やめてと言ったらどうするだろう、手酷く拒絶をしたらどうなるのだろう。
彼を拒む。
知り得ぬ頃はそれは甘美なにおいがした。
愛であれば痛い方がいいなんて。

「うそばかり、」














僕があんまり熱くて切なくて泣き咽んだ「とける」なんて。
そんなもの、よくある台詞だというのは知っている。
只の戯れ言で本当になるはずがない、言葉の綾だということも知っている。
それならば、

「分かった、…飲み干してやる」

そんな風に言ってのけた彼の言葉がどうして、僕の真ん中に落ちてきて住み着いてしまうのか。
寝物語で話した言葉など、いつのまにか記憶からも滑り落ちるのに。
ちいさく囁かれただけなのに、耳の奥に住み着く戯れ言はなんて狡いんだろう。

「せんぱい、せんぱ、…」
「ああ」

声すら飲み込みたいのか、僕が呼ぶ声を煽りたてるように喉に噛みつかれる。
宥め賺すような科白を言った癖に、彼の瞳は実に直情的だった。
欲情の矛先、その受け皿の僕の身体を真上から見下ろす彼の熱は手酷く僕の内側を焦がすから。
まさか今日こそは満たされて絆されて熔けるのではないかとまた浅はかなことを思ってしまう。

「せんぱ、」

嗚呼、灼ける、でもやはり今日も、僕の肌は一片も熔けて無くなってはくれないんだろう。
忍び寄った彼の大きな手のひらに、爪を立てた指先を振り解けない強さで握りこまれる。
解けぬ腕の中でシーツを泳ぐ息も絶え絶えの魚、そんな自分を簡単に思い描けて少し可笑しかった。
伸ばす前に取られる両腕は手首を抑えつけられてまた深く沈む。
ならばせめて、滑る汗に僕の浅ましい情念が溶け出して冷えて無くなってくれればいい、そう思って唇を噛み締めれば彼が眉を顰めた。
潤んだ視界の中で唇が腫れてしまいそうに熱くて、口唇をほどくように途端に性急になった口付け、ああ、僕は彼が好きで堪らないのだと思い知る。
噛みつかれた先から毒が回ればいいのに、触れた先から焦げればいいのに。
いっそ手酷く乱雑に扱ってくれたら目を逸らすことだって出来るだろうに。
視線一つさえも彼を拒まぬと決めて仕舞った己の内側が憎らしかった。
一際強く抱き寄せられる。

「は…!…あ、……ぁ」

どくんと舞いあがった鼓動が落ち着くまで、強張った彼は僕を見据えたまま。
腕の痕が付いてしまうほど抱き込まれた腰が痺れたように重い。
彼はずっと無言なのに、その腕の強さも視線の鋭利さもその傲慢な所作ですら僕を愛していると黙示していた。

「太一、」
「ふ、…だめ、まってください、…まだ動けな、」
「じっとしてろ」
「ハア…」

引き摺りだすような苛烈なキスと、慎重に追い詰められるようなセックス、どちらもよく知っているのにいつまでも慣れなくてその度に鮮明に心の奥底まで焼けついてしまう。
僕がそっと深呼吸を繰り返すのを最後まで見定めてから、彼は静かに僕の首筋から爪先まで確かめるように撫で上げた。
くたりと弛緩した身体をシーツを絡ませたまま容易く抱きあげられて、暗い中辿る先が彼一人きり。
キスすら止めてくれない彼がバスルームの扉を開けるのを縋りついたままぼんやりと見つめた。
零れ落ちた唇の隙間で好きと言えば彼の喉がごくんと、動く。
ああ飲み込まれたのだなあと、僕は安堵して目を瞑った。
そのまま抗う間もなく湯船に攫われながら、僕は彼に、全て終わって弛む余韻に突き落とされることがどれ程狂惜しいことなのか、知らしめてあげたかった。




ぼんやりとしたままの僕を拭き上げる腕から抜け出して、髪を乾かすのもそこそこに寝室まで舞い戻る。
着替える僕の横目に映る盛大に寝乱れたベッドがどうにも居た堪れなくて、溜息を吐きつつ新しいシーツを広げた。
数時間前と同じくきちんと整え終えたベッドを僕は満足げに見やってから、いつの間にか白煙を燻らしていた目の前の不機嫌そうな彼をやんわりといなして、ベットサイドの灰皿に手を伸ばす。
フィルターごと押しつぶした途端、ぐい、といつの間にかベッドに乗り上げた彼が僕を抱きよせた。

「亜久津先輩…苦いですよ」

唇を合わせたまま僕が少し笑ったら、彼の僕を抱きしめる腕がきつくなった。
ついさっきまで、僕を散々好きにしていたくせに、まだ足らないなんて言わないでほしい。
チェーンスモーカーだなんて嫌ですとうそをつく僕の口内で彼が音を立てて遊んだ。
もう寝ましょうよと僕が5回も繰り返してやっと電気が消された。
潜り込んだ毛布の隙間、途端身の内側でせり上がる痛みに屈さぬように僕は彼の迷いのない目を探す。
彼の香りの中で生きている僕は彼の体温を確かめて、撫ぜる掌を見やってから目を瞑る。
黙したまま揺らぐ視界を閉じて、背徳と幸福が隣り合わせだなんて、なんて酷い話だろう。
世界がもし、好きと愛してるで廻っていたらいいけれど。
世界はそれだけでは靡かない。

「嬉しいのに悲しいなんて変な気分です」
「…全部捨ててこい、そうすりゃ悩まねえんだろ」
「……いいえ、いいえ…そんなことしません」

容易いふりして言い捨てる彼の恐ろしい覚悟を今日も僕は拒む。
寄せた頬に彼の鼓動が届く、それがもう鼓膜に住み着いてしまえばいい。
愛であれば痛い方がいいだなんて一瞬でも考えた愚かしさが僕の弱さだろうか。
彼の繰り返す要求が壮絶な愛を吐きだしているようにしか見えなかった。
熔け残ったそれを痛ましい想いだと知っていて僕はいつだってそれを欲しがる。
唯一つの救いのように、鬱蒼とした笑みを隠す暗闇に安堵した僕が哀しかった。

「おやすみなさい」
「…ああ」

夢も、好きも、愛してるも全部ゆるして撫でてあげたかった。


2010/11/22

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