二年後三月  諦める大学生と諦めない新人騎手《完》

 諸葛誕から白露に、最後のメールが来たのは一週間前だっただろうか。諸葛誕の卒業式の直後は、しつこく連絡をしてしまうかもしれないという諸葛誕の自己申告どおりに、毎日送られてくるメールが白露には鬱陶しく思えることすらあった。実際に、鬱陶しいと返事で伝えたりもした。だが少し頻度が減るだけで、しばらく経てば諸葛誕は毎日のように白露へメールを送ってきた。諸葛誕のメールは簡単な近況報告で始まり、白露を心配する内容が続き、騎手になって真っ先に迎えに行くという言葉でいつも締められていた。一年が経った頃だろうか。受験勉強で忙しいと白露が伝えた頃からだろうか。途端に数日、メールが来なくなるようになった。近況報告では、諸葛誕も資格試験の為に大変だという事が書かれていた。最後のメールでは、諸葛誕が相変わらず必死に努力をしている旨と、白露の受験を心から応援する内容と、騎手になれたらきっと真っ先に迎えに行くという、いつもお決まりの締め言葉があった事だけは覚えている。そしてその後、第一志望の大学に、兄と同じ大学に奨学生として合格したと知らせたメールには全く返事がなかった事も、白露ははっきり覚えている。
 卒業生代表で現生徒会長の鍾会が、演台で挨拶をしている。在校生や卒業生の感極まったすすり声が聞こえてくる中、白露はあくびを噛み殺していた。別に天命館が嫌いなわけでも、学園生活がつまらなかったわけでもない。ただ、思い出される記憶の半分以上は一年生の時の思い出で、さらにその殆どに諸葛誕がいることが気に入らなかった。他に思い出せることのない自分が、白露は情けなくて、悲しくて、悔しくて仕方がなかった。あれだけ慕っていた兄が、白露に何も思い出を残してくれなかった事が。諸葛誕の助けがないと、何も思い出を残せなかった自分が。
 小さな頃から自分は兄と違うのだと、他人が必要ない天才にはなれないと気付いていながら、気付かない振りをしていたのだと意識したくなかった。白露を見守ってくれた兄の友人を、まるで兄の代替品のように思っていた自分を思い出してしまうから。もう彼はいないというのに、自ら強がり、意地を張って、突き放してしまったというのに。
 きっとこの中なら泣いていても目立たないだろう。そう思っても、泣けなかった。せめて、誰にも見られない場所に行きたかった。きっと今なら、隠れてしまえば誰も見つけに来ないから。探してくれる人など、もういないから。式が終った後、皆が思い思いに集合し写真を撮り、最後の会話を楽しむ中、隙間を縫うように足早に駅へ向かう。電車に乗ってしまえば、知らない人しかない。いや、いっそ帰宅して泣いていても誰も気にしない。とにかく、帰ってしまえばいい。そう思い、気が逸ってしまっていた。白露を呼ぶ声に、全く気が付かない程に。
 駆け足で駅に向かう最中、後ろから走りよってきた誰かに腕を掴まれる。普段なら、痴漢や暴漢を警戒して振りほどき逃げたのかもしれない。ただ今の白露は気が立っていた。思わず振り返り、怒鳴ろうとして、絶句した。
 二年前とあまり変わらなかった。でも、少しは背が伸びたのかもしれない。少しは、筋肉が増えた気がする。二年前は卒業生として送られる側だった彼が、慌てた様子で送られた直後の白露の腕を掴み、引き留めていた。
「ま、待ってくれ……白露殿」
「なっ……往来で、人の名前叫ばないでよ!」
 明らかに呼ばれた声より大きな声で、白露が叫んだ。
「遅くなってすまない、約束通り迎えに来た」
 よほど急いで来たのか、毎日綺麗に整えられていたオールバックの髪には乱れがあり、まだ3月だというのに汗をかきながら、諸葛誕がほほえむ。必死に呼吸を調えている様子から、どうやら走ってきたようだと伺えた。
「……いつから、追いかけてきたの?」
「天命館についた時には式が終わっていて、校内の目ぼしい場所を探してから駅に向かったんだが。電車に乗る前に見つけられて良かった」
「……どうして、笑ってるの?」
「やっと、約束を果たして白露殿に会えたのだ。嬉しくて当然だ」
 抱き締めようと腕を伸ばす諸葛誕から、白露
は咄嗟に逃れようとする。だが、体が動かなかった。人目がある往来だからと必死に考える理性とは逆に、心がすでに泣きだしていた。思わず、抱きついてしまっていた。懐かしいぬくもりを感じた途端、心と一緒に体も、泣き出してしまっていた。
「どうか、泣かないでくれないか。あなたを守るために戻ってきたというのに、泣かせてしまっては意味がない」
「無茶言うなぁ、バカぁ!」
「ずっと会いたいと思っていたのは、私だけではなかったのですね?」
 白露が大きく、何度も頷く。
「この数週間、メールが返せなくて本当にすまなかった……。随分と、寂しい思いをさせていたのだな」
 白露が、力強く頷く。
「その、本当に……私で構わないのか?」
 白露が、諸葛誕を抱き締める。
「あの、そろそろ場所を移動しないか? 人が集まってきた……いや、白露殿はもう自宅に帰られた方が良いだろうか?」
 白露は、大きく首を横に振る。
「やだ、帰りたくない……家、帰りたくない。ずっと、公休先輩と一緒にいたい。でも、もう先輩じゃないのかな……公休君、かな?」

 諸葛誕の新居が白露の大学から数駅の場所の、閑静な住宅街にある二人暮らしも可能な1Kマンションと判明するのは、これから数時間後の事だった。


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