十一月 ひねくれ一年生と素直な三年生

校庭に所狭しと並ぶ文化祭の出店の中でも、特に列のできていた料理部の屋台に並び、やっと購入したクッキーを幸せそうに白露が頬ばる。並んでいる時も今も一見無表情に見えるが、その口元はわずかにゆるんでおり、様子を眺める諸葛誕も釣られて口角を上げてしまっていた。
「あれほど並ばずとも、クッキーなら食堂で売っていますが」
 わざわざ大勢の人で溢れかえる校庭で、行列のできた屋台に並ぼうとする白露へ、当初の諸葛誕はそう話した。だが、白露は雰囲気を味わいたいと拗ねながら言葉を返した。そして今、長い行列に並び手に入れた戦利品のクッキーを一心不乱に食べる白露を見ていると、諸葛誕は白露の返答を思いだして、なるほどと納得する。
 一人、考え事をする諸葛誕だったが、白露に声をかけられ我に返る。見れば、クッキーの一枚を諸葛誕へと差し出していた。
 白露が笑顔で差し出すクッキーを諸葛誕が口で迎えに行く。確かにプロのパティシエが焼いたものに比べれば、味に華はないかもしれない。だが、素朴な家庭料理風の手作りの味は先程の言葉を申し訳なく思うほどに美味だった。
「ね、美味しいでしょ?」
 組まれた片腕はクッキーを食べていても強く絡みつき、用意には離れられそうにない。空いた方の腕につけている腕時計を見て、諸葛誕が困ったように眉間のシワを深く刻む。
「白露殿、そろそろ風紀委員の見廻りに戻らねばならないのですが」
 まるで聞こえていないかのような様子で、白露は腕をがっちり絞めつけたままだ。
「白露殿、聞き分けて下さい。そもそも風紀委員会の職務があるからと、私は今回、生徒会の仕事を少な目にしてもらっているんです。文化祭は今日で終わりですが……また今度、休みの日に望まれるだけ、いくらでもお付き合いしますので」
 やっとクッキーを食べる手を止め、白露が諸葛誕を見る。ゆるんでいた口元もしめられ普段の無表情へ戻ったように見えなくもないが、諸葛誕には、あの夏の日のような危うさが感じられて仕方がなかった。
「……何時頃、終わる? 待っててもいい?」
「風紀委員会は今回仕事が多く、また委員会での報告会や打ち上げもありますので……今日は、もうお会いできないかと。後日、この埋め合わせは必ずします。だから、泣かないでいただけますか。どうか、そんな顔をしないで下さい」
 話を聞きながら、白露の表情が見る見る間に曇っていく。白露の表情の変容に諸葛誕が焦る中、心配をかけまいと考えたのか、思い悩んだ顔の白露が考え始め、少しの後に口を開いた。
「……じゃあ、今ここでお別れのキスしてくれたら、委員会に戻ってもいいよ」
 諸葛誕に向き直り、白露が目を瞑る。やっと人前で腕を組むようになったばかりの二人だと言うのに、大勢の人で溢れる文化祭の校庭で、しかも風紀委員長が学校行事の最中に、制服を着た下級生に対して、自主的に口づけをしろと言い出したのだ。このまま時間を浪費しては委員会の仕事に間に合わない、だが文化祭の風紀をよりによって風紀委員長自らが乱すなど言語道断だ、しかし風紀委員としての仕事の為に自らが守ると心に誓った恋人を無下にしてよいのか。諸葛誕が悩み、困り果て、動けず固まる。組まれた腕が、じっとりと汗ばむ。もう肌寒い季節に汗をかくほど焦る諸葛誕の気配に気付いて、白露がどこか寂しげに笑い、目を開いた。
「冗談だよ、冗談。ごめんね、からかって。でも、信じちゃうんだ……こんなお願いまで、信じて、くれるんだ。ありがとう、困らせてごめん。委員会、頑張ってね」
 後ろを向き、白露が何かを言い捨てる。ゆっくり手を振り、歩き去っていく。諸葛誕はその背を追いかける事も出来ず、風紀委員会の詰所へ向かった。
『一緒に過ごせる、最後の行事だったのにな』
 最後に言い捨てた白露の台詞は、諸葛誕にはそう聞こえていた。雑踏に溢れる校庭で、背を見せながら呟いた言葉だ。聞き間違いかもしれない。都合のいい思い違いかもしれない。だが、諸葛誕にはそう聞こえていた。
 
 ***

 気のせいかもしれない。最初の数回はそう思った。気のせいではないかもしれない。幾度目かに、そう思うようになった。やはりまちがいない。何度見てもそう思えた。下校時に改札を行き来する白露は、ずいぶんギリギリで定期入れを出し、急いで定期入れをしまう。転んだりしないかと、諸葛誕が心配になるほどに、何かを焦っているように見えてしまう。共に下校を始めた頃はそのような事はなかったはずだと思い、電車を待つ間、思わず質問してしまった。
「毎回、そんなに慌てては危ないだろう。もっと余裕を持って、早めに出してはどうだ?」
「……別に、一人の時はそうしてるし」
 白露が拗ねたように、唇を尖らせる。
「私が見るときは、いつも改札直前で出しているように見えるが?」
 白露が黙りこんでしまった。不思議に思い、何か理由でもあるのかと諸葛誕が尋ねると、白露は肩を大きく跳ねさせ、明らかな動揺を、焦りを示した。
「べ、別に。何もない、理由なんてない! 定期入れに、見られて困るものなんて、何も入ってないし」
 よほど混乱しているのか、白露は自ら墓穴を掘ってしまう。
「何か定期入れに入れているのか? 落として困るようなものなら、なおさら余裕を持った行動をすべきでは」
 困ったように、拗ねたように、無言で白露が頬を膨らませる。ジト目で諸葛誕を睨む。まるで子供のような反応をする白露に対して、保護者のような顔をした諸葛誕が手を差し出した。
「見られて困るものが入っていないというならば、私に見せてくれ」
 差し出された諸葛誕の手を、白露が戸惑いに染まった瞳で見つめる。だがついに、万事休すとばかりに大きなため息をつき、白露がしぶしぶ定期入れを取り出し、諸葛誕へ渡した。白露の定期入れは折りたたみ式になっており、中面に入っていたのは、現在の三年生が春に修学旅行へ行った際の写真だった。
「お、お兄ちゃんに欲しいって言ったらくれたから……お兄ちゃんの笑顔が良かったから入れているだけだから、先輩とかどうでもいいもん、本当だもん!」
 確かに白露の兄、王基の写真だ。だが、横には諸葛誕が写っており、友達二人ではしゃいでいる写真と言った方が、より正確であろう一枚だった。
「なぜ、あのように焦るほど、この写真を私に見られたくなかったのだ? 私もこの写真は持っているし、気に入っているのだが」
 当然ながら、被写体である諸葛誕はこの写真が撮影された場所も状況も覚えている。このような写真が撮られたことももちろん知っているし、実際に諸葛誕も自宅に同じ写真を、学校行事の思い出として保管していた。
「だ、だって……先輩の写真を持ち歩いているなんて、誤解されたくなかったし。お兄ちゃんの写真だから持ち歩いているだけだから、別に、公休先輩の事なんてどうでも……」
「そうですか、少々残念ですが……白露殿がそう言うのならば」
「ち、違っ……どうでもよくないけど、別に公休先輩の写真だからって持ち歩いてなくて!」
 違う、違うとうわ言のように呟きながら、白露が両手で顔を隠してしまう。手で覆いきれない耳は真っ赤で、諸葛誕はなぜ白露がこのように赤面しているのかわからず、理由がわからないので対処法もわからず、困り果てる。やがて、白露が、虫の飛ぶような声で、消え入りそうになりながら、だが確かに呟いた。
「ごめんなさい、嘘です……。先輩の笑顔が可愛いなって、思って……お兄ちゃんにお願いして、譲ってもらいました……」
 これからはちゃんと余裕を持って、定期入れ出します。泣き出してしまうのではないかと思うような震え声で白露が弱々しく言うと、諸葛誕は素直な白露の反応に慌て、思わず赤面した。
「いや、その……そうか、うむ。これからはあまり、慌てずにすむようにだな……」
 普段の調子を取り戻そうとしているかのように、諸葛誕が風紀委員長の顔を覗かせて話す。だが、定期入れの中身と理由が予想外だったのか、言葉の節々に戸惑いが漂っていた。
「そ、そうだな……その、もし白露殿が欲しいと言うのなら、私が他の写真も持ってこよう。家にあるはずだ。なんなら、修学旅行以外のものもある。だから……もし、良ければ、私にも何かくれないか。難しければ、今度一緒に写真でも……あまり詳しくないのだが、証明写真のようなシールを撮る機械があるのだろう?」
 両手で顔を覆い隠したまま、諸葛誕の言葉に白露が小さく頷く。そして、世俗的な事に疎い諸葛誕の一面を彼らしく思い、小さく笑う。一方の諸葛誕は、まるで小さな子を慰めるように、白露の頭を撫でながらほほえんだ。

 ***

 図書室は飲食禁止だというのに怯える様子もなく、悪びれる様子もなく。白露は諸葛誕を見つけても、机の上においていたクッキーの包みを隠そうとしなかった。
「あ、公休先輩ー。こっちこっち」
 普段と変わらない静かな口調だが、僅かに声を小さくして風紀委員長の恋人を呼ぶ。飲食禁止の図書室だというのに、可愛らしくラッピングされたクッキーを、飲食物を隠そうともせずに。そして案の定、諸葛誕は風紀委員長らしい表情を浮かべて、白露をにらむ。とても、恋人に向ける視線とは思えないような険しさで。
「……図書室は飲食禁止だが?」
 年の割には低く威厳のある諸葛誕の声が白露に刺さる。だが白露は意に介した様子もなく、首をかしげた。
「食べてないよ、出してるだけ。それでもダメだったかな?」
 顎に手を当て、諸葛誕が少しの間、考える。だが白露は返事を待たずに顔色も変えずに、言葉を続けた。
「調理実習で作ったクッキーで失敗した分をラッピングしたの。せっかくだし、公休先輩に渡そうと思って」
 机の上に置いてある透明なビニール袋の中身は、確かに割れていたり焦げていたりするクッキーしか入っていないようだ。だが、愛らしいリボンで辛うじて結んではいるが、袋の許容量一杯まで詰め込まれている様子から、ずいぶんと数が多いらしい。
「まさか、全部失敗したのか?」
「成功したのはお兄ちゃんにあげるけど」
 当然とばかりの白露の返事に、諸葛誕は妙な寂しさと憤りを感じてしまう。そして思わず感情的になり、口をついて出てしまったのだ。
「図書室は飲食禁止だ。やはり、机の上に出す事も控えるべきだ。もし次もあれば没収する」
 風紀委員長としての勤めを果たすべきシーンを装いながらも感情に流される諸葛誕を見て、白露が小さく笑う。
「公休先輩、変なの。先輩らしいのかもしれないけどさ、変に子供っぽいところあるよね。別に、先輩とお兄ちゃんを比べたりしてないよ」
 図書室という場所だからだろう。普段、二人で過ごす帰宅中などより白露は表情に乏しく、声色も穏やかで大人びているようだった。だが、わずかに目を伏せて、少しだけ拗ねたような声になり、言葉を続ける。
「あの、お兄ちゃんには失敗とか見せられないけど、公休先輩なら全部、見せられるって思って。えっと、失敗したの見せても、先輩なら大丈夫かな、受け入れてくれるかな、って」
「……そうですか。ですが、どちらにしろ図書室で飲食物を出すのは慎むように」
 諸葛誕が再び厳格な風紀委員長の顔に戻る。だが、その声色は少しだけ穏やかになったようだった。
「……没収してもいいけど、ちゃんと先輩が食べてね。食べ物は大切にしなきゃだし」
 棘のある言葉を意に介さぬようにして、白露は手元の本を再び読み始めた。まるで、平常心に戻ろうと努めているように。
「全く……ならば、飲食可能な場所へ移動してはどうですか?」
 諸葛誕の提案に、白露が小さくうなずき、そそくさと荷物を鞄に片付け始めた。
「私、そのクッキー食べ飽きたから、クルミあんパン食べようかな」
 本当に、白露殿はあのパンが好きですね。諸葛誕が小さく笑う。その顔は、既に年下の恋人を見つめる年長者の顔となっていた。


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