朝、窓辺から差し込む陽光がやわらかくあたりを包む。
真白いシーツの海で微睡むふたりを慈しむように。
亜久津に抱きしめられながらそのぬくもりに太一はそっと笑った。
もう今日は何にもする気が起きない、このままでいたい。
余りにも頬に触れる日差しが暖かいから、己の頬をくすぐる彼の指先が優しいから。
今日は何にも追い立てられることなくのんびりしようと決めてしまった。
陽は高く、肌に触れる温度は優しい、満ち足りているのだ。

「…ねえ、もう起きて、こっちを見て、せんぱい」

甘く響く。
鋭利な視線を隠す目蓋が震えて、彼が目覚めたのが分かる。
細く息を吐き出して緩慢にこちらを見やる彼は今日も美しかった。




「せんぱあい、おはようございます」
「……煙草」
「起抜けに早速ですか?…嫌ですよう、シーツに灰が落ちたらどうするんです」

亜久津がそんな失敗をするはず無いと知っているくせに太一はそう言って、煙草の箱を遠ざけた。
サイドボードの引き出しは太一の指先できっちりと締めきられる。
未だ微睡みの淵でぼんやりとしているのか、太一の声は妙にかすれていた。
舌打ちをした亜久津が身を起こすのを阻むように白い腕が彼の腰に巻き付く。

「おい」
「まーだ、ねむいです」
「じゃあ寝てろ、」
「ここにいてくださいよ、こんなに僕が眠い原因を作ったのは誰ですか」

そんな風に言い募る自分が酷く珍しくて、太一は吐息で苦笑した。
彼は呆れるだろうか、向こうを向いている彼の表情は分からない。
共犯の癖に、そう言って退けるのが簡単すぎるほど太一の腕の拘束は緩かった。

「俺以外にいるわけねえだろ」
「…ですよねえ、」

明日は休みだからいいか、なんて甘い考えのもと、風呂場で雪崩込んだ時に太一は碌に抗わなかった。
亜久津もそれを分かって事を進めたのだから全てが合意の上の事なのだ。

「先輩のせいじゃないけど、…でも先輩のせいですよ」
「ああ?」
「そういうことにしときたいんですよー」
「…好きにしろ」

するりと太一がその腕を離すよりも早く、亜久津が太一を引き寄せる。
笑みを象った太一の唇に亜久津は口づけて慈しんだ。
それがまるで機嫌を取るようなタイミングで、太一は耐えきれず肩を震わせて笑った。
他愛のないやり取りと、己の小さな我儘、太一は亜久津が許すと知っている。
わざと困らせて気を引こうとする、そんな子どもじみた事をしたくなるくらい、太一は機嫌が良かった。

「ふふ、先輩」

亜久津は太一が笑うのにも喋るのにも任せて、もう一度ベッドに横たわった。
口数が少なくて、話したと思えば粗野に言い捨てて分かりにくい、亜久津はいつまでもそんな男だ。
だから沈黙も視線も雄弁にものを語るのだと、太一は亜久津から教わった。
亜久津の顔を覗き込んで、太一はその輪郭に手を添える。

「お腹すきました」
「…眠ィんじゃねえのかよ」
「はい、動きたくないです」

引き寄せられた広い腕の中、シーツに包まったまま太一は亜久津の琥珀色を見つめた。
微笑みを湛えてそっと手のひらを滑らせて亜久津の手に絡ませる。
ぼんやりとした意識がいつの間にかはっきりして、太一は自分の幼子のような所作がおかしくてたまらなかった。
彼はどう思うだろうか、こんな甘ったれた己にやはり呆れるだろうか。
それでも今は眠くて動きたくないのだ。
それにこの温度を手放したくない。
だからお腹がすいても朝御飯を作る気なんか無いんですよと、太一は視線でこれ見よがしに語ってのけた。

「…チッ」

亜久津は手に絡まっていた太一の指先を擦り抜けて、忍び笑いを洩らす細い太一の首筋に噛みつく。
太一の視線に含んだ甘えを一部の隙も無く読み取って亜久津は小さく舌打ちを洩らす。
意趣返しのつもりなのか、そっと噛みついた先の甘さを啜って亜久津は太一の唇まで辿った。

「ん、ん…」

太一の頬を撫でる固く節くれ立った指、それでも長くてしなやかなのだから、なんて狡いのだろうと思う。
それと同時に、いつだって触れるたびに彼が好きなのだと太一は思い知る。
普段の亜久津からは想像もつかないほどに穏やかで緩やかなキスに、夢中になって応えると足りない酸素のせいで太一の意識がまた霞んだ。
亜久津は随分と長く太一の唇を構い倒して、甘く息を吐いた太一を眺めてそれから、するりとベッドから抜け出した。

「せんぱ、」
「朝飯買ってくる、寝てろ」
「…はあい」

たまの休みなのだから構わないと太一は自分に言い訳しながら亜久津の手を離した。
作る気ねえんだったらコンビニで良いだろと言い置いて亜久津は太一の細い腕を毛布の内側に仕舞わせる。
そうやって甘やかすからつけあがるんですよ、なんて少々のことでは動じない神経をしていながら太一は嬉しそうに笑って言う。

「優しいですね、亜久津先輩」
「俺も腹減ったんだよ」

優しくねえよ自分のためだろ、そう呟いて亜久津がジャケットを着込む。
亜久津は手早く着替えてからまた太一の髪に触れた。

「いってらっしゃい、早く帰ってきてくださいね、あ、あと僕サンドイッチが良いです…でも煙草をカートン買いしたら怒りますからねえ」
「うっせえよ」

寝たまま見上げてなんやかんやと言い募る太一の前髪を撫でつけて、亜久津は目を細めて少し笑った。




結局彼は自分に甘いのだ。
そう思えばいつも、いつだって彼はそうだったのだと思う。
そしていつからか亜久津は太一に、駄目になるようなそんな甘さをも差し出すようになった。
太一はか弱くいたいとは決して思わないけれど、最後の依存の矛先には亜久津がいると知っている。
いっそそこに辿り着いてしまえと、亜久津の囁く声に少しずつ呼び寄せられるような気がして太一は眼を閉じた。
たまの休みに、食事の用意をさぼった位で大袈裟だろうか、でもそんな風に少しずつ、ほんの少しずつ己はほつれていくのではないだろうか。
太一は亜久津が玄関の鍵を閉めるのを意識の隅で聞きながら、彼の温かさがあるうちに眠ろうと決めた。
何も考えずに眠って、そして目がさめたころには、どうか彼が帰ってきていますように。
か細いつぶやきを言い終える前に太一は微睡みに埋もれた。



深層で合歓る

2011/02/22

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