑う。手嶋さんの言葉には本当にいつも励まされているけど、今日は一層安心する。そうだよ、サポートだって一人でやる訳じゃないんだからもっと楽に考えていても大丈夫だよね。


「ありがとうございます、手嶋さん。少し緊張が取れた気がします」
「なら良かった。とにかく今日はしっかり応援しような!」
「はいっ!」


私が返事をした直後、会場内にスタート20分前のアナウンスが響く。もうあと20分後にはインターハイが始まってしまうんだ…と思うと手嶋さんのおかげで少し落ち着いたはずの鼓動がまた逸り始める。それと緊張のせいかお手洗いにも行きたくなって来た。


「私今のうちにトイレ済ませて来ます」
「おう。オレは先に車行ってるよ」


椅子から立ち上がりながら手嶋さんにまた後で、と告げて一足先にテントを出てお手洗いを目指した。会場に着いてテントよりも真っ先にお手洗いに行っていたので場所はもうちゃんと把握済み。総北のテントから小走りして1分も満たない程近くにある女子トイレは幸いにも誰もいなくて、全然余裕でお手洗いを済ます事が出来た。時間はまだ余裕あるし、ちょっとゆっくり歩いて向かっても大丈夫そう。
手嶋さんと話して緊張が少しだけ和らいだとはいえ、まだ動悸がする。この緊張をもう少し解したいし、少し遠回りしてみようかな。
総北のテントから来た道とは逆方向に足を進めて、辺りを見回してみるとピリピリとした空気を放つ他校の選手、それとは対照的に楽しみだと声を弾ませる観戦に来た人達はいつもレース会場では当たり前の光景だけど、やっぱり一年に一度の大舞台。当然その圧も人数も違う。周りから期待を向けられる選手は張り詰めているし、サポーターはこれから始まるレースをまだかまだかと興奮気味に待ち侘びている。これじゃ緊張が和らぐどころか逆効果だったなあ……早くバンに向かえば良かったなぁと後悔し始めた時だった。


「しーちゃぁん!迷ったぁ!!」


走ってバンに向かおうかと思ったその時、女の子の大きい声が耳に飛び込んできた。半泣きになりながら電話をしている私と歳が近そうなその子は「ここどこー!」とか「場所わかんないよー!」って耳にスマホを当てながら嘆いている。迷っちゃったのかな…?とにかくすごく困っているのは一目瞭然だった。周りにはレース前でピリピリした雰囲気の選手と興奮しているサポーターしかいないし、声をかけた方がいいかな?でも電話しているみたいだし、大丈夫かなと思ってその子の横を通り過ぎようとした。


「え、しーちゃん!?ちょっと切らないでよ!しーちゃんってば!」


耳に当てていたスマホを持つ手が絶望したように力なくだらりと下された。ちらりと見えたその子の顔はもう今にも泣き出しそうで……どうやら、通話していた人に見放されてしまったみたいだ。


「あの、どうかしたんですか…?」


かなり深刻そうに困っているみたいだったからつい足が彼女の方へ向いて、気が付けば声をかけてしまった。でも私に向けられた女の子の黒目がちな目がじわじわと潤みはじめきて……え、これじゃあ私泣かせちゃったみたいじゃん…!どうしようとにかく謝らなくちゃと「ごめんなさい!」って言おうとしたけれど、それよりも早くその子が「あの!」と発した。


「ト、トイレどこですか!?」
「え、トイレですか…?」


もっと深刻な理由で困っているのかと思っていたから、ちょっとだけ拍子抜けしてつい目をパチクリさせた。だけどよかった、泣かせてしまった訳でもないし、お手洗いの案内なら私でも力になれそう。声かけておいて私じゃどうしようもない事だったらすごく申し訳なかったし……。


「すぐそこなので、よかったら案内しますよ」
「お、お願いします…!」
「はいっ」


こっちです、と私が一歩先を歩く形でさっき入ったお手洗いに向かう。彼女はインターハイの会場が物珍しいのかキョロキョロと辺りを見回しているし、とりあえず切羽詰まってるような感じは無いから普通の速さで問題なさそうかな…?


「インターハイ、初めてなんですか?」
「は、はい…!っていうか自転車のレース観に来るのも初めてです!」


彼女の格好はいつもレース会場で見かける女性ライダーみたいなウェア姿でもなければ、どこかの学校のマネージャーのような服装でもない。どちらかというといつも今泉くんに黄色い声を向けて応援している女の子達の格好に近い気がする。だからロードレースはあまり見た事ないのかなって予想が的中した。それならこの会場の空気も新鮮というか、物珍しいだろうなぁ…。


「そうなんですね!誰かファンの選手がいるとかですか?」
「ファン…?いえ!違います!」


もしかしたら今泉くんか箱学の東堂さんのファンの子かな、同年代くらいの女の子に人気があるし…と思って訊いてみたけど、きっぱりと否定されてしまった。やっぱり格好だけで判断するのは良くなかったなぁと思ってすぐに「勘違いですね」と謝ろうとした。


「好きな人です!!」
「好きな人、ですか…?」
「はい!すっごくカッコよくて優しい人なんです!!」


彼女は目をそれはもう眩しいほどにキラキラさせて、はっきりとした声で言った。
それからその好きな人は初めてインターハイに出場が決まった事、ずっと練習が大変そうだった事とか、もうとにかくすっごいかっこいいんです!って周りにハートが飛んでいるような勢いで私に教えて…もとい、熱弁してくれた。本当にその人が大好きなんだって事がひしひしと伝わってきて、微笑ましくて思わずにやにやしてしまう。こんなにまっすぐ一生懸命に好きになってもらえるなんて、きっとそのお相手さんは幸せ者だなぁ。


「初めてのインターハイなら、それは応援しに行かなきゃですね!」
「えへへ、実はうちわとかも持ってきてるんですよ〜!全力で応援しようと思って!」
「え、うちわ…ですか?」
「うちわです!!」


うちわって…あれかな、今泉くんのファンの子達が持ってたみたいな、顔写真とか文字入りのやつ…?ちょっと見てみたかったけど残念ながら今は持っていないみたい。うちわかぁ、私も来年手嶋さんとお兄ちゃんが走る時作ってみようかな!

……いや、お兄ちゃんにめちゃくちゃ怒られそう。きっと手嶋さんも苦笑いして困りそうだし、何よりサポートの邪魔になってしまうかも。うん、私はダメだ。
それにしてもここまで熱心にその人を応援するなんて、彼女はその人の事が大好きなんだなって改めて思う。こんなに大好きな人がいるなんて……なんだかちょっとシンパシーを感じる。

けど、ちょっとだけ彼女が羨ましいな。きっとその人の1番カッコいい姿を見れるし、思いっきり名前を叫んで応援できるなんて、すごい幸せだろうな。なんて考えていたら思わず涙が出そうになる。だめだめ!今年は一緒にサポート頑張るんだって決めたのに!


「あの…どうかしましたか?」
「いえ、何でもないです!」


いけない。初めて会った人にまで指摘されてしまう程顔に出てたなんて。これからチームメイトを信じて応援しなくちゃいけないのに、こんな顔してちゃいけないと思って少し無理矢理笑顔を作った。

話しながら歩いているうちに、目的地の女子トイレに到着した。彼女を見送ったら私もこのまま遠回りしないですぐにバンに向かおう。どこかの学校の彼が大好き!っていうオーラを発する彼女と話していたせいか、早く手嶋さんの顔が見たくなっちゃったし……。


「ここですよ」
「本当に助かりました…!私1人だったらずーっと迷ってました!」


ありがとうございます!と彼女はぺこっと頭を大袈裟すぎる位に下げた。ただ案内しただけでこんなに感謝されるなんて、恥ずかしいけどなんだか嬉しいな。


「いえ!そんな!お役に立てて何よりです!」


そういえば、いつの間にか緊張でドキドキしていた心臓が落ち着いている。きっとこの明るくてまるで向日葵みたいな彼女と話していたお陰かもしれない。大好きな人を応援するのが楽しみ!っていうのを言葉の端々から感じていたし、私もこれからチームメイトを精一杯応援して、全力でサポートしなくちゃっていう気持ちを一層強めることができた気がする。


「こちらこそ、ありがとうございました!」
「へ……?」
「…いえ、何でも!それじゃあ私向こうに行くので、失礼しますね」


もう一度ぺこりと頭を下げてくれた彼女に手を振って、みんなが待つ寒咲さんのバンに向かって脚を速めた。まだ時間は多少あるけど早くチームメイトの元へ行って気持ちを高めたかったっていうのと、早く手嶋さんに会いたくて。なんて、こんな浮ついた気持ちでいたらダメだな!気を引き締めなきゃ!

それにしても……彼女の好きな人って一体誰だったんだろう?優しい人って言ってたからきっと今泉くんではないだろうな。うん。





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