五月蝿いもの

 ああ、五月蝿い。何が五月蝿いのか、と聞かれても答えられないが、とにかく五月蝿い。諸葛誕と過ごした一夜で疲れた体を、まだ静かに褥へ横たわらせていたいのに。汗ばんでしまった肌で、柔らかな衾褥を味わっていたいのに。普段なら心地よいはずの、窓から射し込む朝日が目に痛い。朝を告げるひばりの鳴き声が煩わしい。まだ微睡みたいとばかりに強く瞼を閉じたくても、指先から徐々に消えようとする気配が怖くて、思わず薄目を開けてしまった。
「……どこに、行くの?」
 既に寝台から立ち上がり、歩き去ろうとしている背へ声をかける。我ながら驚くような、弱々しく消え入りそうな声だったが、なんとか彼に届いたようだ。振り向いた諸葛誕の顔には狼狽が見え、よほど私に気付かれたくはなかったのだろう、などと考えてしまう。彼にも自身の生活があるのだから、私に知られたくない事があるなんて当たり前なのに。だから、別に悲しくなどないはずなのに、なぜかぼんやり、視野が滲んでいく。
「星雨が眠っている間に、いえ、その……」
 普段は聞いてもいない事まで威勢よく話す落ち着いた声で、今は困ったように戸惑い、言い澱む。更に私の視界は白み、霞み、あれだけ暖めてもらったたはずの体が、心の中から急激に冷えていく。
「ち、違う! ただ、星雨が目を覚ます前に、髭を剃っておこうかと思っただけだ!」
 なら、なぜそのように慌てる必要があるのだろうか。一体、何が違うと言うのか。私は彼にどのような生活があっても、一向に構わないというのに。私がぼんやりと無言で眺めていると、諸葛誕は酷く慌てた様子でこちらに駆け寄り、屈み、私の手を取り、心配そうに顔を覗き込んだ。気付けば目の前まで運ばれてきた彼の顔は、昨晩散々に触れた顔と当然のように寸分変わらず見える。昨夜の感触を思い出し、彼の頬に再び手を添え、既に数刻前の事を思い出す。確かに昨晩と比べ、今は少しざらざらとした感触が指に残った。
「独断で離れようとして、すまない……まさか星雨がこれほど悲しむとは思わなくてだな。その、なんだ……そばにいる。星雨が大丈夫だと言うまで、こうしてそばにいる。だから、泣かないでくれないか……」
 泣いてなんていない。思わずそう叫ぼうとしても、鼻がつまって声がぼやける。瞬きをすれば熱い液体が顔を流れ、揺らいでいた視界がホンの少しだけ明瞭になった。

 別に寂しくなんてない。ただ、眠くて、あくびをしたら涙が出ただけだ。私一人で待つこと位できる。髭を剃りに行くなり、厠に行くなり好きにしろ。子供扱いしないで欲しい。

 沢山、沢山、言いたい事が次から次へと浮かんでくるのに。何故か私は、ただ涙を流して鼻声でしゃくりあげるだけしかできなかった。そんな私を慰める諸葛誕が、余計に五月蝿く思えてしまう。まるで幼い子を慰めるように、滅多に見せない柔らかな笑顔で私を見つめている諸葛誕が、今の私にはとにかく五月蝿くて仕方がないのだ。
「うるさ、い……」
 やっと、声が出た。涙で濁った私の一声で驚いた諸葛誕の表情に満足して、存在を確かめるよう更に頬を撫でる。一晩でこんなに髭が伸びるなんて、毎日大変に違いないのだろうな。私に気付かれないように、毎日早朝に剃っていたのだろうか。視界の中の諸葛誕は、怒鳴られたにも関わらず、既に幸せそうな微笑みを浮かべている。夜は暗くて見えなかったが、昨夜もこんなに幸せそうな顔で、私に笑いかけていたのだろうか。ああ、なんて五月蝿くて腹立たしいのだろう。朝なんて来なければ良かったのに。ずっと夜が続けば、諸葛誕はずっと私のそばにいてくれるのに。私はただ、とても静かな幸せの中で、彼の腕の中で微睡み、眠りながら、何も五月蝿いと感じる事なく素直なままでいられたというのに。今、再び瞼を閉じれば、彼の幸せそうな笑顔が夢に出てきてくれるかもしれない。五月蝿くて仕方がない中、私は五月蝿さを惜しむように、ゆっくり目を閉じる。


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