街V
砂時計がすべて落ちきったのを確認して、運び屋はティーポットへ手を伸ばす。そして宝石のように輝く液体をカップに静かに注いだ。部屋には彼一人しかいないというのに、カップは二つ用意されていた。
「確認せずに淹れたんですが、あなたは珈琲派でしたか?」
「そうだな。だがたまには紅茶もいい」
後ろから伸ばされた腕が、運び屋を掴む前にするりとかわされる。
「せっかく淹れたのに冷めてしまいますよ、ライトメアさん」
振り返れば片眼を眼帯で覆った銀髪の男が立っていた。彼こそがこの塔の領主のナイトメアだ。(人のことは言えないが)顔色が悪いのにパイプを取り出しており、呆れてものも言えない。
「たまにはお前と共に過ごしたいんだ」
「ダメですよ。俺にはエリオットがいますから」
「そうだな」
ナイトメアがゆっくりとした動作で向かいのソファーへ腰掛け、パイプを燻らした。紫煙がゆらゆらと揺れて、ナイトメアの表情を隠す。
「例えそれが虚無の愛だとしても、お前は三月ウサギを愛さなくてはならない。...殺したくても殺せないなんて、とても辛いことだな」
「なんの話をしているのやら、俺には一つも理解できませんね」
乾いた嘲笑ともとれる笑みを浮かべた彼の冷たい視線がナイトメアを射抜く。その笑顔の底には、熱く燃える怒りが渦巻いていることはその目が物語っていた。
「...また逃げ出したんですか?グレアさんが困っていましたよ」
殺気を収めてカップに口をつける。ブラッドの屋敷で飲んだ時ほどではないが、美味しいと思う。やはり茶葉がいいものだからか。
だが目の前の領主にとってはそんなことはどうでもいいのだろう。
「あいつが悪いんだ!塔で一番偉いこの私に休憩もくれないなんて!」
偉そうに胸を反らし、グチグチと自分の部下に対する文句を言っている。
「そろそろ会合が近いですからね。そろそろスピーチの練習をしないと、本番で失敗しますよ」
「お前までそういうことを言うのか!その言葉はもう聞き飽きた!」
「聞き飽きるほど言わせてるあなたが悪いのですよ、ナイトメア様」
地の底から這ってくるような低い声に、ナイトメアの動きが止まる。そしてぜんまい仕掛けの人形のごとく、ぎこちない動きで振り向いた。
そこには鬼の形相で見下すグレイの姿。
「なっ....!グレイ!いつの間に....」
ナイトメアはハッとして、グレイの立つずっと後ろの壁に突き刺さる1枚のトランプを見つけた。そして忌々しいとでもいうように、目の前に座って優雅に紅茶を楽しむなまえ運び屋を睨む。
「....謀ったのは、名前か」
「はい」
「ええ。あなたが大人しく仕事をしてくだされば、悔しい思いもしなくて済んだのですよ」
グレイが手を叩くとバタバタと職員たちが客間に流れ込んできた。ナイトメアは必死に逃げようとしていたが、多勢に無勢。あっという間に取り押さえられてしまった。
「騒々しくてすまない」
「いえ。お二人ともお元気そうで何よりです」
運び屋が手を伸ばすと、壁に刺さっていたトランプが宙に浮き、クルクルと軌道を描きながら伸ばされたその手の中に収まった。それをコートの中にしまいつつ、二枚のトランプを机に置く。
「これ、頼まれていた今度の会合用の資料です。それとグレアさんへの差し入れです」
「ああ、ありがとう。助かった」
「....お仕事、お忙しいのですね」
隈、出来ていますよ。と運び屋が自分の目の下を指さしていった。
「....あまり休む暇もなくてな。最後に休憩を入れたのが確か17時間帯前だったような....」
「それはいけません。会合時にあなたが倒れてしまいます」
「だが...」
「休むことも仕事の一つです。大事な時に倒れてしまっては、ライトメアさんが困ってしまいますよ?」
「...それもそうか」
ふっとグレイが微笑み、運び屋の座るソファーに腰掛けた。そして彼の膝に頭を落とす。
「名前、このまま休ませてくれ」
「はい。...おやすみなさい。いい夢を」
グレイの黒髪を撫でながらニッコリと微笑む。疲れも相当溜まっていたのだろう。グレイはあっという間に眠ってしまった。
「....おやすみなさい」
外の時間帯が夜に変わったことを確かめてから運び屋は再び呟いた。