平和を望んだ凡人の末路

 以前に公の場で見せていた、傲慢さと自信に満ちた彼の面影は既に無かった。どこか虚ろな瞳でアパートの一室にへたり込み、中空を見つめるその姿を見て、一世を風靡したあのアルゴンソフトの元代表だと言ったところで信じる者はいないだろう。
 小さなアパートの一室には申し訳程度のローテーブルとカラーボックスしか家具は見当たらず、部屋の隅には畳んだ一組の布団が窮屈そうに積まれている。カラーボックスに収まった衣服や雑貨は、どう見ても若い女性の物だ。

 突然玄関が開き、若い女性が部屋に入ってくる。手にはスーパーの袋を下げ、静かな笑顔で彼に声をかける。その声色は、まるで怯える子供に話しかけるような静かさだ。
 「ただいま、国義さん。今日は、何か食べられそう?食べたいものがあったら、教えてね。私じゃ作れないかもしれないけれど……何か食べないと、元気でないよ?」
 何かを応える代わりに、彼は怯えた様子で彼女を見上げる。機嫌を伺い叱られまいとする子供の様な顔をして、許しを乞うように。違う、違うんだ、こんなつもりじゃ。僕は、ネットで、素晴らしい、もっと豊かな、違う、こんなの違うんだ、僕は……!
 小さな一人言が微かに口から漏れるが、その大半は彼女にすら届かず消えていった。手を震わせ『何か』に懺悔する彼の頭を、彼女はくしゃくしゃと撫でて微笑んだ。
 「もう良いんだよ、怯えなくて。終わったんだよ、もう。ずっと一人で耐えてたの、私は本当に凄いって思うの。今まで誰にも知られず、助けも呼べず、何年間も一人で、世界の為に頑張ってくれてありがとう」
 慈しむように彼の頭を胸に抱き寄せ、言葉を続ける。
 「大丈夫、今度は私が国義さんを守るの。凄い力なんて何もないけど、私がずっとそばにいるから。もう、一人で耐えなくていいの……ごめんね、頼りなくて。そばにいる事しか出来なくて」
 その部屋にはテレビは無かった。パソコンも、ラジオも無かった。世間が天海市の事件を告げ、アルゴンソフトを責める声が、その部屋には一切届く事は無いように。


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