唐揚げは全てを知っていた





荒北靖友とは大恋愛だったんだと思う。

彼とは高校3年の時、靖友が所属していた自転車部のインターハイが終わって秋になる頃に付き合い始めた。
あんな元ヤン、どこがいいの?とは当時よく言われたものだ。怒鳴るしガサツだし、目つき悪いし…って。けどそんな所も含めて、本当は優しくて誰よりも真っ直ぐな彼が私は大好きだった。周りになんて言われようが関係ないと思うくらいに私は靖友に夢中だった。
だから大学も彼と同じ洋南大学を志望して、必死に勉強して、学部は違うものの晴れて靖友と同じ大学に入る事が出来た。

寮生活だった高校の時とは違ってお互いアパートに一人暮らし。これからは気兼ねなく会いに行けるなんて喜んでいたのも今となっては懐かしい。
殆ど半同棲状態だった。部活で忙しい靖友の為に毎晩栄養のある手料理を作りに行って、一緒に夕飯を食べて、一緒のベッドで寝て朝を迎えて靖友と大学へ行く。1週間の殆どはそうやって過ごしていたな。
こんなに一緒にいて靖友は嫌じゃないのかな、と不安になることもあって、彼に漏らしたこともあったっけ。その時は「何言ってんだバァカ!」と怒鳴った後、私から目を逸らして照れ臭そうに「帰ってきてオメーの作るメシの匂いがすっと、なんか…ホッとすんだヨ」とボソリと呟いてくれた事は、今となっては甘酸っぱい記憶だ。あの時は本当に嬉しかったなあ。


お互いに大好きだったはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。



「…ご飯、作っておいたから。じゃあね」
「おー」


大学に入学してから数年。相変わらず私たちはまだ恋人同士でいる。…恋人同士、のはずだ。
以前と同じく大学終わりに彼の家へ行って晩御飯を作ってはいるけど、今はもう週に1回程度になってしまった。以前は自分のアパートに帰ることの方が少なかったのに。
しかも今は以前のように一緒に食べることもなければ、当然そのまま泊まって行くこともない。靖友のアパートで作った料理を少し持ち帰って、自分のアパートに帰って一人で食べる。そんな生活をするようになってもうどれくらいだろう。
上着を羽織って、靴を履いて玄関のドアを開けるけど靖友はその間ベッドにもたれて床に座り込んでスマホをいじったまま、一度も私を見てくれていない。…前は帰る時絶対駅まで送ってくれていたのに。

…私と靖友の関係は、もうすっかり冷え切っていた。

あんなに靖友の事が大好きだったはずなのに、どうしてこうなってしまったのか…お互い些細な不満が溜まりすぎたんだろう、私達は一緒にいすぎたんだと思う。
以前は「名前は本当に荒北が好きだよね」なんて周りから言われていたのに、今では「彼氏がいる」と言うと驚かれるほど。
もう靖友に愛情が無いのかと聞かれるとそれはわからない。けど別れて新しい彼氏を作る事にまだ躊躇いがあるから、少しはまだ彼に対して愛情があるのかもしれない。


そんな私に、ある日友人から合コンの誘いがかかった。


「今度の合コン、本当にダメ?」
「うん…一応彼氏いるしさ」
「彼氏って…もう冷めきってるんでしょ?」


食い気味になっている友人に少しうざったさを感じつつも「そうだけど」と返す。
今目の前にいる彼女は数日前から私を合コンに誘い続けている。あと1人どうしてもメンバーが見つからないのだとか。ダメだって言ってんじゃん、諦めてよ、しつこいんだよ、という言葉をオブラートに包んで言っても根気強く私を誘ってくるその根性は尊敬するけど…。


「いい加減さ、見切りつけなよ。まだ若いんだから次行きなって次!」
「…うん」


そんな事は分かっている。このままズルズル関係を続けていたって私にとっても靖友にとっても、いい事なんてない事くらい。なのに踏ん切りが付かないのはきっとまだ靖友に未練があるからなんだろうって事も。


「ほかにいい人いれば付くんじゃないの?踏ん切り」


私の心を読んだのか、コイツ。
彼女の言う事は最もだ。靖友以上にいいと思える人がいれば、きっと決心が付くんだろう。
はあ、と深いため息をついて私はお手上げというように両手を肩の高さまで上げた。


「わかった。行くよ、合コン」
「マジ!?わー!よかったー!ありがとー!!」


…靖友よりいい人がいればいいな、そんな期待はもちろんあった。けどそれ以上に、合コンに行くと言った時の靖友の反応を見たくなった。彼女には行くとは言ったけど、もしも靖友が怒ったら申し訳ないけどすぐに断るつもりだ。
どうか私を叱ってね、靖友。そう願いながら彼女に「後で詳細よろしく」と告げた。






「…今度の日曜、合コン行くことになった」
「…ア?」


合コン当日を週末に控えた平日。私は1週間ぶりに靖友のアパートに行って、いつも通りご飯を作って、自分の食べる分をタッパーに詰めて帰り支度をしていた。
コートを羽織りながら合コンに行く事を告げると、ゲームでもしているのかスマホを見て今まで私を殆ど見てくれなかった靖友の視線が漸くこちらに向いて、じっと私を見たまま数秒黙り込んでいた。
「ざけんな」「行かせるワケねーだろ」って怒ってくれるかな…そんな期待で鼓動が逸る。


「……アッソ、勝手にすればァ」


そしてまた、靖友の視線はは手元のスマホに奪われる。
──ぷつん。頭の中でそんな音が聞こえた気がした。足元が崩れて落ちて行くような絶望感だった。
…私と靖友の関係は、もうとっくに終わっていたんだ。私だけがきっと靖友の気持ちはまだ自分に向いていると期待していた、彼にとってもう私は不要な存在なんだと、そう思わずにはいられなかった。じわりと滲む目を隠すように靖友に背を向けて足速に玄関へ向かって、無造作に脱いでそのままの靴を履いてドアノブに手を掛けた。


「………もう別れた方がいいね、私達」


吐き捨てるように言った言葉は、自分の声なのにぞわりとするような低いトーンだった。自分で言ったくせに靖友からの返事を聞きたくなくて、さっさと扉の外へ出てアパートの廊下を駆け抜けた。

靖友なら止めてくれる、そう勝手に期待していたのは私だ。止めて欲しいなら素直に「そこは止めてよ!」と言えばいい、もっと言えば本当は合コンなんて乗り気じゃないんだから行かなきゃいい、私は勝手で面倒くさい女だ。そう頭では分かっているのに涙が止まらない。もう頭の中もメイクした顔もぐちゃぐちゃだ。
けど、少しは止めて欲しかった、行ってほしくないっていう素振りだけでも見せて欲しかった。そしたらきっとまた靖友と恋人として上手くやっていけるんじゃないかって、そんな気がしていた。

もう嫌だ、合コンに行くのを止めてくれない靖友もだし、そんな彼に期待していた私も、崩れそうな靖友との関係を、もう一度やり直したいと素直に言えない自分も。
でももうきっと終わってしまった。私が終わらせてしまった。靖友は今どんな気持ちだろう、きっと面倒くさい女と離れられたと精々しているはずだ。

はぁ、ほんっと、嫌になる。

こうなったらもうとことん合コンを楽しんでやる、いい男がいたら絶対に捕まえてやるんだから!!



それから数日後、合コン当日を迎えた。誘ってきた友人は突然やたら乗り気になっていた私にとても喜んでいた。「やっと踏ん切りついたんだね!」って。踏ん切りどころかもう終わったんだけどね。
彼女が今日声かけた女の子達と洒落たイタリアンの店に入って、通された席で待っていた男達はなかなかのイケメン揃いでやっぱ来てよかった!なんて心の中でガッツポーズをした。

最初は緊張していた彼等との会話もお酒の力を借りて盛り上がって、気付けばそれぞれ目当てのお相手と話し込んでいた。私もそのうちの1人で、なんと一番気になっていた人から隣に座ってきてくれた。多分、というか確実にこの人一番カッコいい。他に狙ってる子がいないなんて奇跡なんじゃないだろうか。目つきは優しいし瞳はキラキラしてるし、キッツイ目つきで目のちっちゃい靖友なんかとは大違いだ。


「彼氏と別れたんだって?」
「別れたというか…まあ、うん」


カラン、とグラスの氷を揺らしながら私の顔を微かに覗き込むようにして優しい口調で話す彼に、思わずクラッとしそうだ。靖友のいつも不機嫌そうな口調とは全然違う。
正式には別れた…とは言えないのかもしれないけど。一方的に言い放って逃げるようにして靖友の家を飛び出してきてしまったし…あの後靖友は何を思っていたのかな。面倒な女が居なくなって精々してたんだろうな。あー考えただけでもイライラする!今はこのイケメンくんに癒されよう。


「もったいない事したな、そいつ。俺だったら名前ちゃんみたいな可愛い子、絶対離さないのに」
「あはは、多分アイツ勿体ないとも思ってないだろうなあ」


イケメンってずるいな、こんな歯が浮くようなセリフも顔が良ければ似合ってしまうんだから。お世辞や建前なのかもしれないけど、わざわざ私の隣に来てそんな事言うなんてこれはもう脈アリなんじゃなかろうか。


「色々愚痴とかあるんじゃない?俺でよかったら聞かせてよ」


初めて会った人に、それも合コンの場でいいのかななんて躊躇ったけどぽつぽつと話し始めたら「大変だったんだね」とか優しく相槌を打って真摯に聞いてくれるもんだから止まらなくなってしまった。言葉遣いは荒いし、めんどくせェが口癖だし、謝る時はテキトーだし、食べた皿はそのまま、脱いだ服も脱ぎっぱなしだし……などなど愚痴れば愚痴るほど、どうして私はあんな男に御執心していたんだと自分を疑ってしまう。恋は盲目、とはよく言った物だ。


「ごめんね。いっぱい愚痴っちゃって…」
「いいよいいよ。名前ちゃん、よくそんな男と付き合ってたね。優しいんだなあ…とにかく今は飲もう?ね?」
「うん…!」


彼から手渡されたグラスを受け取って、ぐいっと一気に喉に流し込んだ。…そういえば、いつの間に注文していたんだろう。渡されて反射的に飲んでしまったけど……こんな優しい人だもん。まさかよく聞く薬が入ってる…なんて事はないと信じたい。


「いいねえ、いい飲みっぷりだ!」
「飲んでなきゃやってらんないよ、もう」


それからお酒を流し込んで彼に愚痴ったり、趣味とか好きな物の話をしたりして暫く経った頃だった。なんだか頭がぼーっとし始めて、うまく働かなくなってきた。ちょっと飲み過ぎちゃったのかな、ペースが早すぎたんだろうか。


「名前ちゃーん、大丈夫ー?」
「ん……」


肩をゆさゆさと揺する彼に「平気平気」と返したいところだけど頭に靄がかかったみたいにぼんやりして言葉すら上手く口に出来ない。やっちゃったなあ、ハイペースで飲み過ぎちゃったかな……けど酔ってるとはなんだか違うような違和感を感じる。とにかく、ものすごく眠い。多分ちゃんと立つ事すらままならないだろう。


「ごめーん、名前ちゃん飲みすぎちゃったみたい。俺送ってくから抜けるねー」


みんなの声が聞こえるけど何て言ってるのか言葉を理解できないしみんなに何も言えないまま、「歩ける?」って彼に肩を支えられて椅子からフラフラと立ち上がって、今にも意識が飛びそうだけど、こんな所で倒れるわけにはいかないとどうにか意識をギリギリの所で保ちながらも彼にリードされる方向へ足を動かした。


「名前ちゃん平気?すぐタクシー呼ぶからね」


暖房の効いた店内から出たんだろうか、体がひんやりする。そんな事すらもちゃんも理解できなくなっちゃうなんて、やっぱり変だ。頭の中にエマージェンシーを知らせるサイレンのような物が響いているけど、こんな朦朧としてちゃ彼を突き返す事も出来ない。
スマホでどこかに電話している彼を見上げながら、警鐘を鳴らす私の本能とは反対に「困ったなあ」なんて呑気な言葉しか浮かんでこない。


「おー、女捕まえた。今から連れてくからよろしくー。え?今日のは結構いい女だよ。いやクソチョロかったわ、ちょっと優しくしたらすーぐ信用しちゃったよ」


彼が電話しているのはタクシー会社なんかじゃ無い事は今のこんな状態でも分かる。これは確実にヤバいやつだ…こんなに朦朧としていてもヤバいヤバいと警鐘を鳴らし続けるんだから防衛本能ってすごいなって思う。だけど今の私は意識を保つのが精一杯でどうする事も出来ない。彼から手渡されたあの時のグラス。あれに何か入れられていたんだ。本当に馬鹿だな、私……どうして受け取って飲んでしまったんだろう。やっぱり合コンなんてやめておけばよかった。こんな当てつけみたいな事しないで、例え喧嘩になっても靖友とちゃんと話をすればよかった。

これはきっと、私への罰だ。自分勝手な私への罰。


(…ごめんね、靖友……)


朦朧とした頭に浮かんだのは何に対しての謝罪なのか、私にもわからない。だらだらと関係を続けていた事なのか、一方的に別れようと言って出てきてしまった事なのか、他の男につけ込まれてしまった自分の浅はかさなのか…いや、全部だ。全部彼に謝りたい。

もしもこの場に靖友がいたら、助けてくれただろうか。…助けて欲しい、罰だとしても嫌だ、靖友以外の人に触られるなんて。
どうして今なんだろう…やっぱり私は靖友じゃないと嫌だって、どうして今気が付いたんだろう。もう、遅いのに。


「…オイ、テメェ…ソイツのことどうする気だ」


意識が切れる直前、今一番側にいて欲しいと願った声を聞いた気がした。




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