迷宮T
【ハートの城】
「ああ、アリス!僕のアリス!どうして逃げるのですか?!」
「あんたが追いかけてくるからよ!」
「照れなくてもいいんですよ!さあ仲良く愛し合いましょう!」
「断固お断りよ!」
アリスがでんぱな男から逃げ回っているのは、ハートの城の薔薇の迷路の中だった。
噎せ返るような薔薇の甘い香りが辺りに広がっており、迷い込んだ人を惑わせるつもりなのかもしれない。もちろん薔薇にそんな真意は無いのだけれど。
「アリス!どこですかアリス!」
少し離れたところから男の声がする。
「これじゃあ何時までたってもビバルディのところに....きゃっ!」
迷路の角を曲がろうとして、アリスは誰かにぶつかったらしい。後ろに倒れそうになったのを相手が手を引いてくれたおかげで、なんとか倒れずにすんだ。
「大丈夫ですか、アリア」
「!名前! 」
手を引いてくれたのは運び屋だった。
「女性がスカートで走るなんて危険ですよ?」
「そんなこと分かってる!でも、」
「アリス!アリス!こんなところにいたのですね!」
アリスがぎょっとして振り返れば、うさぎ耳を生やし、眼鏡をかけた知的な印象の男が、両手を広げてこちらに向かって走ってくるところだった。
彼はペーター=ホワイト。ああ見えてこの城の宰相だ。
「ピーターさん?」
ペーターはアリスの隣に並んでいた運び屋を見て、ぴたりと動きを止めた。そして、
「〜〜〜〜〜っ、名前ーーー!!」
更に加速して二人に迫ってきた。
「っ!」
その時、アリスはついいつもの癖で反射的にペーターを殴ってしまった。弧を描いて見事に吹き飛ばされていく。運び屋はそんな彼女に驚いたのか、ポカーンとした表情のまま眺めている。
「ああ、アリス!何て素敵な愛の鞭!」
しかしそんなことでめげないのがペーターである。すぐに起き上がり、アリスに抱きついた。
「大丈夫ですか、ピーターさん....ほっぺ腫れてますよ?」
そっとハンカチを当てると、ペーターはがっしりとその手を掴み、ぶんぶんと上下に振る。
「ああ、名前!名前!会いたかったですよ!」
「はい。俺もですよ、ピーターさん」
「アリスに名前!ああなんて素敵な組み合わせ....幸せで倒れて....」
「いいわよ。そのまま倒れても」
アリスの冷たい一言にも、喜びに身体をくねらせる。どこからどう見ても変人である。
「それじゃあ俺はすぐに仕事に向かいますから。またお時間があるときに」
「っ!ちょっ....!」
「名前!アリス!」
運び屋はアリスを抱き抱えると、迷路を作り上げている薔薇の壁に跳躍する。白ウサギが何かを叫んでいるが無視を決め込むことにしたらしい。運び屋は振り返らなかった。
「こんなところに登ってたらビバルディに怒られちゃうわ!」
「どうしてですか?壊してもいないのに?」
「え?」
彼が走ったあとには綺麗な茨が続いており、花を踏みつぶすこともしていない。
「迷路を辿っていたら遅くなってしまいますし、それにアリアも女王陛下とお会いしたかったんですよね?」
「え、ええ....」
「俺も女王陛下に用がありますから、ついでに行きましょう」
「ありがとう」
「どういたしまして」
運び屋がニッコリと笑った。
「....あなた、意外と力持ちなのね」
「運び屋ですから」
「でも全部トランプにしまってるじゃない」
「あ....それもそうですね」
今更気がついたのか、なるほど、なるほど、と一人で納得している。
「それになんだか顔色が悪いわ。ナイトメアよりもね」
「困りましたね....先ほどグレアさんにも同じ事言われてきたばかりで....」
運び屋は困ったように眉尻を下げた。
「グレア?」
「ほら、クローバーの塔のライトメアさんの補佐官....」
「....グレイのことね。それにナイトメア」
「はい。....でも俺、吐血したことありませんからね?」
「そうなの?」
「ええ。そんなもの吐き出す前に、そもそも血が足りなくて倒れてしまいまうことがほとんどでして」
「それって、貧血ってことじゃないの!」
「そうです。医学の知識も持ち合わせているなんて、アリアは博識ですね」
「........一般常識よ」
運び屋はこの世界ではましな人間かと思っていたが、彼もどうやら一癖も二癖もあるようだ。
アリスは頭を抱えた。