どんなに手紙のやり取りをしていたからといって、所詮わたしが彼と直接交わした言葉はファーストコンタクトを果たした日のうち一瞬の出来事で、そのたった一度の出会いしかわたし達には存在しない。
それは、思い出と呼ぶにはあまりに短すぎた。
でも、たったそれだけのやりとりは確かに現実に起きたことで、鮮明にわたしの記憶に焼き付いて今も離れないなんてどうかしている。本当に。
どうかしてるんだ。

だってわたしはもう、子供じゃない。

手紙ひとつで喜ぶような純粋な心なんて、とうの昔にどこかへ置いてきてしまった。
古臭いアンティークのオルゴールを部屋に飾るセンスも、しかもそれで眠たくなるようなクラシックを聴く趣味も、無い。

文字のやりとりと言えばメールが楽ちんだし、音楽だって流行りのバンド系がいい。
今時の女の子は、みんなそうでしょう?

それなのに、わたしの部屋のベッドの枕元には相変わらずあのオルゴールがピカピカに磨かれた状態で鎮座していて、眠れない夜には抱きしめて朝を待つ。
彼から受け取った沢山の手紙は日に焼けたりなんてしないようにクローゼットの奥、さらに厳重にクッキー缶の中で保管されている。
どうしようもなく心が落ちた時に取り出しては、1通目から最後の一枚までじっくり時間をかけて読み返す。

二人を繋ぐものがあまりにも少ないくて、他になかったからだ。

だから大切にしてきた。

少し過剰に、守り過ぎていたのかもしれない。

あの人がいなくなってもう何年も経つというのに、こんなに大事にしてどうするんだろうと、今さらながら笑ってしまいたくなる。

忘れていくものだと思っていた。

風化していくと思っていた。

実際、わたしに親切にしてくれていた沢山の兄代わり達は、そうなるからね、と笑っていたのだ。

大丈夫、悲しいばかりじゃないよ、と。

あの人がいつまでも帰って来なくて不安だった時も、あの人がもう帰って来れないと知ってからも、泣いてばかりいたわたしの頭を撫でて慰めてくれた。
どんなに悲しく辛いことでも、人は忘れていくのだそうだ。
思い出は色あせて、悲しみは和らいで、綺麗なかたちで深いところにひっそり残る。
たまに思い出しては懐かしいと愛でるの、と。


いつだったか。
心がナイフで切りつけられたように痛むのだと訴えたら、綺麗に切り裂かれた傷は痕が残らないんだと教えられた。
鋭くて切れ味のいいナイフほど、とても痛い、けれど綺麗に元に戻るらしい。
あの人が残した衝撃はナイフだったんだねと、どこか茶化すような言い方にわたしは子供ながら納得して、静かに頷いたのだった。

今は痛くても時間は優しいから大丈夫と、あの時目を細めていたフィディオさんは、今何処でどうしているだろう。

彼の心は彼の言葉のとおり、穏やかなものになったのかしら。

彼はあの頃を綺麗な思い出にしてしまえたのかしら。

もう、さっぱり疎遠になってしまったから、確かめる術は無いけど。



わたしは。

だめだったよ。できなかったよ。

確かに悲しみは過ぎ去った。
あの人の死を受け止めることが出来るようになって随分経つし、もう思い出して夜な夜な涙することもない。

でも、愛は?

兄代わり達は、ひとつだけ、一度だって愛についてだけは触れていなかったことに、今頃になって気がついてしまったわたしは。
どうしたらいい。

あの人は今も褪せることなく、こんなにも存在感を放っている。
もうどこにもいないあの人がわたしに与えたものは、今もわたしの中で息をしている。
ナイフの傷は結局治らないままだ。
もしかしたら、今も傷口は開いているのかもしれない。
そこから溢れ出ているのは、あの人の愛だ。
誰にも触れさせなかった、汚されることもなかった、美しいままの愛だ。
留まることなく途切れることなく、悪人だったあの人の、唯一わたしにだけ素直に明け渡された、ただ純粋無垢な愛だ。

忘れてしまえば良かった。

風化してしまえば良かった。

悲しい気持ちと紛れて消えてしまえば良かったのに。
残された愛をどんなに大事に守ったところで、わたしがあの人に会いたがったって、愛したって、この想いはどこにも届かない。
与えたい人に渡せない。
伝えられない。
それがこんなに苦しいなんて、知りたくなかった。

今更捨てるには大切にし過ぎた手紙とオルゴールを抱えたまま、あの人の愛とわたしの愛をくすぶらせて、途方に暮れた。



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